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不機嫌な姫君に捧げる薔薇の花  作者: 江本マシメサ
第三章【星から目を逸らした騎士】
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 月に一度の親衛隊の隊長が集まって行う定例会議を終え、親衛隊長紳士の会のお上品なオッサン達に昼食に誘われる前に会議室を飛び出す。

 王宮のパライバ殿下の執務室までの通路を歩いていると、意外な人物に出会った。


「おや、君は…」

「あ、どうも。お久しぶりです」


 銀色の髪を香油で撫で上げ、この暑い中でも全身を覆う外套を纏った紳士は、まるで古城に住む吸血鬼のような姿をしていた。顔色は青白く、眉間には常に皺が寄っており、深緑の瞳は相手の事を全て見透かすような鋭い光が宿っている。娘さん同様に不機嫌な顔でお馴染みのアルゲオ様だった。

 言わずと知れたフロース様の父君で、今はラウルスの代わりにランドマルク領の領主代理をしているという。


「丁度いい所で会ったな。昼食はまだだろう?」

「…はい」

「少しだけ付き合って貰おうか」

「…はい」


 折角親衛隊長のオッサン達から逃げてきたのに、今度はフロース様のお父様に捕まってしまった。


 連れて行かれた場所は王宮の中でも王族しか入れない特別な部屋だった。調度品の一つ一つが眩しい程の輝きを放っている。こんな豪華な部屋で食べる食事はさぞかし味がしないんだろうな、と思いながら勧められるがままに椅子に腰掛けた。


「少し話を聞きたいと思っていたのだ」

「話、ですか」


 なんの話だろうと、額に汗を掻く。何も悪い事はしていないのに、胸の鼓動が早くなり、落ち着かない気持ちになった。目の前に腕を組んで座るアルゲオ様には、思わずひれ伏したくなる程の威厳がある。

 もし、アルゲオ様が「今まで黙っていたが、実は魔王をしている」と言えば、「やっぱり!!」と答えたくなるような、そんな迫力だ。

 しかし自分に聞きたい話とは何なのか。ラウルスについてかフロース様についてか、そんな風に思考を張り巡らせていると、アルゲオ様が口を開いた。


「ーーうちの娘について聞きたい。本心を語ってくれると助かるのだが、フロースは真面目に仕事をしているのだろうか?」


 真面目に、とはどういう意味だろうか?フロース様はいつも真面目だし、仕事で手を抜く所は見た事が無い。


「それはどういう…?」

「ああ、すまない、聞き方を誤ったようだな。その…、フロースはきちんと周囲に馴染んで、決められた仕事をしているのだろうか? …分かっているとは思うが、あの娘は我が強いだろう? 思った事は口に出してしまうし、気に入らない事があれば手が出る時もある。だから上手く立ち回って、仕事をしている様子が想像出来なかったのだ」

「そんな事はありませんよ。フロース姫のお蔭で皆助かっています。殿下や隊員達の為に一日に何度もお茶を淹れてくれますし、執務室に花を生けてくれたりなど、女性にしか気付かないような気配りもしてくれます」

「…そうか、ありがとう」


 安心したように呟くアルゲオ様の表情は、すこしだけ穏やかになったように感じる。あんなに威厳たっぷりで、おごそかな御方も一人の父親なんだと実感した。


 そして、お話をしている間に食事が運ばれて来たが、予想通り味など分かる訳は無く、一品一品贅沢で素晴らしい料理だったのに、飲み込むのに苦労をしてしまった。それにもうお腹一杯なのに、次から次へと運ばれてくる。ここは馴染みの食堂でもなんでもないので、食べきれないんで包んで下さい!などと言える場所では無いのだ。

 しかしながら、アルゲオ様は出された食事を、ごく当たり前のように口にしている。細身の体からしてあんまり量を食べそうに見えないのに、意外だと思った。


 一通り食事が終わると、デザートが運ばれる。美しく盛り付けられたクリームたっぷりのケーキを突きながら、アルゲオ様の話を聞いていた。


「先日フロースが公務に行ったと聞いて、とても驚いたな」

「とてもご立派でした」


 フロース様にとって公務は初めてだったが、突然当日の朝に行く事が決まったのにも関わらず、短時間で資料を頭に入れ、視察も研究員がたじろぐ位の鋭い質問を浴びせていた。


「フロースが産まれた当時、仕事が最高潮に忙しいとあって、あれにはほとんど手を掛けていなかった。母が我侭放題に育て、王族としての品位も何も教えなかったんだ。だから大丈夫だったのかと心配していた」


 アルゲオ様はそう言うが、フロース様程気高く、気位の高い姫君は見た事がない。それに、フロース様が行った視察についての資料書は分かりやすく纏められており、誰が見ても理解出来るような内容になっていた。


「フロース姫の書かれた視察についての資料はご覧になりましたか?」

「いや」

「でしたら第一資料室にある報告書をご覧になってはいかがでしょうか? お仕事振りが垣間見れると思いますよ」

「そうだな。粗捜しに見に行くとしよう」

「……」


 もしかしたらヤバイ話を提供してしまったかもしれない。自分みたいな平騎士にとって素晴らしく見えた報告書でも、十一年前まで宰相を務めていたアルゲオ様から見たら何か引っかかる点があるかもしれない。

 フロース様へ心の中で謝りつつも、食後に出された果実汁を一気に飲み干し、ため息をひっそりとついた。


「…そういえば、視察先までの移動は馬だったのか?」

「はい」

「フロースは馬に乗れなかっただろう?」

「いえ、そんなことは…」

「そうか?」


 ーー嘘は言っていない。フロース様は馬に乗った。…自分と一緒にだが。何となく、あの馬の上で我を忘れて恐怖と戦い必死になるフロース様の様子を言ってはいけない気がして、真実を口にする事が出来なかった。


「半年前か、フロースと共にランドマルク領から竜の背に乗って帰って来たんだが、人にしがみ付いたまま、空の上で怖いだの落ちるだのとぎゃあぎゃあ騒いでな」

「……」


 お馬さんの上でもそんな感じでした。でも、今更嘘だったとは言えない。


「問題なかったのなら良かった」

「…はい」


 こうしてアルゲオ様との楽しいお食事会は終わり、解放された俺は重たくなった胃を押さえつつ、パライバ殿下の執務室へと戻って行った。


 それからというもの、アルゲオ様についてしまった嘘がどうしても気になってしまい、落ち着く事が出来なかった。


 --先ほど言ったことは嘘だと告白しよう。


 そう決心し、近くを通りかかったフロース様にアルゲオ様の所在を訊ねた。


「フロース様、ちょっとよろしいでしょうか?」

「…何よ、突然」

「あの、アルゲオ様は今どちらに?」

「さっき帰ったわよ」

「……」


 …終わった。罪の告白も出来ぬまま、アルゲオ様はランドマルク領に帰ってしまったのか。手紙にしたためて送ろうかとも瞬時に考えたが、直接謝らないと自分の気がすまないだろうな、とも考える。


「どうかしたの?」


 ここでフロース様に罪の告白をして断罪でもして貰えたら気が済むだろうか、と思った時、一つの考えが浮かぶ。 


「姫様、お手を失礼します」

「え?」


 俺はフロース様の手を握り、無人の執務室の扉を開いて引き入れると誰も入って来れないように鍵をかけた。


「何を…」

「フロース様、明日お休みですよね」

「え? ええ、そうだけど」

「乗馬を覚えてみませんか?」


 思いついた考えとは、嘘を真にしてしまおう、というものだ。


「無理よ、そんなの。乗りこなせる訳がないわ」

「大丈夫ですよ。きっちり教えますから」

「そうねえ…でも乗馬の技術なんて必要かしら?」

「前回の公務みたいな事がまたあるかもしれませんよ。覚えておいて損は無いかと」

「でも…」

「慣れたら乗馬は楽しいですよ、挑戦してみませんか?」

「…あなたがそう言うのなら」

「良かった…」

「良かった?」

「……」


 何だかフロース様を騙すようで気持ちが重くなっていたので、全ての罪を告白した。


「そういう魂胆だったの」

「…ごめんなさい」

「でも、あなたの嘘はバレていると思うわ。お父様は人の嘘を見抜くのが得意なのよ」

「……」


 …でしょうね。あの眼力の前では偽りなど通用しないのだと納得した。


「罰として乗馬を教えること!」

「それは、もう…喜んで」


 とりあえずは公爵家の庭で乗馬訓練を行う事になった。


「そういえば私、自分の馬なんて持ってないのよ。だからといってあなたの馬みたいな大きな子に乗るのは無理だわ」

「大丈夫です。うちに小さな馬が居るので連れて来ますよ」


 小さな馬とはフロイラインだ。現状、あのお馬さんは使役動物として全く役に立っていない。

 一度市場へと連れて行った事があった。

 行きは荷車を引いてくれたのだが、問題は帰路で発生したのだ。購入した品物を荷車に載せ、さあ帰ろうかと背中を軽く叩いてもフロイラインは動き出そうとはしなかった。手綱を引き、歩くように仕向けたが、結局一歩も動かず終い。仕方が無いので俺が荷車を引き、フロイラインがその隣を歩くという変な状況を作り出す事となった。

 当然周囲からの「何、訳の分からないことをしてるんだよ」的な冷たい視線を浴び、それ以来買出しを一人で行っている。


 そんな愛玩用となってしまったフロイラインは未だに慣れていない。隙あらば後ろへ回り込んで悪戯をしようとするし、手を出せば噛もうとする。

 だが、意外なことにフロイライン様は、子供・女性・老人には非常に寛大なのだ。市場に連れて行った時も、子供に囲まれつつもみくちゃに触られたりしても動じなかったし、女性や老人が近づいても噛もうとしない。隣の家の子供なんかは乗馬も許してくれるという優しさを見せている。なので、フロース様にも問題なく乗馬出来るだろうと想定していた。


「あと格好ですが、靴底に溝の付いた革の長靴やズボンなどはお持ちではありませんよね?」

「ええ、心配しないで」


 柔らかい布の靴だと鞍とあぶみを吊る紐でふくらはぎを打ち、乗馬の際にミミズ腫れなどが出来る。その為膝から下を保護する革の長靴は必需品となっていた。

 靴底に溝が必要なのは、あぶみを踏んだ時に滑らない為の用心だ。


 その他の頭を保護する物などは、こちらで準備をする旨を伝えた。


「それと装飾品や矯正下着は身に付けないようお願いします」

「ど、どうして!?」

「装飾品は金属音などで馬が驚き、暴れだす可能性があるからです」

「…では下着は何故?」

「一昨日事故があったんですよ。矯正下着を身に付けた女性が落馬して、衝撃で下着が裂けて中に入っていた針金が体に刺さって怪我をしてしまったという事案が」

「……そ、そんな事件が!? 分かったわ、それも心配しないで」

「ありがとうございます」


 事件の報告書で貴族の女性のほとんどが、体の線を美しく見せるコルセットと呼ばれる矯正下着を着用していると書いていた。その着用には女性二人がかりで紐を引っ張って締め、ぎゅうぎゅうに体を圧迫するという怖ろしいものだった。そんな物を日ごろから身に付けているなんて怖ろしい。公務の時も知っていたら外すよう言っていたと思う。あの日、もしもフロース様が落馬をしたら、と考えるだけで怖くなった。


「では、明日ね。一日予定を入れてないから、時間はいつでもいいわ」

「そうですね…。馬を遠乗りに連れて行って、市場で餌を買ったりするので午後からになりそうです」

「分かったわ」


 こうして明日の予定も無事に決まり、一安心をしていると、フロース様の手を握りっぱなしだという事に気が付いて、慌てて離す。


「も、申し訳ありません」

「…あら、いいのよ」


 本日もフロース様は素晴らしく寛大だった。


◇◇◇


 公爵家へ行く日の朝。フロイラインの目に掛りそうなほどに長くなった前髪を紐で括る。帰って来たら切ってやろうかなと考えたが、確か前髪を括った馬は騎士団で【この馬は噛みます、注意するように!】という印だったなと思い出し、そのままでもいいかなと考える。ちなみに後ろ足で蹴る癖のある馬は尻尾にリボンを付ける決まりだ。このようにしておかないと、世話をする従騎士達の怪我が絶えないのだ。


 遠乗りから帰った後、馬二頭を置いて市場に行き、餌や藁などを購入して帰る。勿論荷台を引く仕事は自分でしなければならなかった。

 帰宅途中、市場に出店していた元フロイラインの飼い主であるマリンツさんと出くわしてしまい、何とも気まずい時間を過ごす。親切なマリンツさんは使い物にならなかったフロイラインについて謝罪し、申し訳が無いから農園に居るアルパッカを譲りたいと言っていたが、これ以上動物が増えたら世話が大変なのでお断りをした。


 家に帰ってからは、軽く庭の雑草取りを行い、畑に水やりと肥料を蒔いた後部屋の掃除をして、すっかり汗だくになってしまったので、お風呂に入ってから馬のラウルスに跨り、フロイラインを引き連れて公爵家に向かった。


 公爵家には乗馬をする為の柵に囲まれた広場があった。先々代の当主の奥方の趣味が乗馬だったらしい。


 そして乗馬に適した格好で現れたフロース様は、普段のスカート姿とは違い、凛々しかった。手には鞭が握られていて、その姿は違和感の欠片も無く、思わず「その鞭は普段使い用ですか?」と聞きそうになった。


「…何かおかしいのかしら?」

「いいえ。よく、お似合いです。その、鞭は不要なので」

「そうなの」

「はい」


 頭を保護する防具を被ってもらい、フロイラインとの邂逅も果たす。


「綺麗な子ね。銀色の馬なんて初めて見たわ」

「馬の中でも珍しい種類らしいですよ」

「ふうん。名前は何ていうの?」

「フロイライン、さんです」

「……」

「殿下に決めて頂きました」

「…そう」


 何か物申したいようなフロース様から逃げるように、馬の背中に乗せる鞍を装着しに行った。


 それから一通り手順を教え、実際に乗ってもらうよう促す。


「馬は人を見てます。怖がれば途端に舐められますよ」

「わ、分かっているわ」


 フロース様は教えた通りにフロイラインの傍に置いてある踏み台に乗ってから、鞍と馬の鬣を掴み、あぶみを踏んで地面に付いている足を踏み切り、鞍に両手を付きながら、鐙に乗っていない方の足を上げて跨る形を取る。


「背筋を張って」


 馬の上に座れたフロース様の体が強張っていたので、背中をポンと叩く。公務の時はあんなに馬に乗る事を怖がっていたのに、馬上のフロース様は緊張の面持ちではあったが、不安や恐怖を口にすることは無かった。


 それから数時間で何とか馬を誘導し、歩けるまでに進歩した。


 フロイラインから降りたフロース様は崩れるように踏み台の上に座り込んでしまう。


「大丈夫ですか?」

「ええ…平気よ」


 体の変なところに力が入っていた筈なので、筋肉痛が来るだろう。三十分毎に休憩を入れていたが、最後の一時間はフロース様が大丈夫だと言うので、そのまま続けてしまった。明日は大変な事になるかもしれない。


「どうでしたか?」

「何だか体が痛いわ、それに必死になり過ぎて楽しむ暇も無かったし」

「初めはみんなそうですよ。慣れたら馬の上の心地よい風を感じる事も出来ますし、遠乗りする時の普段見れない高さから見る景色は格別です」

「それは見てみたいわ。…これからも訓練に付き合ってくれるかしら?」

「もちろんです」


 この日からフロース様との乗馬訓練が始まる事となる。

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