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不機嫌な姫君に捧げる薔薇の花  作者: 江本マシメサ
第一章【星を見つけた騎士】
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 ーーパライバ殿下の侍女が倒れたという話を聞いて今日で三十日目。


 そろそろ殿下の親衛隊である俺たちの疲労も頂点に辿りつつあった。来月で二十歳になるルティーナ大国の第四王子は大変な頑固者だ。仕事を始めたら納得がいくまで止めないし、食事はおろか休憩すら拒む。

 殿下が休まないという事は部下である俺たちも休めないし、怒られることを前提で「食事を摂ってください」と進言し続けるのも骨が折れる作業だった。今までは殿下の専属侍女であり、かつて乳母だったミルティーウ様が、休まず出勤して執務室に籠城するパライバ様に食事を摂らせたり、休憩を取るよう言いに来ていた。しかしミルティーウ様が不在の今、殿下に強く進言出来る存在が居なくなってしまったのだ。

 もちろん休憩に行かない俺たちを、殿下は不思議に思って「小憩に行かれよ」と言うが、仕事に励む上司を置いて行ける訳がない。親衛隊は十七名ほどで構成されているが、休暇を入れるので実際に出勤している人数は日中間は八名ほどで、その割り当ては執務室近くの廊下に二人、執務室前の扉に二人、執務室内に二人、以上の五人は常に護衛として待機し、七人は夜の勤務に就く。残りの二人は机について事務を執り扱う。担当は主に隊長である俺と親衛隊の事務次官として在籍しているアルファ・バレンジという最年長六十歳の爺さんと二人で回している。俺はともかく、バレンジ事務次官は高齢で無理をさせるといけないので、無理矢理外の用事を言いつけて、他の侍女に捕獲を頼み、食事などの準備をしてもらっていたが、三日目辺りから騙されてくれなくなってしまった。


 そんな無茶苦茶な勤務状況が一ヶ月も続く中、俺たちに朗報が訪れる。


「隊長!! ミルティーウ様の代わりが出来る侍女様が見つかったみたいですよ」

「…そうか」


 隊で一番若いレイク・アンダーベルは嬉々とした様子で話しかけてくる。同じ勤務体制で働いていたというのに、元気なことだと思った。やはり歳が十以上も離れていれば体力も違うのだろう。



「それが超絶美人らしいですよ!」

「…ほう?」


 城で働く侍女の人事情報は現場で働く騎士には回って来ないので、レイクは仲の良い侍女から聞いたのだろう。

 それにしても超絶美人ねえ…。取り敢えず隊の規律を乱さない女性だと嬉しいなと、あまり働かない頭でぼんやりと思っていた。


◇◇◇


 しかしながら、城の侍女頭より紹介された人物はとんでもない大物だった。

 ふわりと波打った長い銀の髪は頭のてっぺんで一つに纏められ、真っ直ぐに揃えられた前髪はまるで物差しでしっかり図ったかのように、均一な長さになっている。本当に血が通っているのかと不思議に思うほどの白い肌には薄く化粧が施され…と、目の前の城の中でも三本の指に入る程の、まさしく超絶美人をまじまじと見てしまい、本人からの非難めいた視線に気が付く。…他人を不躾に見るのは失礼なことだ。それは田舎者の俺でも知っている。


「ーー失礼しました。あまりにもお綺麗だったので、つい見とれてしまって…」


 うっかり失礼をしてしまった時は、正直に謝罪するに限る。すんなりと歯の浮くような言葉が出てくるのも、俺が騎士として長く生活をしていたからだろう。昔の自分だったら、恥ずかしがって黙りこんでしまうことはありありと想像出来た。


 姿勢を正し、軽く会釈をして反省の意を見せる。そんな感じに一応謝っておいたが、睨み付けるように細められた瞼は戻ることはない。彼女の深い緑色の瞳は、王族の血を色濃く受け継いだ者の特徴の一つだ。


「パルウァエ隊長、いくら綺麗でもそんな至近距離で無言のまま見つめるのは失礼になります」

「……気をつけます」

「彼女は新しく殿下のお世話をする、フロース・ユースティティアさんです」

「……」


 ーー彼女のことは知っています、と言おうとしたが、また要らぬ事を言って侍女頭に怒られるのは嫌なので、黙っておいた。

 フロース・ユースティティア。公爵家の娘であり、父親はルティーナ大国・国王の弟で、既に離婚をしているが母親も隣国の貴族か王族だと聞いた事があった。

 一年前に殿下の公務でツーティア国へ行く途中に嵐に遭い、進行は不可能と判断を下した俺たちは、近くの街へと立ち寄った。そこは従騎士時代の友達が領主を務める場所で、そいつの紹介でフロース様と会ったことがあるのだ。

 その友達の名前はラウルス・ランドマルクといい、金髪に青い瞳に加えてお顔も整っているという幸運を持って生まれ、その姿や快活な性格もあって騎士時代は大層女性におモテになっていた。……奴に騙された女性は多く、彼女もその中の一人だ。幼少の頃に運命的な出会いをしたと思ったフロース様は、騎士を辞めて領地へ戻ると決めたラウルスに付いて行ってしまったのだ。それから十年もの間ランドマルク領で暮らしていたらしいが、いつ帰って来たのだろうか?……ちなみに独身で、年齢は確か二十代中盤ほどだったと記憶している。たまにフロース様は王都の夜会に出ることがあり、彼女の周囲は人だかりが出来るらしいが、誰とも踊らないという。その訳を心に決めた人がいると説明し、五年ほど前からいつになっても結婚をしないフロース様を見て、「彼女を振った(と、勝手に思い込んでいる)ラウルスという奴はどういうつもりなんだ!?」と、どこからか二人の噂を聞いた騎士に問い詰められることがあるが、答えは簡単で、「ラウルス・ランドマルクは女性だ」と言って済む会話だ。

 もちろんフロース様に女性愛そんな趣味があるのではなく、悪いのは男装して女性の好みそうな紳士的な振る舞いをするラウルスの方だった。幼少の頃のフロース様はすっかりラウルスの事を男だと思い込み、恋焦がれていたという。

 ……と、そんな風に考え事をしているうちに侍女頭の長いフロース様の紹介が終わっていた。今度はこちらを示しながら、紹介を始めている。


「フロースさん、彼はパライバ殿下の親衛隊長である、イグニス・パルウァエ卿です」


 ーー残念ながら俺は貴族では無いので名前の下に「卿」は要らない。……まあ、侍女頭みたいな生粋の貴族の人間に、平民生まれが王宮に混じっているとバレれば首が吹っ飛んでしまうかもしれないので、そのままにしておいた。何故解雇の心配までしているのかといえば、彼女の夫は騎士団の人事権を握っている役職に就いているからだ。

 今は昔ほどではないが、貴族と平民の間には超えられない壁があり、差別は当たり前のように蔓延っている。基本的には王宮は貴人が出入りする場所であり、俺みたいな農村出身の田舎者が居ていい場所ではない。

 ちなみにパライバ殿下は生まれや育ちを知っているのにも拘らず、実積が書かれた書類を見て、面談を何回か重ねた上で親衛隊長に指名をしてくれた素晴らしい人物だ。なのでたとえ仕事熱心過ぎて周囲が困った状態になっても、時間に細か過ぎても、人見知りが過ぎるからといって結婚を先延ばしにしようとしても、(殿下が結婚しなきゃ俺たち親衛隊員も結婚出来ない)傍に置いてくれる限り精一杯仕えようと思える御方だった。


 侍女頭は俺の後ろに控えていた隊員達の紹介を終え、「もうすぐ殿下がいらっしゃいますからね」と言った。フロース様はこちらを見て、上品な微笑みを浮かべると、スカートの裾を掴んで優雅にお辞儀をした。


「はじめまして、パルウァエ卿」


 んん?はじめまして?……もしかして一年前にランドマルク領で会ったのを覚えていないんだろうか。俺の髪色は真っ赤で印象に残るかもしれないが、他は特徴も無いし、その辺によくいる騎士その一、みたいな感じなので記憶に残りにくいのかもしれない。かくいう自分も夜会で会った女性を覚えているかと聞かれたら、かなり怪しいだろう。皆同じようなドレスや化粧、髪型や振る舞いをしているので、正直違いが分からない。……ので、フロース様とは今日はじめて会ったことにした。


「はじめまして、何かこちらでお手伝い出来ることがありましたら、お気軽に声をかけてください」

「あら、そう?」


 このやり取りで俺との会話が終わったのかと思ったのか、後ろにいた若い隊員達がここぞとばかりに目の色を変えてフロース様に声をかけ、我先にと名前を覚えてもらおうと奮起している。この御方がお前ら平隊員の手に届く訳がないだろう。ちょっとは身の程を知って欲しいと思った。彼女ほどの身分の女性の結婚となれば、従兄として血の繋がる王族か他国の王子などしか居ないのではないのだろうか? 

 フロース様に群がる部下達を侍女頭を送って行くように命じ、都合よく飢えた狼共を追い払うと、入れ替わるようにパライバ殿下が現れた。


「久しぶりね、パライバ。元気そうで何よりだわ」

「フロース姫も息災のようで嬉しく思う。フェーミナ殿の具合はどのような状態であるか?」

「小康状態といったところね。思っていたより全然元気だわ」

「そうか」


 ある程度フロース様との挨拶を終えたパライバ殿下は、壁側に控えていたこちらの存在に気がついた。


「隊員の紹介はあったか?」

「一部ね」

「彼を覚えているだろうか? 一年前にランドマルク領で会った時、供として連れていた」

「……」


 …あろうことか殿下が余計な話題を掘り返す。俺たちは先ほど初めましてをしたばかりの仲なのだ。一年前の記憶など奥底に封じている設定なのに、そんな事情など知らないパライバ殿下は俺を指差しながらフロース様に聞かなくてもいい質問をする。


 ところがどっこい、フロース様から返ってきた言葉はこちらの想像の遥か上を駆け抜けていた。


「ええ、覚えているわ。ラウルスの騎士時代のお友達のイグニス・パルウァエ卿でしょう?」


 な、 な ん で す と ! ?

 フロース様は俺の事をきっちり覚えていたようだ。さっきはどうして初対面のフリをしたのだろうか?こちらが礼を欠いた態度を取ってしまったことを怒っていたからか、それとも途中で思い出したのか、どちらにせよ、最悪なことに俺がフロース様を覚えていなかったという失態を働いた事実だけが残り、あとから気まずい思いをしなければいいと切実に思った。


「そうだ。彼は私が一番信頼をしている者で、騎士隊一の真面目な男だと個人的に思っている。何かあったら迷わず頼るとよい」

「……今日ラウルスにも同じようなことを言われたわ」


 パライバ殿下のお言葉は大変名誉なもので、涙が出そうだったが、フロース様は意味ありげな視線をこちらに投げつけている。真面目な男が一度会い、紹介された女性を忘れるか?…といったところだろうか。確かに殿下の「隊で一番の真面目な男」というのはかなりの過大評価なのかもしれない。

 それにしてもラウルスから聞いたと言っているが、奴は今王都に来ているのだろうか?ラウルスとは十年もの間文通をしており、月に一度は文を交わしていた。前に王都へ来た時は事前に連絡があったので、急な訪問を不思議に思う。

 殿下もラウルスが王都に来ていることを疑問に思ったのか、フロース様に理由を訊ねていた。地方の領主となればよほどの事が無い限り領地から出ないと、ラウルス自身が前の夜会で会った時に言っていたのだ。


「本当はラウルスに口止めされているんだけど……領地で事件があってその関係でこちらに来ているの。詳細はごめんなさい、言えないわ」

「そうであったか。前回の訪問の礼を直接言いたいのだが、会える状態ではないのか?」

「ええ、怪我をしていて、今は安静にしているわ」

「……」

「でも大丈夫よ。問題は解決しているし、ラウルスもしばらく休めば普段の生活に戻れるから」


 ラウルスは知り合いに心配させない為に口止めをしたのだろう。まあ、あいつは体は丈夫だし、怪我の治りも昔から人より早い方だったので、心配はしていなかったが、領地で起こった事件とやらが気になってしまう。フロース様が事件の内容を喋らない以上こちらが気にしても仕方が無いことだった。

 

 ーーこうして朝からなんともいえない気分になっていたが、パライバ殿下を巡る周囲の状況はフロース様のおかげで劇的に変わる事となる。


「ちょっとパライバ!! どうして食堂に来ないのよ!! 調理場の人達が食事に来ないって困っていたわよ」

「……気にするな、私のことは放っておいてくれ」

「気にするわよ!! 毎日あなたが執務室に来ている日は食事を作っているのに、ここ一ヶ月ほどお昼を抜いているらしいじゃない」

「…忙しい故」

「忙しいってねえ、食事を摂らないとかえって集中力が途切れたりするのよ、知っていて?」 

「…理屈は理解出来る」

「だったらお食べなさいな。食事をきちんと摂らないからあなたはそんなに細くて不健康そうなのよ」

「……」

「食事はこちらまで持って来たほうがいいのかしら?」

「…いや、食堂へ参ろう」


 フロース様はほんの数十秒の会話で殿下を丸め込み、食堂へと連れて行ってしまった。部屋に居た護衛担当の騎士も後に続き、部屋の中には事務担当が残される事となる。早速俺はバレンジ事務官に休憩に行くよう指示を出す。一人残された開放感もあって思いっきり背伸びをした。

 ついでに噛み殺していた欠伸までしていると、執務室の扉が開かれた。部屋の中に入って来たのはフロース様で、こちらの顔を見るなり一気に詰め寄って来る。


「ちょっとあなた! よくもじろじろと遠慮なく見た挙げ句、他人の振りをしてくれたわね!」


 フロース様は先ほど俺が見とれてしまった事と、一年前に会ったのを覚えて無かったことにご立腹の様子だ。まさか覚えてもらっていたとは知らず、慌てて弁解をする。見とれてしまった件についてはすぐに謝罪をしたので許して貰おう。


「い、いえ!! 姫様程の高貴な身分のお方に顔と名前を覚えてもらっているとは思わなかったのです」

「姫様ですって!?」


 確か一年前に姫様扱いをしろと言っていた気がしてそう呼んだが、ただでさえつり気味な目がさらにつり上がってしまった。


「…まあ、いいわ」


 …いいんか。


「あとラウルスのことだけどあと数日したら面会出来ると思うから会いに来てくれるかしら」

「ええ、それは勿論…どこの診療所に居るんでしょうか?」

「私の家よ」

「え?」

「街から少し離れた場所にあるから、辻馬車か何で来たほうがいいわ」

「そうでしたか…」


 フロース様のご実家という事は、ラウルスは公爵家で療養しているのか。なんという大層な扱いを受けているのか。

 用件を述べたフロース様は手にしていた籠を机の上に置き、にっこりと微笑む。


「これ、あなたの分の昼食よ」

「え? あ、ありが」

「匂いが籠るからここでは食べないで」

「…はい。わざわざ、ありがとうございます」


 こうして姫君は部屋から去って行き、残された俺は隣の休憩室で昼食を摂った。


◇◇◇


 フロース様がパライバ殿下の侍女を任されるようになって一週間が経過した。やはり仕事中の休憩は大切だと身を以て痛感する事となる。まず体の調子が良い、それに一日に処理する仕事量もミルティーウ様が居た頃以上に出来るようになった。目の保養が常に近くに存在するのも仕事が捗る理由の一つだろう。

 その目の保養とは勿論フロース様だ。世間では美人は三日で飽きるというが、彼女はいつ見ても美しく、ずっと眺めていたいというのがうちの親衛隊全員の願いだろう。別に下心がある訳では無い。俺だって身分は弁えているつもりだ。例えるなら、お金を払ってでも見たい美術館の芸術品や、山を登り苦労の末に頂上の絶景を眺めるのと同じ気持ちだと思っている。

 しかしながらフロース様という極上美人に対する隊員達の評判は宜しくない。思ったとおりをずけずけという物言いが、隊員達の反感を買っているとか。

 …俺は騎士になってからというもの、貴族ではないという理由で様々な罵詈雑言を浴びせられてきたので、フロース様の言葉なんぞ可愛いものに聞こえている。それに彼女の言うことは間違っていない、正当な主張だった。悪いのはあいつらの方だが、まだ十代の後半や二十代の前半の時は血気が盛んな時期で、他人の意見などは煩わしい年頃なのかもしれない。そういえば奴らは俺の言うこともあまり聞かなかったなと思い出す。

 親衛隊は俺みたいな隊長以外は騎士団の人事部で人員が構成されている。なので名簿などを見てみれば、どこもかしこも名家のご子息ばかりで、なんというか、家名の力で上がってきた者が大半を占めるのだ。そうは言っても彼らのパライバ殿下への忠誠心は本物で、戦闘訓練や勤務態度も至極真面目だ。しかしながら日常生活における常識が多少ズレていたり、欠けていたりするのは、彼らが箱入りの坊ちゃんだからだろう。


「ーーねえ、あなた。どうして制服を正しく着用しないの? それにその飾り紐モールは色が隊の指定の物と違う品じゃなくて?」


 ああ、またフロース様が隊員の至らない点に気が付いてしまった。

 騎士団の制服は所属する隊ごとに色が分けられている。パライバ殿下の親衛隊は深緑色の騎士服で、肩から吊るされる飾り紐モールの色は金だ。だが、フロース様に指摘された奴、イルデ・ウイットランは、首元を勝手に寛げ、自宅から持ち込んだ銀色の紐を装着している。着任当初俺も何度か注意したが、王族に仕える親衛隊全てを取りまとめる総隊長が「あいつは…ウイットランは何を言っても聞かんから放っておけ」と言われたのでそのまま放置していた。

 フロース様もイルデについて日ごろから鬱憤が溜まっていたからなのか、ついでとばかりに様々な指摘を立て続けに行なっている。イルデも困ったような表情から次第に不機嫌なものへと変わっていた。奴の眉間にぎゅっと皺が寄った瞬間に俺は止めに入った。


「姫、申し訳ありませんでした!!」


 突然の第三者の介入にフロース様はこちらを睨みつけ、イルデや他の隊員達は不思議そうな顔で俺の顔を見る。そして小さな声で「姫?」「え、なんで姫呼び?」「姫って…」などと呟く言葉が聞こえた。

 ……あ、あれ?もしかしてフロース様のことを「姫」って呼んでいるのって俺だけなの?ってそんな事は後だ。さっさとこの場を収めなければ!!


「部下の愚行は上司である私の責任です。どうかお叱りの言葉は全て、全てこの私にお願いします」

「はあ?」


 なんか激しく収め方を間違った気がする。フロース様は「何言ってんの?」みたいな感じに不機嫌顔で首を傾げ、隊員達はまたボソボソと要らぬことを囁き合っている。ーーというか、さっきから聞こえているぞ!!誰だ?この俺が女性に対して被虐趣味があるんじゃないかと言った奴は!!

 ボソボソと陰口を叩かれる俺を可哀想に思ったからか、フロース様は興が醒めたようで部屋から出て行ってしまった。


「ーーイルデ・ウイットラン。俺はその服装について注意はしないが、服装の緩みは気の緩みにも繋がるという言葉がある。その格好を続けるのならば、覚えておけ」


 俺はイルデの返事を聞かないうちに部屋から退室する。就業時間はとっくの昔に終わっていた。


「……うっわ!!」

「……」


 執務室の扉を開けるとすぐ前にフロース様が立っていた。もう少しでぶつかる所だったのかもしれない。いろんな意味で危なかった!!そんな風に一人狼狽していると、フロース様が隣の休憩所を指差しながらこう言った。


「ーーちょっといいかしら?」


 俺は有無を言わせず休憩所へと連行されることとなった。フロース様は部屋の隅にある簡易的な台所でお湯を沸かし、紅茶を淹れてくれた。なんだか申し訳ない気分になりながらも、喉が渇いていたのでありがたく戴いた。

 そして何の話だろうと美貌の持ち主を見れば、ナイフで心臓を一突きするような言葉を発した。


「あなた、部下に舐められているんじゃなくて?」

「……」


 危うく口に含んでいた紅茶を噴出しそうになった。

 部下に舐められているだと?ーーそんなこと重々承知だ。俺は魔物討伐の実績だけでここまで這い上がってきた変わり者だ。この王宮内のほとんどは有名な貴族が輩出した名家の騎士たちで、その中で無名の家柄だと思われ(何故か貴族と思われている)自分達の方が家柄は上だと軽くみなされている。


「ーー王宮(ここ)は格式を重んじる場所ですから、外周りをしている騎士達とは訳が違うのです」

「どういう意味かしら?」

「家柄を重視するということです」

「まあ! そんな下らない理由なの?」


 そんな下らない理由で俺はお飾りの隊長をしていた。もう一人、殿下が無理を言って他の場所から引き抜いた奴も居るが、あいつはこんなちっぽけな事は気にせずに任務をこなしている。


「失礼だけどあなた若すぎなんじゃなくって?」

「若い? 私位の年齢なら隊長格は沢山いますよ」

「嘘よ! 二十代で王子付きの親衛隊長に実力で選ばれるなんて」

「ーーん?」


 親衛隊の隊長だけは王族が直接指名出来るようになっている。姫君の親衛隊長などは家柄・見た目などが良い者や、いずれ結婚を考えている相手を選ぶ場合が多い。逆に王子の場合は経験を積んだ熟練の騎士が指名されるという。他の王子の親衛隊長は平均年齢は四十位で、確かに俺は若い方だがフロース様は大変な勘違いをしていた。


「姫様…」

「なによ!」

「あの…俺、じゃなくて、私はラウルスと同じ年…今年で三十一になるんですけど」

「は、はあ?!」


 やはりフロース様にも若く見えていたのかと落ち込む。昔から年齢よりも若く見られることが多々あった。ルティーナ国内の平均身長より低い背や、短く刈った髪の毛が原因だろうか。身分を示す飾りの無い外套を纏っているときなどは新人に間違われ、知らない騎士から顎で使われそうになった忌まわしい記憶もある。女性の童顔はお得感があるが、男の童顔は恥ずかしい思いをすることが多いのだ。


「……」

「……」

「その、ごめんなさい。私、あなたのことを同じ年位だと思っていたの」

「はあ」

「……何の話をしていたんだったかしら?」

「私が舐められているという話でした」

「……そう、だったわね」


 沈黙が痛い。フロース様は同年代と思われる俺に喝を入れようとしていたのか、急に黙り込んでしまった。もう、帰ってもいいだろうか…愛馬が騎士隊の厩舎で待っている。ちなみに出退勤は馬で移動していた。ほとんどの独身者は騎士舎に住んでいるが、三十を超えると追い出されてしまう。俺は二十九の時に親衛隊の総隊長の薦めで家を買った。小さな庭と馬小屋のある二階建てのささやかな家だ。十年もの住宅用借付金を背負った俺に嫁いで来てくれる素晴らしい奥さんはどこかに居ないものか。殿下が婚約でもしない限り親衛隊も結婚出来ないが、家を買った今、想像だけが膨らむ寂しい毎日を過ごしていた。…美人じゃなくていい、料理も家事も下手で構わない。優しくて、休日に一緒に庭弄りをしてくれる女性がいい…、そんな妄想を思い浮かべていると、フロース様が話を始めている所だった。


「服装の乱れは気の乱れに繋がると言っていたわね。…本当にその通りだと思うわ。私も他人のことは気にしなきゃいいんだけど、言わなければ気が済まない困った性分なのよ」

「…いえ、こちらが言わなければいけないことなのに、申し訳ありませんでした」


 フロース様は困ったような表情を浮かべると、すっかり冷えてしまった紅茶を一口啜り、窓枠の外の星空を静かに見上げていた。


 <登場人物紹介>


 ◇イグニス・パルウァエ


 本作の主人公。三十一歳。


 ◇フロース・ユースティティア


 公爵家の令嬢。二十五歳。王族の父を持ち、十四歳の頃からランドマルク領で十年間過ごしていたが、祖母の具合の悪化を聞きつけて王都へと帰って来る。


 ◇ラウルス・ランドマルク


 男装の麗人。三十一歳。元ランドマルク領の領主で、とある事件により、領土を追われ怪我を負って王都へ移り住む事に。公爵家で治療を続けている。イグニスとは従騎士時代からの付き合いがあった。

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