3話 即売会に夏が来た!
3話目です。
話が動き始める……よ?
「ち~ちゃん先生こんちわ~」
セーラー服を着た小学生……もとい、高校生が明るい顔で僕に駆け寄ったきた。
周囲にいた看護婦や患者さん達がいぶかしげな目で見ている。
僕が目立つのが苦手だと知っていてわざとやっているのだ。
僕にとってはこいつ、千夏は悪魔以外の何者でもない。
「………こんにちわ……」
「お? 反応わる~、『千夏ぅ~!こんちわ~!!』くらい言えんかのう、まったく最近の若いもんは……」
「……病院なんかに何をしに来たんだ?」
その悪魔が僕の職場である市立病院にまでやってきた。
本当は走って逃げたいくらいだ。
ため息をつく僕を手振りで呼ぶので彼女に合わせて少ししゃがむと――
「ここ数ヶ月、生理がこなくてね、産婦人科で検査してもらおうと思って……」
「んなっ?!」
なんだとぉぉぉっっ!!!
思わず持っていた書類をばらばらと落としてしまう。
「嘘に決まってんじゃん、ち~ちゃん驚きすぎ~」
……舌を出しておどけるこの悪魔を殴りたい。
「じゃあね、今晩も遊びに行くから、しっかり働きなよ~」
「こ、こらっ!?」
悪魔が周囲に聞こえる声でそう言うと、踵を返して去って行った。
ああ……周囲の視線がまた痛い――
違うんだ!
僕とあいつはそんな関係じゃないんだ!
「工藤先生がロリコンだって噂が立ってますけど本当ですか?」
金槌で頭を殴られたようだというのはこういうのだろう。
本当にこの場にうなだれてしまいそうだ……
「ど……どこでそんな噂が?」
「今 看護婦の間ではその話題で持ち切りですよ」
「違うんだ! あいつは高校生だし、こっちが付きまとわれて困ってるんだ!」
「ふ~ん……」
僕に声をかけた看護婦はなにやら考え込んでいる。
そういえば時々声をかけてくれるのにこの人の名前を覚えてない。
名札は……笹山さんか。
「じゃあ煙は否定するけど火元は肯定するわけですね」
「え……それは、まぁ……そうだけど………」
そうなのか?
すっと顔を近付ける笹山さん。
「ロリコン」
僕の耳元でつぶやかれる……
ち! 違うんだ!
僕はオタクだけどロリコンじゃないんだ!
小走りで去って行く笹山さんの背に、僕は声にならない声でわけのわからないことを叫んでいた……叫んでいた……叫んでいた……
「ただいま……」
「おう! お帰り! 先にお風呂もらったっすよ!」
家に帰ったら帰ったでこいつがいる……
最近、千夏が遊びに来ることが多くなった。
当然 色っぽい話ではなく、たんにうちに大量にあるマンガを読みに来ているだけだ。
湯上りで尻尾をほどいている千夏がソファに寝転がってマンガを読んでいる。
寝巻きに着替えているということは今日も泊まって行くつもりだ。
もはやここが我が家といわんばかりのくつろぎようだ。
千夏を追い出せないのは彼女の身の上に同情しての部分が大きい。
千夏の父親は暴力癖があり、彼女や彼女の母親によく暴力を振るうのだそうだ。
そのため、それから逃れるために昔からたびたび家出をしているのだそうだ。
「母親は心配してないのか?」
「ん~」
部屋に荷物を置きながら何気なく聞いてみた。
「お母さんは子供を放っぽって、お父さんの単身赴任先に遊びに行ってるよ、まったく仲のいい夫婦でいやになるよ、娘のわたしから見てもバカップル丸出しでうざいのなんの――」
「ふ~ん」
子供の面倒をちゃんと見ないのはどうかと思うけど、仲がいいのは良いことじゃないか。
「………ん?」
あれ?
ちょっと待て?
単身赴任してるのにどうやって娘に暴力振るうんだ?
「父親の暴力が理由でうちに来てるんじゃないのかよ!」
「ええええ?! ち~ちゃん信じてたの!!」
「おまえ……あれも嘘か! 嘘ばっかりじゃないか!!!」
さすがの僕もこれはキレるぞ!
「ところでさ、同人誌即売会っていうやつに今度連れて行ってよ、わたし、一度体験してみたかったんすよ」
「………」
笑顔で弱みを握っていることを思い出させてくれる悪魔――
そうだった、エロ同人誌が散らばる僕の部屋を撮られているんだった。
「お願いです、千夏さん、勘弁してください」
思わず両手を合わせて深々と頭を下げる僕に対して、
「え~どうしよっかな~」
楽しそうに言う千夏。
病院のみんなは誤解している。
僕がこんな悪魔といい関係になるわけがない。
千夏と僕の関係はそう……女王様と下僕のかんけ――
駄目だ!
たとえ心の中でもそれを認めたら人間として何かが終わる気がする!
どうあがいても僕は千夏には逆らえない。
「うっわ! すっげ~オタク密度!!!」
だから同人誌即売会に行きたいという彼女にも逆らえない――
「ち~ちゃん! 360度どっち向いてもやばいっすよ!」
彼女の高い声はよく響く。
きょろきょろするのはいいが、みんなの視線も気にしてくれ。
千夏のせいで僕はいたたまれない状況だ。
「何あいつ? こんな場所に小学生を連れてくんなよな」
「おいおい、真性ロリコンかよ」
そして周囲から聞こえる僕に対する陰口――
千夏のせいで僕は……
「女性向けの同人誌って言うのもあるんすよね? 案内してよ」
それでも千夏はどこかうきうきしているようだ。
まあ……物珍しいのだろう。
背の低い千夏は、人波に埋もれながらもずんずん歩いていく。
見失わないようについていくのが大変だ。
それにしても女性向けの同人誌――
右を見ても左を見てもホモマンガだらけで目のやり場に困る。
女は本当にこんなのがいいのか?
「工藤先生?!」
「え?」
振り向くと、見慣れたナース服……いや、見慣れているはずなのに見慣れないものが付いている。
猫耳ナース?
首には大きな鈴までついている。
ある意味この場にふさわしい格好だが……。
しまった!という顔の猫耳ナースは見覚えのある顔だ。
普段はかけていない、ずり落ちそうなほど大きな丸メガネをかけてはいるが……
……名前忘れた――よく声をかけてくれる看護婦だ。
本物の看護婦が看護婦のコスプレと言うのはどうなのだろう?
いや、普通の看護婦姿じゃないけどね。
いつも見慣れた白いナース服とは違い、フリルのたくさんついたオタク仕様という感じかな?
真面目だけど気さくで同僚にも受けのいい、けれどそつなく仕事をこなす大人な看護婦なのに、こういう格好をするとまさに猫なで声が似合いそうな幼児性が引き出されている。
そのギャップがなんとも……同族の色香、とでも表現したらいいのだろうか?
下手な化粧よりもよほど女性の魅力を引き出しているなぁと感じてしまう。
そういえばこの人にもロリコン呼ばわりされたんだっけ……
人をロリコン呼ばわりしておいてよくぞまぁこんな姿を――
お互い目線をあわせたまま乾いた汗を浮かべてしまう。
「誰?オタク仲間?」
人ごみからひょっこり顔を出した千夏が僕に聞く。
「梶本さん?!」
今度は看護婦の隣にいた少女が千夏を見て声を上げた。
「あ……あああ!!!」
目をまん丸にして驚いている千夏。
「さ、先に帰る!!」
「え?!ち、千夏!」
千夏は耳まで真っ赤にして踵を返すと、もぐるようにして人ごみの中に消えてしまう――
思えばそれは僕が初めて見る、素の千夏だった。
笹山さんのフルネームは笹山秋穂。
春夏秋冬の秋です。
ち~ちゃんちゃんと覚えてね!
ちなみにペンネームは陸麦水穂と言います。