5話 冬の到来
そろそろ話はラストスパート!
変質者だ。
いい歳をした大人が、付きまとっている女子中学生が出てくるのを校門の前で待っている。
あるいは可愛い子を物色して誘拐でもする気なのかもしれない。
中学校の校門前に立っていると、そんな目で見られている気がする。
実際はそんなことはない!
妹が出てくるのを待っているお兄ちゃんとかそんな程度だ!
いや……待っているのは弟かもしれないじゃないか!!
なれない場所に、人前にいるとネガティブな想像ばかりしてしまう。
それを振り払おうと無理にポジティブ(?)なことを考えるが、気持ちはネガティブなままだ。
もしも千夏が出てくるのが遅かったら、僕はいたたまれなくてその場を逃げていたかもしれない。
中学生の群れの中にあっても、千夏は背が低い。
そのおかげで見つけやすくもある。
「千夏!」
思わず声を上げてしまう僕に――
「げっ!」
げっ! ってなんだよ!!(がっくり)
「きゃ~! 変質者! ストーカー! ロリコン! やぶ医者! 割烹着フェチ!!」
え……
僕を指差して声高に叫ぶ千夏。
「きゃー! きゃー! きゃー!」
そのまま千夏は叫びながら走り去って行く。
ちょっと待て……
あまりのことに膠着して動けない僕を遠巻きに見ている中学生達。
その視線が痛い……というかやばい………
生徒達がざわざわしている。
携帯でどこかに連絡しようとしている子もいる。
かなりやばい!
「あははははっ!」
青ざめる僕の耳に女の子の笑い声。
「あ~おかしぃ、大丈夫ですか?」
「君は?」
「覚えてません? イベント会場で秋穂お姉ちゃんと一緒にいた笹山冬美です」
涙まで浮かべながら笑っている少女、笹山冬美。
「ありがとう、助かったよ」
「なんのなんの、俺も楽しませてもらいましたから!」
「いや、本当に助かったよ」
自分のことを「俺」と呼ぶこの少女、冬美ちゃんは髪も短くボーイッシュで、セーラー服じゃなければ男の子と言っても信じてしまいそうな子だ。
落ち着きがてらお礼もかねて一緒に入った喫茶店、彼女がコーヒーを飲む姿もどこか中性的な感じがする。
ただ、声が女の子特有の鈴が鳴るような声なので、それらは荒い男らしさよりも逆に闊達な少女性を演出している。
冬美ちゃんがあのあと 駆けつけてきた教師に誤解を解いてくれなかったら――
今頃どうなっていたのか?
ぞっとする……
「ところで――」
カップを置いて改まる冬美ちゃん。
「ロリコンは秋穂お姉ちゃんから聞いてましたけど、割烹着フェチって本当ですか?」
「ぶっっ!! げほっ! げほっっ!!」
口に含んだコーヒーを吹くところだった。
「ち、違う! あれはあの子が勝手に言ってるだけで――」
気管の上を叩いて息を落ち着かせながらこたえる。
「あ? じゃあやっぱりひょっとして俺と仲間だったりします?」
「仲間?」
「あれ? 秋穂お姉ちゃんからは聞いてないんだ? 俺はナースフェチなのさ」
にやりと得意顔で言う冬美ちゃん。
「実は俺も将来は医者を目指してるんだ。なんていってもナースを見放題だもんね! それに病院といえばその手の小道具の宝庫! めくるめくアブノーマルヘブン! ああ……医者っていいですよね――」
その手ってどの手だよ?
いや、わかるけどさ……
こぶしを握って目をきらきらさせているよ、熱い子だなぁ。
確かに僕は医者だけど、ナースフェチ仲間ではないんだ、ごめんね。
「悦に浸っているところを悪いんだけど、ちょっといいかな?」
「え? ああ! ごめんごめん!」
我に返り、よだれを拭うように自分の口元を触る冬美ちゃん。
いったいどんな妄想をしていたんだ?
「笹山さんに姪に近付くなって言われてたんだ。だからこのことは笹山さんに黙っておいてもらえるかな?」
「ああ! そういえば俺にも言ってた! 工藤先生に近付くなって!」
手をぽむっと叩く冬美ちゃん。
「秋穂お姉ちゃんも小心者だけど、工藤先生も小心者だね。秋穂お姉ちゃんが怖い?」
「怖いかと聞かれると……ん~………」
注射針を手に持って睨みつけられた時は怖かったけど、でもこの程度のことでそこまで怒る人でもないだろう。
そうは言っても波風は立って欲しくない。
もしも彼女の反感を買って、もしも要らぬ噂が病院で広まったら――
彼女が、と言うよりも、事がこじれるのが怖いのだ。
「黙っておいてあげる代わりに1つお願い聞いてくれますか?」
考え込んでいる僕の心の内を見透かしたような笑みで冬美ちゃんが声をかける。
余計に事がこじれているのではないか?
マンションのドアに鍵を挿しながらいつもの溜め息が出る。
冬美ちゃんのお願いを断れないままずるずるとここまで来てしまった。
「おや? 綺麗ですね」
中に入るなりきょろきょろと見渡す冬美ちゃん。
「俺の部屋なんて本が散らばってて足の踏み場もないよ」
「綺麗なのはこことキッチンくらいだよ。僕も自分の部屋は散らかりっぱなしだよ」
綺麗にするようになったのは千夏が来るようになってからだ。
自室には触れないでくれていたけど、千夏は少しでも散らかると嫌がる子だった。
ふと気がつくと冬美ちゃんが僕の顔をにやにやと見ていた。
「な、なに?」
「いえいえ、何でもございません」
思わせぶりな言い方でまた周囲をきょろきょろと見る。
「工藤先生の恋人さんは綺麗好きなのかな?」
「ええ?!」
にやりと笑って部屋の隅にたたんで置いてあった千夏の寝巻きを指差す冬美ちゃん。
「女物のパジャマを見つけちゃいました」
「あっ!!」
し、しまったぁ!!!!
「ちちち、違うんだ! そ、それはねっ!」
「落ち着いてください。俺には別にどうでもいいことだから」
そのわりに顔がにやにや笑っているじゃないか!
「まぁ、秋穂お姉ちゃんは残念がるだろうけどね」
「え?」
ん?どういう意味だ?
「そ・れ・よ・り・も!」
声高に話を止める冬美ちゃん。
「ねぇ! 例の物は? どこにあるの? 早く見せてください!」
物って……わざと怪しい言い回ししてるなぁ。
目をきらきらさせて早く早くとせがまれ、僕が持ってきたのは――
「わああああぁぁぁぁっっっ!!!! 憧れの白衣!!!」
そんな騒ぐものなのか?
「薬品臭い学者の白衣でもなく、子供臭い教師の白衣でもなく、正真正銘消毒臭い医者の白衣! これだ!!」
いや、綺麗なやつだから匂いはないと思うぞ。
「着ていいですよね? 着るために来たんだし」
「言いながら着てるじゃないか――」
嬉々として袖を通していく。
「ナース服は人に着せるものだけど、やっぱり白衣は自分で着るものだよね♪」
そうだったのか……はじめて知ったよ。
わざわざ用意した横長の伊達メガネをかけて姿見でポーズをとっている。
なんだかテンションについていけそうにない。
テンションにはついていけないが……これはこれで萌えの1つなのだろうか?
そう思うとついつい観察してしまう。
セーラー服の上に着た白衣は、冬美ちゃんには悪いが医者と言うよりも化学部の部長と言ったところだろうか?
個人的には笹山さんが即売会でつけていたようなメガネが好みだが、彼女には横長のメガネがよく似合っている。
きつい印象ではなく、知的でプライドの高い、自信と落ち着きを併せ持った印象をかもし出している。
白衣は足首まで伸び、本来ならスカートの下に見えているはずの足を隠している。
にもかかわらず、白衣の間からちらちらと見える足が、素で見るよりも妙にそそる。
中学生らしい健康的な脚線美が思いの外なまめかしく、中性的だと思っていた冬美ちゃんの隠れていた色香にあてられてしまう。
「こら~どこを見てるの~ぼく~」
「え?」
足に見とれていて冬美ちゃんがこちらを見ていることに気付かなかった。
「きみはおませさんだね~、先生の足が見たくても勝手にベッドから起きちゃ駄目でしょ~」
「うわっ!」
言いながら僕をソファへ押し倒す冬美ちゃん。
「えっと……冬美ちゃん? な、なに?」
いつ用意したのか、聴診器を手に近付いてくる。
伊達メガネ越しに見る冬美ちゃんの目は、隠微な笑みを浮かべ、僕をまっすぐに見る。
まるで邪気がないにもかかわらず、その目から微妙な危険を感じる。
口元にまでうそ臭い無垢な笑顔を広げ、冬美ちゃんは子供に対するような甘ったるい口調でこういった。
「おいしゃさんごっこ♪」
こふっ!
マンガだったら鼻血が出ていただろう、頭の裏がじんじんする。
本気なのか……その気なのか?
いや、中学生だし、そんなわけがない。
悪のりが暴走してるんだ……よね?
対応に困って挙動不審になっている僕をよそに、聴診器を片手に持って笑いながら僕の上着を捲し上げよう
とする冬美ちゃん――
ガチャッ
………
……………
…………………
ああ、神様、どうか僕に教えてください。
どうしてこのタイミングで千夏が来るのですか?
「千夏!!!!」
冬美ちゃんを手でどけ、すぐに玄関へ駆け出した。
しかし僕が駆け出した時には千夏も踵を返しており、玄関ドアから顔を出してもすでに千夏は閉まるエレベーターの向こうだった。
「すごいタイミングだね」
うなだれる僕に声をかける冬美ちゃん。
「ところでお医者さんごっこの続きはどうする?」
………帰れ!!
帰れっ!
でもハイテンションな女の子って楽しそうで幸せそうでいいよね。