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不機嫌な姫君に捧げる薔薇の花  作者: 江本マシメサ
第二章【星を掴めなかった騎士】
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 本日はパライバ殿下の公務だ。泊まりがけなので、フロイラインは騎士隊の厩舎に預けて来た。


 数日前この辺りで魔物が出現し、馬車が襲われかけた事から、目的地まで半日と長い道のりではあったが、殿下にも単独で馬を駆って貰っている。

 ルティーナ大国が作った街から街へと繋ぐ街道には、魔物避けの魔術が組み込まれている。なので、街道を走っている限り安全だと言われていた。が、先日起こった襲撃は街道を走る馬車目掛けて魔物が突然現れたらしい。偶然馬車の後ろを走っていた騎士団の遠征部隊か殲滅をしたが、隊員達が居なかったら馬車に乗っていた乗客は全滅していただろう。

 一年程前にも隣国で突然攻撃性の高い、人に敵意を持つ竜種が大量に発生したりと、不可解な事件が世界的に起きている。その原因は未だ解明されていない。

 その為パライバ殿下の護衛は十名と公務の護衛人数としてはいつも以上に多く付けている。しかしながら、大人数で行動をすると、どこぞの貴人を連れているという事がバレて野盗などの標的となってしまうので、今回は皆、騎士隊の服装ではなく、私服の上から武装している。全体的にお上品な顔付きの奴等ばかりなので誤魔化す事が出来ているかは微妙だが、頭巾を被っているので、遠目からは分からないだろう。


 今回の公務は【ヤリナタリア】という街へ行き、新たに領主となる者への親任式を行い、その後の夜会への参加も予定されている。

 今までに何度も夜会に参加をしたが、護衛としてその場にいるだけなのに、毎回凄まじい場違い感に襲われるので、出来れば参加したくないが仕事なので仕方がない。


 ヤリナタリアはルティーナ大国内で王都に次ぐ大きさの街だ。行われる夜会へは各地からパライバ殿下や領主となるレーサー侯爵家と繋がりを持とうと、大勢の貴族が押し寄せる事だろう。レーサー家には当主となる二十五歳の侯爵に二人の娘が居ると聞いていた。パライバ殿下も独身で婚約者も居ないことから、絶好の狩りの場となるだろうなと予測している。

 街道を馬で真っ直ぐ進むだけ旅は順調だ。風も穏やかで、天気も良く、曇1つ無い晴天が広がっている。

 二時間程走った先にある村で休憩し、再び馬を駆ってヤリナタリアを目指す。


 ヤリナタリアへはこのまま順調に進むだろう、誰もがそう思っていた。


 ーー冷たい風が吹き荒れた刹那、周囲の雰囲気が一変する。


 今まで優しく頬を撫でるだけだった風は突如として強まり、いつの間にか黒い曇天が空を覆っている。


 ーー複数の獣の咆哮が聞こえた。


「ーーひっ!」


 誰かの息を呑む声が耳に入った瞬間に、全体に進行を止めるように叫んだ。

 街道の脇にある山道から現れたのは、狼のような黒い獣。目は獰猛に赤く光り、鋭い牙を口元から覗かせている。

 目の前に出現した魔物に馬が怯え、陣形が崩れた。手綱を握る隊員も突然現れた魔物に動揺をしているのだろう。剣も抜かずに呆然としている。


「ーー剣を抜け!!」


 隊員達に指示を出しつつ、馬の腹を蹴る。


「レイク、イルデ、ハヤテ、ジャック、ルークは殿下をお守りするんだ! 後方にも注意を向ける事を忘れるなよ! エキドル、イーオン、サイ、キレルは後に続け!」


 (ラウルス)は目の前の魔物に臆さず、果敢に群れの中へ駆け出す。


 黒牙狼…ルティーナの南部に生息する魔物だ。この辺りで見かける筈も無い種族なのにどうして?街道の魔物避けは機能していないのか?ふつふつと沸き上がる疑問を押さえつけて、目の前の魔物と対峙する。


 数はざっと十匹程。涎をだらだらと溢しながらこちらへ突進してくる。飛び掛かって来た黒牙狼の牙を剣で受け止め、片手で薙ぎ払う。

 馬から飛び降りて、邪魔にならない所へ行けと尻を叩くと、魔物の群れの中から走り去った。

 

「馬の上からは攻撃出来ないぞ! 一旦降りてから戦うんだ! こいつらの弱点は額だ、そこを狙って打て! 心配はいらない、普段の訓練通りに戦えばいい、黒牙狼なんぞ取るに足らない相手だ!」


 動揺を見せる隊員達に奮起を促す。彼等は魔物と戦うのは初めての筈だ。恐ろしく思うのも無理は無い。


 黒牙狼は大型の犬と変わらない体型をしている。動きは素早いが、知能は低いので連携して襲って来ないので、こちらが協力して戦えば苦労をせずとも討伐出来る魔物だ。


 一匹目の喉元を斬り裂き、二匹目の腹を蹴り飛ばして、余裕が出来た隙に隊員達へ指示を出す。


 彼等は初めての戦闘にしてはいい動きをしてくれた。

 戦闘へ参加していた者達の安全を確めると、パライバ殿下の元へと急いだ。


「パライバ殿下! ご無事でしょうか?」

「……ああ、問題ない。ご苦労だったな、イグニスよ」 


 殿下に傷を負わせる事無く、なんとか切り抜ける事が出来たようだ。


「何故このような事態になったものか」

「…先日の事件と関係があるのでしょうか?」

「分からぬ。魔術師団を派遣して調査をせねばならぬな。……とりあえず、先に進むとしよう。ここは、空気が淀んでおるからに」

「はい」


 それからの道のりは驚く程順調だった。二時間馬を走らせた後、ヤリナタリアへ到着し、街の入口近くで迎え入れてくれた侯爵家の使いの者と共に、レーサー家の屋敷へと案内してもらう。


 レーサー家の屋敷には、王宮で見かけた事のある騎士や文官などが数多く滞在していた。新たな領主を迎える為に、沢山の貴族が招待されているという。

 汗まみれで血まみれな俺達は即座に風呂場へと案内され、綺麗な体となった。

 その後はパライバ殿下の会食や、お茶会の様子を見守り、親任式を終えると、しばしの休憩となる。


 夜会へはこのまま騎士隊の制服で参加する。数名は礼服を着て、参加客に紛れて護衛をする様に言いつけてあった。


 着飾った客等とすれ違う度に、ここは別世界だと実感する。前を歩く殿下は周囲のきらびやかな雰囲気にあっさりと馴染んでしまった。


 キラキラと輝くシャンデリアの下を、若い男女が楽しげに踊っている。パライバ殿下も挨拶に来た貴族の娘達何名かと踊っていた。無表情でステップを踏む殿下の感情は窺い知ることは出来ない。噂の婚約者とやらも来ているのだろうか?


 参加客が入る扉に居る者達がため息のような歓声をあげていた。誰か大物でも来たのだろうか?


 人だかりを割って入った来たのは、銀色の髪を持つ美女と金髪碧眼の男前だ。


 …というか、豪奢なドレスに身を包んだフロース様と、赤い詰め襟の礼服を着たラウルスだった。

 フロース様は長い銀髪を三つ編みにして後頭部で纏め、胸元が開いた薄紫のドレスを着ている。一方のラウルスは赤の上着に黒いズボンという男装で現れた。怪我は完治したのか、ベルトには剣を帯びている。フロース様の護衛として同行しているのだろう。

 フロース様はダンスを終えたパライバ殿下に挨拶をしていた。この夜会の参加者名簿に名前は無かった筈だか、どうして参加をしているのだろうか?


「隊長、フロース様はお祖母様の代理で急遽竜にのって来たらしいですよ」


 考えていたことが顔に出ていたからか、レイクがどっからか入手してきた情報を耳打ちする。

 王都からヤリナタリアまでは馬で半日掛かるが、竜だと一・二時間で到着する。数日前に起こった魔物騒動を受けて、竜での移動も提案されたが、パライバ殿下が馬で行く事を希望したので、このような形となったのだ。国が所有する使役竜の数は少なく、主に緊急時の移動手段として使われているので、殿下も遠慮をしたのだろう。


 しかしながら、パライバ殿下とフロース様の周囲には凄まじい人だかりが出来ている。貴族達は王族や公爵家と繋がりを作れたらという必死の形相が窺い知れた。パライバ殿下の近くには、参加客に紛れて親衛隊の者も数名潜んでいる。護衛に関しては抜かりなく行っていた。


 貴族の男達は上気した顔でフロース様に話しかけている。あの様に心身共に気高く、聡明で、美しい人など滅多に居ないので無理も無いだろう。

 フロース様は片手に扇を持ち、艶やかに微笑んでいる。その姿は、黒い礼服に身を包んだ男達の中で一際輝く星のようだ。その眩しさに、近づいた者達は足元が強張って動けなくなっていた。

 

 しかし、空気の読めない者はどこにでも居るようだ。会話の中に割り込んで、フロース様の手を取り、指先に口付けをする不届き者が現れた。フロース様はピシリと固まったように動かなくなり、即座にラウルスが無遠慮なその手を払って、フロース様を救出する。我に返ったフロース様はラウルスの背後に回って隠れてしまった。


「ーーうっわ。よくもまあ、フロース様に無断で触れようと思ったもんだ、ねぇ、隊長?」

「……」

「…隊長?」

「どうかしたのだ? イグニス?」

「!!」


 殿下が戻って来ている事に今更気付く。護衛対象から目を放すなんてどうかしている。久方ぶりの魔物との戦闘で疲れているのだろうか。遠征部隊に居た時は、今日戦った以上の魔物と戦闘を行っていても、あまり疲労を感じなかったというのに。やはり毎日のように剣を握り、緊張感のある場での戦闘を行わなければ、勘や体力も徐々に鈍っていくのかもしれない。


「イグニスよ。今日の護衛はもうよい」

「殿下?」

「先程の戦闘では見事な戦いを見せてくれた。その褒美では無いが、これからの時間は好きに過ごせ」

「し、しかし」

「命令だ。そなたは言うことも聞けぬというのか?」

「いえ、ありがとう、ございます」


 再びフロース様を見れば、ラウルスの口元にお菓子を差し出し、楽しそうに微笑んでいる。


 ーードクリと胸が激しく鼓動を打つ。


 ーーどうして今まで気付かなかったのか?


 ーー自分はフロース様にとっての【ラウルスの代用品】だということを。


 フロース様はラウルスの友達だからと、特別に優しく接してくれたのだ。それに、こちらを信用して二人きりで過ごしてくれた訳ではない。ラウルスへの信頼を俺に投影していただけなんだ。


 分かっていたことだ。フロース様は王族で、自分は平の騎士だという事を。ずっと考えないようにしていたのだ。フロース様が自分だけ気にかけてくれるという優越感を、フロース様の事を考えると沸き上がる、意味の分からない感情の理由を。


 昔、姉の言っていた言葉が甦る。


『男の人って本当に単純ね! 目と目が合っただけで、少しだけ親切にしてあげただけで自分に気があると勘違いするのよ、気持ち悪い!』


 その通りだ。少し優しくされただけで好きになってしまい、相手も自分が好きだと勘違いをしてしまうのだ。


 姉の愚痴を聞くのはあまり好きではなかったが、こんな時に役立つとは思わなかった。フロース様に「気持ち悪い!!」と罵られる前に気付いて良かった。本当に心からそう思う。


 パライバ殿下のお言葉に甘えて、用意された部屋に戻ろうときびすを返す。


「隊長? 踊りに行かないんですか?」

「踊り方なんて知るわけないだろう」

「え…、えー!?」


 俺の中で踊りといえば、酒に酔っ払った爺さん達が陽気になって、手拍子の中でふらつきながら踊るものだと認識している。あの様に男女で密着して、お上品な音楽の中でする行為など踊りでは無い。


「隊長、俺が教えてあげますから踊りましょうよ」

「……」


 恐らくレイクは踊りを教えるから、女性を誘って夜会を楽しんだ方が良いと言いたいのだろう。しかしその言い方ではレイクが俺と踊りたいみたいに聞こえて気持ちが悪い。


 夜会とは美味しい酒や料理を食べ、美しい女性達を愛でるだけの場所だ。紹介された女性と話したり、踊ったりする場所では無い。勿論個人的な楽しみ方ではあるが。

 今は周囲の空気に酔いながら酒を飲む気分でも無かったし、腹は空いていたが、礼儀を気にしながら食事をするのも面倒だと思った。


 レイクの申し出を丁重に断り、用意されていた部屋へと戻る。


 部屋の中には軽食と酒が用意されていた。肉と野菜が挟まったパンに厚切りになったチーズ、数種類の果物にお菓子まで並べられている。

 氷水の中で冷やされていた酒の栓を開け、カップになみなみと注いで一気に飲み干す。

 度数の高い酒だろうか。嚥下した後、喉に焼けるような熱を感じる。瓶を持ち上げて、銘柄などを確認しようとしたが、薄暗い室内では読み取れ無かった。


 チビチビと軽食をつまみながら酒を飲んでいたら、あっという間に空にしてしまった。

 氷と水が入った容器にはもう一本酒が冷やされている。まだ飲み足りないという気持ちもあったが、明日も仕事なので、手をつけるべきでは無いと思った。


 寝台へ行こうと立ち上がると、視界がグラリと歪む。かなり酔っ払っているみたいだと自覚する。

 しばらく机の上に手を付いて、落ち着くのを待っていると、けたたましく扉が叩かれた。何かの伝令だろうか?


「……誰だ?」

「私よ」


 ーー私 だ と ! ?

 こちらの問いかけに返って来た声は女性のものだった。

 

「何をしているの?」


 この声はフロース様だ。聞き間違える筈も無い。


「……ねえ、具合でも悪いの? 突然居なくなったから驚いたわ」

「いえ、元気です」

「少しだけ話せない?」

「……いえ、今日は」


 こんな時にまで心配をしてくれなくてもいいのに。ラウルスの友達という特典にしては過ぎた行動だ。

 それに若干前後不覚気味なので、今の自分は何を仕出かすかも分からない危険な状態だ。


「ーー何よ! 意味の分からない人ね。元気なのに私と喋れないって言うの?」

「……」

「今日の私は…こんなに綺麗なのに…。ダンスの誘いに来ない所か、見向きもしないなんて!!」


 そんな事は無い。今日のフロース様は世界で一番綺麗だと思っている。その姿は会場内で十分に堪能したのだ。

 一つ気になる事といえば、ここの階が男性客が休む場所だという問題だ。フロース様のような女性が一人歩きをするには危険過ぎる。


「ーーラウルスは?」

「何か言ったと思ったらラウルスの心配!? きちんと私の後ろに居るわよ!! こんな所を一人でほっつき歩く訳無いでしょ、馬鹿ッ!!」


 フロース様は扉を蹴った後、部屋の前から走り去ったようだ。ラウルスの慌ててフロース様の名前を呼ぶ声も扉の外から響き渡る。


 ーーこれで良かったのだと自分に言い聞かせ、今度こそ寝台の中へと潜り込む事に成功した。

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