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不機嫌な姫君に捧げる薔薇の花  作者: 江本マシメサ
第二章【星を掴めなかった騎士】
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 平和な夜勤を終えて、休みを挟んだ日勤の一日目。正式にサーシャ・アレイクのオパール殿下の親衛隊長への辞令が下る。

 ご丁寧なことにオパール殿下は我々親衛隊の朝礼の場に現れ、下々の者達に向かって挨拶をしてくれたのだ。


 オパール殿下は東国の血を引いた御方で、艶やかな漆黒の髪と瞳が美しく、なんとも言えない迫力のある美女だ。


 隊員達は表面上は祝いの言葉をサーシャにかけながらも、「羨ましい、妬ましい、爆発してしまえ…」という怨念がダダ漏れだった。


 早く結婚したいのなら近衛軍にでも入隊の出願をすればいい。王族騎士隊・近衛軍とは国王を御守りする騎士達で、第一部隊から第三部隊までと三つの兵団で構成されている。もっとも人数や精鋭が多いのは第一部隊だけで、第二から第三は第一部隊の三分の一以下の構成人数となっており、貴族の坊ちゃまの集まりとなっている。

 近衛軍は親衛隊のように結婚の制限も無いし、第二・第三部隊なら休みも週に二回以上はあると聞いた事がある。親衛隊以上に家名や実力(第一部隊に限る)に厳しいと言われている近衛軍に所属する事は、国内の騎士達の名誉とされていた。簡単には入れないとは思うが、言ってみるのはタダなので、願書を出してみてはどうだろうか。寂しい独身者達よ。


 自分のことは棚に上げ、心の中で若者達に助言をしているとフロース様が現れ、オパール殿下に「おめでとう」と声をかけていた。二人は正式な主従になっただけで婚約などを結んだ訳ではなかったので、サーシャとオパール殿下は揃って赤面をしている。…まあ、婚約や結婚も時間の問題だろう。


 フロース様とオパール殿下が並んで話しているのを眺めるのは大変な眼福だ。眩いばかりの白い肌に銀の髪を持つフロース様と、滑らかな乳白色の肌に黒の髪を持つオパール殿下は左右対称の様式美のような、表現し難い美しさを放っている。わが国の王族は心身共に皆美しく、素晴らしい国家だ。忠誠心も自ずと上がって来るものである。

 心の中で手と手を合わせ、ありがたや、と拝みながらその美しさを脳裏に焼き付けた。


◇◇◇


 サーシャ・アレイクが抜けた後の人員は翌日補充された。やって来たのは王族騎士隊・近衛軍=第二部隊より、イーオン・アストリムという伯爵家三男坊で二十一歳の若者だった。奔放過ぎる性格からとある事件を起こし、パライバ殿下の親衛隊への降格が決まったとのこと。降格先と言われ、面白く無い気分になったが、パライバ殿下は自分の王位継承権が低いからそう見られても仕方が無いことだと、平気な顔で言っていた。

 殿下の母君は王宮で侍女をしていた女性で、もともとは子爵家の出身と側妃の中では一番地位が低い為、殿下自身の継承権もかなり下の方にあるとの事。


 そんなイーオン・アストリムの入隊を歓迎していなかった隊員達だが、こちらから見れば「同じ坊ちゃんであるお前らとあんまり変わんないんじゃね?」というのが本音だった。無論、口には出さないが。


 こうして皆が心待ちにしていた新入りは、期待裏切らない大物っぷりを見せてくれた。


「私はイーオン・アストリムという。近衛軍から来たけど気を使わなくてもいいからね。君たちに近衛軍で教わった技術を伝授出来ればと思っているよ」 


 背後に控える部下達の何かがブチブチと切れた音が鳴っている気がした。

 自信たっぷりに自己紹介を続けるイーオンに向かって、声に出してはいけない呪詛のような言葉が次々と背後から聞こえる。

 彼も隊員達の仲間みたいなものだろうと思っていたが、想像を遥かに超えた逸材だったと驚愕してしまった。


 そんな中でフロース様が部屋の中へと入って来る。部屋の淀んだ空気が綺麗に浄化された気がした。


 ところが変化は部屋の空気だけではなく、イーオン・アストリムにも生じていた。


「フロース嬢!! まさか、こんな所で逢えるなんて!!」


 ーー辞令が言い渡された移動先がこんな所で悪かったな。


 長過ぎる自己紹介に、隊員同様殺意を抱いていた頃、部屋の中にフロース様が現れて喜んでいたら、しからん事にイーオン・アストリムは我らが姫君の手を光の速さで握りしめ、接近したのだ。


「ああ、なんっって美しいのだろうか!! まさしく美の女神、麗しいあなたに再会出来た事を神に感謝いたします」


 フロース様を前にそんな気持ちになることは理解出来る、出来るが…、今は勤務時間だ。感動の再会は休憩時間か就労後に行って欲しいものだ。

 しかしながら、見ているだけで不快感爆発なイーオンの行為を、フロース様は黙ったまま受け入れている。もしかすると親しい間柄なのだろうか?と、疑問に思い顔を覗きこんで見れば、無表情のまま物凄い速さで瞬きを繰り返していた。よく見れば体も硬直しているように感じる。あまりのウザさに固まってしまったのだろうか?普段のフロース様なら、罵声を浴びせたあと頬でも打ちそうな感じだったが。

 どんな理由があるにせよ、今は賃金の発生している勤務時間なので、イーオンの行動を窘めることにした。


「イーオン・アストリム、勤務時間の私語は禁止だ。控えるように」

「ーーああ、申し訳ない。つい、夢中になってしまって」

「それに了承なしにご婦人に触れる行為は礼儀がなっていないように見えるぞ」


 指摘されて気がついたのかイーオンはさっとフロース様の手を離した。


「フロース嬢、また後で」


 イーオンはフロース様の耳元で囁くと部屋の扉を開く。フロース様はその開かれた扉から出て行ってしまった。


「イーオン・アストリム、どこへ行く気だ?」

「どこって隊長様の所さ。噂ではチビで乱暴で粗野な脳筋野郎らしいね。上手くやれるかどうか」

「ほう……?」


 イーオンはやれやれ、といった感じに肩を竦め、ため息をついていた。


「丁度いいや、赤髪の君、隊長の所に案内をしてもらおうではないか」

「そうだな。その素晴らしい名誉は隊長である俺が受けようか」

「え?」

「俺がこの部隊の隊長である、チビで乱暴で粗野な脳筋のイグニス・パルウァエだ」

「嘘でしょ? 隊長は三十代と聞いていたんだけど」

「若作りをしていて悪かったな」


 そう言っていつもポケットの中にしまっている隊長章を見せた。朝、付ける暇が無くて、入れっぱなしになっていたのだ。イーオンは徽章を見て尚納得しないのか、失礼な一言を呟いていた。


「な、なんなんだ…」


 ーーそれはこちらが問いたい。


 とりあえず一番歳上の隊員に仕事の流れを教えるよう命じ、夜勤の者達の仕事を引き継いだ。


◇◇◇ 


 近衛軍は最高に危険な問題児を押し付けてくれた。ありがた過ぎて涙が出そうだった。この後は訓練の時間なので奴の実力を見るのを楽しみにしていたが、きちんと言う事を聞いてくれるだろうかと心配になる。 

 もう訓練とかいいからお腹が空いたし帰って食事にしたい。でも毎日剣を握らないと勘が鈍ってしまう。隊員達に嫌われようが、俺は毎日の訓練を行わなければいけない。奴らは実戦経験が皆無だからまだ分かっていないのだろう。自分達が命を賭けて戦わなければならない職業に就いているという事が。

 しかしお腹が空いた…。そんな風に考えながら歩いていると、前方より耳寄りな情報が聞こえてくる。


「ーーいいお店を知っているんだ。今は旬の魚介類をつかった料理が出されていてね…」


 魚介類か。そのお店はなんの料理が出されるのだろうか?

 俺の育った村は山に囲まれた場所だったので、魚介類が食卓に上がることはめったに無かったのだ。川には魚も居たが、泥臭くて食べれるようなものでは無い。王都に来て良かったと思う瞬間は魚料理を食べている時だろう。

 香辛料を振っただけの焼き魚に、甘辛く味付けた煮付け、衣をつけてサクサクに揚げた魚に野菜を煮込んで作ったトロみのある餡をかけたものも捨てがたい。

 なんだか魚が食べたくなって来たので、久しぶりに街の食堂へ寄ってから帰るかな、と予定を組み立てながら歩いていると、その前方からやって来た人の姿に気がつく。

 遠くから通る声で喋っていたのはイーオン・アストリムで、その隣を歩いているのは仕着せを纏った女性だ。

 逢い引きの邪魔してはいけないと思った俺は通路の脇に避け、通行の妨げになるのを回避する。


「もちろんその後はいい会員制の酒場を知ってるから…あ!!」


 イーオンの隣に居たのはなんとびっくり、フロース様だった。

 無表情で歩いていたフロース様は、俺と目が合うとこちらへ駆けて来て、背中の影へと隠れてしまった。意図が掴めず振り返ろうとすると、ぎゅっと背中の服を強く握られてしまう。


 首を傾げながら近づいてきたイーオンは俺の前に立って、背後のフロース様を覗き込んで来た。


「フロース嬢、かくれんぼかな?」


 俺を跨いでかくれんぼなんかしないで欲しい…。

 しかしながら、そんなことよりも気になる事があった。


「イーオン、お前なんで私服なんだ?」

「おやおや! 隊長いつの間に!」


 --こいつ……!!


 演技がかった態度にイラつきつつも、重ねて何故現在私服であるかを問い詰めた。


「それは今からフロース嬢と食事に出かけるからだよ」

「は?」

「そこを退いてくれるかな?」


 いいとも~!

 ……なんて言うと思ったか!?馬鹿が!!こいつには就業後は訓練があると終礼時に言っていたはずだ。なのに何故、光の速さで着替えを済まし、雲の上の存在であるフロース様に食事のお誘いの声をかけていたのか!!


「お前は今から訓練だと言っていただろう?」

「あれ? それって全員参加なの?」

「もれなく全員強制参加の特別楽しい訓練だ」

「……そういうのは実力が無い者だけがすればいい」

「……」


 ーー駄目だ。こいつとは死ぬほど気が合わない。


 こうなったら力ずくで連れて行くしかないと思っていた折に、大粒の雨が降り出してしまった。


「おやおや、訓練は中止かな?」

「そうだな」

「それではーー」

「イーオン・アストリム、休憩所で待機をしている隊員達に訓練の中止を伝えてきてくれ」

「は? なんで?」

「お前は自分の立場を分かっているのか? ーー名前と、所属と、今の地位を、言え」

「チッ……分かったよ。フロース嬢ちょっとここで」

「早く行け」

「……」


 イーオンは俺に聞こえる位の小さな声で「卑しい育ちの癖に」と呟いてから行った。どうやら俺の育ちなどの情報は漏れているらしい。


 後ろで服を握ったままになっていたフロース様に声をかけようと振り返る。


「あの」

「ちょっといいかしら」


 急に腕を掴まれて、近くの部屋に行くように引っ張られる。


「え? 待っ、そこはうちの隊の休憩所では、それに二人っきりなのはちょっと」

「つべこべ言わないで入りなさいよ!!」


 ぐいぐいとされるがままに引っ張られ、どこの部隊の休憩所か分からない部屋に連れ込まれてしまった。灯りをつけると上品な内装の部屋だということが分かり、尚更勝手に使ってもいいものかと不安になる。


「ひ…フロ、」


 姫君と呼ぼうとして、先日教えてもらった王族のしきたりを思い出し、名前を呼ぼうとするも恥ずかしくなって口に出せずにいた。こんなんで、これからどう呼べばいいのか悩む所だ。


 ソファにかける事も出来ずに立ち尽くしていると、座っていたフロース様が立ち上がってこちらまで来て、ぎゅっと細められた険しい視線が一身に向けられる。もしかして、また、怒られるのだろうか?そんな予想をしていると、案の定説教が始まった。


「ーーあなた、どうして早く助けてくれなかったのよ!!」

「え?」

「こんなに嫌がっていたのに!! 見なさい、鳥肌が治まっていないでしょう!?」

「イーオン・アストリムは知り合いなのでは?」

「今日が初対面よ!! …いえ、夜会で見かけた人かもしれないけど、記憶に無いわ」


 フロース様とイーオンは知り合いでは無かったらしい。朝の硬直は圧倒されて動く事が出来なかったとか。自らの腕に出ていた鳥肌を腕まくりして見せながら、フロース様は言う。

 なんでも一年ほど前にイーオン・アストリムとのお見合い話が来ていたらしく、断った話なのに掘り返してきて、しつこく迫られていたとの事。


「朝から悪寒が止まらなくて、触られた手も早く洗いに行きたかったけど、お昼まで我慢をしていたのよ」


 手なんかすぐに洗いに行けばよかったのに、フロース様は変なところで真面目だと思った。


「明日からまたあんな風に迫られたら困るわ」

「注意しておきます」

「あなたの言う事聞かないじゃない!!」

「……」


 確かに言う事はあんまり聞かなかった。どうすればいいのか途方に暮れてしまう。


「なるべくあいつは執務室から遠い場所を見張るよう指示を出しておきますので」

「それでも…なんだか怖いわ」

「同感です」


 俺ですら恐怖を覚えてしまった位なので、フロース様はそれ以上に怖ろしい思いをしただろう。


「一応…フロース、姫…、にも近づかないよう言っておきますが、先ほど見たように、聞かない奴なので効果があるかどうかは…」

「注意はいいから守って欲しいわ」

「それはーーはい。目の届く範囲であれば御守りいたします」

「目の届く範囲? どういう意味かしら?」

「パライバ殿下の近くにフロース、姫…様が居る場合、という意味になります」

「どうして?」

「私はパライバ殿下の騎士だからです」

「……」


 本来なら、フロース様の親衛隊長では無い自分がここで二人っきりでいること自体が許されないことだ。早く話を終えて、帰りの馬車まで連れて行かなければ、また変な噂が広がってしまう。


 部屋から出ようと声をかけようとしたその時、ふと、見下ろしたフロース様の瞳に射抜かれ、訳も分からないままその場に縫いとめられてしまう。そして、真剣な眼差しのフロース様の口から出た言葉は、驚くべきものだった。


「ーーだったら、私の騎士になりなさい。イグニス」


 名前を直接呼ばれ、命じられた瞬間、ドクリ、と心臓が大きな音をたてて、震え動いた気がした。

 この前の時と同じように、抗えないなにかに囚われ、フロース様の深緑の瞳から目を離せなくなっていた。

 何もかもがどうでも良くなって、目の前の存在モノを激しく渇望し、生唾を飲み込むと、そのまま全てを捧げたくなるという感情がふつふつと湧き出て来る。


 それでも、抗わなければいけない、正気に返れと、唇を強く噛み、右肩に爪を立てて握り締める。


 石の床の上に何かが落ちて、視線を向ければそれは朝方イーオンに見せた徽章だった。

 それはパライバ殿下の親衛隊長である証で、任命された時に殿下がくれたものだ。


 一気に熱が引いて、正気を取り戻す。


「ーーそれは、出来ません。私はパライバ殿下に、忠誠を誓った者です…」


 自分でも呆れるくらいの弱々しい声しか出なかった。フロース様の顔を見る事は出来ない。なので彼女が今どんな顔をしているのかが分からなかった。


「ーーっ、もう、いいわ」

「?」

「私の身に何か起こったら責任取って貰うんだから!!」

「え?」


 フロース様はそう言って部屋から走り去ってしまった。

 責任って…、何かあったら公爵家に自分の生首でも差し出せばいいのか?


 フロース様には公爵家からの見えない護衛が付いて回っているので身の安全は問題ないとは思っていたが、このままでは心配なのでイーオンを捕まえて説教でもしようと、隊の休憩所まで行くことにした。 

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