頁ⅰ 黒猫と少女
――――――チリ――ン‥
肌を刺すような冷たい空気が、大気中を漂っている。地面は真っ白な雪が覆っており、道なりに途切れることなく続いている。足が沈むほどではなくとも、それなりに厚みがあるように思われる。道だけでなく家の屋根などにも積もっており、霧がかかっていることも相まって、見渡す限り真っ白だ。
もうすぐ昼になろうかという時間帯にもかかわらず、太陽が隠れているせいか、気温はあまり上がっていない。
時々吹く風が、少年の頬を掠めて黒く細い髪を揺らした。
「寒いな…」
呟くと同時に吐いた息が空気中で白くなって、一瞬のうちに霧散していく。
『寒い』と言っておきながら、大してそんな素振りも見せていない少年。シャツの上に薄手のパーカーを羽織っただけという、なんともラフな格好は、寒さを防ぐというよりは動き易さを重視したという感じだ。下に至っては、半ズボンにブーツという防寒の薄さである。
何故か背中には、バットを入れるような細長い円筒状の物を、紐を左肩に掛けて背負っている。
意図的なのか自然にそうなったのか、少年の瞳は前髪とフードの影で窺い知れないが、顔立ちは整っていると言えるだろう。大人びた雰囲気を纏っているが、その表情にはまだ幼さが残っている。
踏みしめた雪が固まって、歩いた跡が付いていく――――――――――――その跡が、ある建物の前で止まった。何の変哲もない普通の店のようだ。少年は迷うことなく、その店の中に足を踏み入れた――――――――‥
☩
店の中は暖房が効いているのか、外より断然暖かかった。そのためか、暖を取るために集まった人々で店の中はそれなりに賑わっていた。さほど大きい店ではなかったが、設備はしっかりと整っているようだ。カフェのような作りで、カウンターから個別のテーブルまで様々な客が座っている。
少年はそのまま、つかつかと進んでカウンターの空いている席に腰掛けた。テーブルの方は結構客で埋まっているが、カウンターの方は比較的空いている。
席に座った少年を見て、カウンターの向こう側から老齢の男性が話しかける。どうやら、この店の店主のようだ。
「見ない顔だねぇ。旅の人かい?」
穏やかな表情で微笑みながら、コップを拭く手は休めない。
「ええ。まぁ…」
少年はいきなり声をかけられたことに少々驚いたようだが、すぐに微笑んで答えを返した。未だ瞳は隠れたままだが、それでも明るく感じられる笑顔だった。
「一人でかい。大変だろう」
店主は、まるで我が子に語りかけるような優しい声音で心配そうに問いかけた。
「もう慣れましたよ」
流暢な敬語でそう答える少年からは、外見よりも少し大人びた印象を感じさせる。
「まあ、こんなご時世だからねぇ。仕方ないのかもしれないね」
そう言った店主の口調は明るかったが、どこか悲しさを秘めている。
「そうですね……」
少年は静かな声音で一言そう答えると、店内を見回した。
「あの子は…?」
少年が店内の一人の人物を指差す。
「ん?ああ…」
店主は、少年の指差した方向を目で追い、すぐにその人物を見つけた。
エプロンを身につけた少女で、料理を持って店内を忙しく動き回っている。肩くらいまで伸びた薄いクリーム色の髪を右肩で結って、そこに一輪の造花を付けている。深い海色の瞳にはまだ幼さが残っている。愛想の良い笑顔で接客する少女から疲労感などは感じられない。
「あの子はね、うちで預かってる子なんだけど、何もしないのは悪いからって店をの手伝いをしてくれているのさ。よく働いてくれて助かってるんだよ」
まるで我が子を自慢する父親のように誇らしげに話している。
「あの子も十五歳になるから、色んな所に連れて行って色んな体験させてあげたいんだけれど、この店からも離れられないから……。あの子には悪いと思っているんだけどねぇ」
店主は本当に少女の事を想っているようで、少女に対する自分の気持ちをつらつらと紡いでいく。
「そうやって想ってもらっているだけでも、幸せだと思いますよ」
少年はそう言うと、店主を慰めるように微笑んでみせた。しかし、少年の顔にかかる影のせいか、その表情はどこか暗い。
「そうだと良いんだけどねぇ」
少年の言葉に少し励まされたようで、店主は明るく笑った。
そんな話をしていると、例の少女が近寄ってきた。空になったおぼんを両手で抱きかかえて、カウンターを挟んで店主を見上げる。
「ずいぶん空いてきたので買い出しに行ってきます」
少年と店主が話している内に、昼も過ぎて客数も減ってきていた。
少女はカウンターにおぼんを置くと、少年に気付いたようで振り向いて笑顔で軽く会釈をした。それに釣られて少年も笑顔で会釈を返す。
「丁度切れかけてた材料があったから助かるよ。疲れてるだろうけど頼むね」
店主は、働きっぱなしの少女を労うように微笑みかける。
「いいえっ、全然大丈夫です!行ってきます」
明るい笑顔にハッキリとした口調でそう伝えると、小走りで店の奥へと入っていった。
少女の後姿を横目で見送ると、少年は足元に立て掛けてあった円筒状の布を肩に掛けて立ち上がった。
「おや、もう帰るのかい」
少年の様子を見て、店主が問いかける。
「ええ。今日は様子見に来ただけですから」
「?」
少年は笑顔で答えたが、店主は意味が解らないという風に首を傾げた。
「また来ます」
一言言い残して、少年は店を出ていった。
☩
現在から五年前に起きた、ある大きな戦争――――――‥
その終結に伴って『世界の消失』が始まった。消失を食い止める為、人々は三人の人柱を立てた。それが過ちだとも気付かずに……。あるいは気付いていたとしても結果は変わらなかったのかもしれない。何の力も持たない人間は、そうして何かを犠牲にして神に縋るしか他に方法は無かったのだから――――――。
――――――――――そうして現在。
各地から溢れる“負”と霊鬼の暴走などによって国の治安は乱れてきていた。また、“負”の感情を抱える人々が増加し、霊鬼との契約者による事件も続出していた。
しかし多くの人々は、通常を逸したこの出来事に身近さが感じられず、あまり事態を重く考えてはいなかった。それでも時間は進む――――--‥。ある一つの結末、繰り返す過ちと絶望に向かって……。
坂の上を転がり出した石は、簡単に止まることはない。その速度を徐々に上げながら、いつか砕けて無くなるその時まで、いつまでも、いつまでも――――――――――――――
☩
すでに道を照らす明かりは、月の光とちらほら立っている街頭だけとなった。家などの窓から漏れる明かりも殆ど見当たらない。
真夜中――――――。昼からだいぶ気温も下がっている。雪は降っていなかったが、それでも水面に氷が張るほどの低い気温である。光が無い事も相まって、街は不気味な雰囲気を醸し出していた。無論、人通りは無い。
しかし、遅くまで仕事でもしていたのか、それとも遠出でもしていたのか。事情は分からないが、一人の女性が雪の上を歩いていた。走る、とまではいかないが、少し急いでいるといった感じだ。
そんな女性の様子を屋根の上から見下ろす人影。暗闇と完全に同化したその姿は、闇の中の黒猫のような印象を与える。
「…来たな……」
人影がそう呟くが早いか、女性の目の前に異様な影が浮かび上がった。人のように見えなくもないが、そのシルエットは明らかに大きい。さらに言うならば、人としてはあってはならない突起のようなものが幾つも付いている。
その異形の影を目の当たりにした女性は、声も上げられず冷たい雪の上に尻餅をつく。異形の影は、構わず女性に少しずつ近付いていく。女性に触れるまであと数歩という所で、屋根の上の人影が動いた。右手で指鉄砲の形を作り、その標準を異形の影に合わせる。そして、一呼吸おいて影は静かに呟いた――――――
「『 』」
――――――その言葉に呼応するように光が溢れる。一瞬のフラッシュの後、異形の影は消えていた。襲われかけていた女性は事態を飲み込めずに、未だ尻餅をついたまま呆けている。異形の消えた跡を見て人影はバツが悪そうに眉間に皺を寄せた。
「逃がしたか…」
面倒臭そうに呟くと、影は踵を返して闇の中に消えていった。
☩
店は昨日より空いているようだ。時刻は同じだったが、テーブルの空きが昨日より多く見られた。
「あっ、また来てくれたんですね」
少女は少年を見つけるなり、とてとてと走ってきた。
「ああ、えっと…」
少年は声を掛けられて咄嗟に少女の名前を呼ぼうとしたが、まだ聞いていないのを思い出して口籠った。それを悟った少女は、面識が少ない事も気にせず自分の名前を教える。
「私、嘉瑞って言います」
キラキラとした笑顔で名乗る少女――――――嘉瑞に、少年も笑顔を向ける。
「いい名前ですね」
少年の口から発せられたその言葉は単なるお世辞に聞こえなくもないが、全くの邪気のない笑顔で言葉を紡ぐ少年の様子を見ると、そう疑う気持ちも薄れてくる。
「確か…、吉兆を表す言葉ですね」
「そんな意味が…」
少年の言葉に、少々驚いたような顔をする嘉瑞。その様子に少年も違う理由で驚いた顔をする。
「自分の名前なのに知らなかったんですか?」
目を丸くして――――――と言っても目は隠れているのだが――――――尋ねる少年に、嘉瑞は少し俯いて困ったように笑った。
「今まで考えたことなかったというか…」
そこまで言うと少年に向き直る。少年の目は相変わらず窺うことは出来なかったが、視線が合っているのは何となく分かった。
「あの…、あなたの名前も教えてもらえませんか?」
穏やかに笑いながら丁寧な口調で少年に名乗るよう催促した。少年は一瞬驚いたような顔をして絶句したが、少しためらいながら口を開いた。
「俺は……」
少年が次の言葉を言おうかという瞬間に、店の奥から嘉瑞の名を呼ぶ声が響いた。どうやら注文のようだ。嘉瑞は声のした方を確認すると、もう一度少年の方に振り返った。
「すいませんっ、仕事が…。また後で教えてください」
慌てて告げた言葉に答えるように、少年は優しく微笑んでみせた。
小走りで去っていく嘉瑞の後姿を見送っていると、入れ替わりに店主が近付いてきた。
「たった二日でずいぶんと仲良くなったみたいだね。…あぁ、でも昨日は顔を合わせただけだから、実質的には今日だけか」
店主は嬉しそうに微笑みながら、少年に話しかける。
「あの子の友達が増えて私も嬉しいよ」
ニコニコと笑う店主に、少年はハニカミながら遠慮がちに口を開く。
「そんな…、ちょっと話しただけですよ」
「それでも、ありがたいさ。店も忙しくて、あの子もなかなか友達ができなくてね」
そう言って、店主は申し訳なさそうに目を伏せた。
「あの子と仲良くしてあげて欲しい」
店主は真剣な目つきになって改まって言う。その表情からは、本当に嘉瑞のことを想っているのだと感じ取れた。少年は勿論というように優しく微笑んでみせた。
「俺で良ければ」
「すまないねぇ」
少年の言葉で店主はどこかホッとしたように笑顔を浮かべた。
――――――――――――と、その時、
――――――ガシャン
重いガラスの割れるような音が店内に響き渡り、空間は一瞬で静まり返った。店内にいる誰もが、その音のした方を向く。少年と店主も即座に振り返った。
そこには――――――――――、床の上に尻餅をついてうずくまる嘉瑞と、目の焦点が合っていない男の姿があった。男は酒を多く飲んでいるようで、テーブルの上には何本もの空になった酒瓶が置いてある。その中の一本でも叩きつけたのだろう。嘉瑞のすぐ横の床には、赤いワインと割れた酒瓶の破片が広がっている。どうやら嘉瑞にケガは無いようで、すぐにスクッと立ち上がって男を見上げた。
「何てことするんですか」
瓶を投げつけられたというのに、嘉瑞は一歩も退くことなく男に問いかける。一方、男はその言葉に目をぎらつかせて嘉瑞を睨みつけた。
「あ゛ぁ?」
男の低い声と剣幕に圧され、嘉瑞の頬に冷や汗が流れる。事態を心配した店主が、急いで嘉瑞に駆け寄る。
「大丈夫かい!?ケガは…」
店主が不安げに尋ねる。
「大丈夫です。すみません」
嘉瑞は店主に心配をかけさせてしまったと、シュンとなって答えた。店主は、嘉瑞が本当にケガをしていないのを確かめると安心したように口元をほころばせた。
その間に、男は再び動き出していた。テーブルの上の手近にあった、未開封の酒瓶を手に取り振り上げる。そして、微塵も躊躇うことなく、真っ直ぐ嘉瑞に向かって振り下ろした――――――――――‥
―――――ガシャン
鈍い音が、もう一度店内に響き渡った。宙に舞う紅、粉々に砕けた瓶の破片が床にぼろぼろ落ちる。
「――――――――ッ!?」
嘉瑞が目を開くとそこには、――――――――――――――見覚えのある姿が、嘉瑞を庇うように立ち塞がっていた。
「大丈夫か、あんたら」
何事もなかったかのように尋ねる少年の顔には、もろに酒瓶の直撃を受けたようで、紅い色が流れている。その様子に二人は絶句していたが、すぐに我に返って少年に近寄る。
「あ、あんたの方が大丈夫か!?」
店主が慌てて少年の肩を引き寄せる。酒瓶の中身が紅いワインだったせいで、すぐに血かワインか判断するのは困難だった。
「嘉瑞、裏に連れて行って。治療は頼むよ」
「え…、あっ、ハイ!」
突然の出来事におどおどしていた嘉瑞だったが店主に呼ばれ、ムチを打たれたようにシャキッとなって返事をした。そして、少年に向き直って手を取る。
「あ、いや…俺は……」
遠慮がちに口を開く少年にかまわわず、嘉瑞は手を引いて店の奥へと入っていった。
狭い洗面所に、水の流れる音だけが響く。まず、顔に付いたワインを流すために顔を洗っているところでだった。嘉瑞は洗面所の入り口の所で待機していた。洗面所に扉は無かったので、縁の所に立って視線は外に向けている。
「あのぉ…」
嘉瑞が、少年に向かって躊躇いがちに呼びかける。
「もう終わりましたかー?」
水音に掻き消されないように少し声を張って尋ねる。
「ああ…」
少年の返答の声を聞いて嘉瑞が振り向くと、タオルで顔を拭いている様子が目に入った。さすがにフードは下していたが、代わりに顔を覆うようにかけたタオルのせいで、結局顔全体は見えないままだ。
「ケガはありませんでした。迷惑かけて、すみません」
淡々と述べる少年の言葉に、嘉瑞は目を丸くする。
「そんなっ…、あれでケガしてないなんて…」
信じられない、といった風にムッとして少年に近寄る。
そして、タオルを持っていた少年の腕を掴んだ。
「え…!?」
少年は驚いて一歩後退る。
「見せてください」
嘉瑞は有無を言わせぬ剣幕で、少年の顔を隠すタオルを取ろうとする。少年も最初は抵抗していたが、やがて諦めたように腕を自分から下した。少年が急に力を抜いたことによって、嘉瑞は少年の胸に倒れ込んだ。
嘉瑞が慌てて体を起こすと、そのまま少年の顔が目に入った。
「あ――――――――」
つい声が漏れてしまった。顔全体を見るのは初めてだ。
部屋の白熱電球に照らし出された少年の瞳は、美しい紅色と金色のオッドアイだった。しかも、普通の人間のような瞳ではなく、まるで猫のような細く鋭い虹彩である。
見る者によっては恐怖を抱くであろうその瞳に、嘉瑞は恍惚と見入っていた。
「珍しいな…」
沈黙に耐えかねてか、少年が口が開いた。
「俺の瞳を見て怯えないなんて」
そう言って少年は自嘲気味に笑った。敬語をやめた口調のせいで、また違った雰囲気を感じさせる。
一方、嘉瑞は全く恐がる様子もなく、いつも通りの表情で口を開いた。
「…逆です」
「?」
突然、嘉瑞の口から発せられた言葉に、少年は訝しげな表情をする。そして、嘉瑞は少し躊躇いながらも次の言葉を紡いでいく。
「私はその瞳、綺麗だと思います…」
「――――――――――!」
ハッキリと言い放った嘉瑞の言葉に、少年は驚いた顔したまま絶句した。
やがて、少年はその顔を少しずつ綻ばせ、静かな声で笑い出した。その様子に、今度は嘉瑞が驚いた顔をする。
「なっ、なんで笑うんですかっ」
嘉瑞は少し赤面気味になって少年に尋ねる。
「いや……」
少年は、笑いを堪えながら言葉を紡ぐ。
「ハハ…、嘘っぽい…ッ」
「なっ!?嘘じゃないですよ!」
少年の言葉に必死に反論する嘉瑞。そこで、少年はやっと笑うのをやめると、次は穏やかな微笑みを浮かべて振り向いた。
「分かってる…。ありがとう」
嘉瑞の目を真っ直ぐに見つめながら発せられた少年の率直な言葉に、また赤面したのを隠すように顔を逸らした。
「……あれ?」
顔を戻すと、あるものが嘉瑞の目に映って声をあげる。今までフードを被っていて気付かなかったが、少年の首筋に大きな切り傷のようなものがあった。もう負ってからだいぶ経つと思われる痕だったが、それはくっきり残っている。
「その傷…」
「?あぁ、これ……」
嘉瑞の呟いた言葉に気付いて、少年は傷を手で覆う。
「これは、さっきのでできた傷じゃないから」
傷を覆ったままそう呟いた少年の瞳は、悲しみに沈んでいるように見えた。嘉瑞もそれ以上問うこともできなくて黙ってしまった。
しばらく二人の間に沈黙が流れたが、やがて少年が口を開く。
「そろそろ戻りましょうか」
フードを深く被りなおして、嘉瑞に笑顔を向ける。敬語に戻っていたこともあって、先程とはまるで別人のように感じてしまう。
結局は最初に戻っただけなのだが、その変化に少し躊躇う。
「そ、そうですね」
嘉瑞は慌てて言葉を返すと、そのまま店内へと戻っていった。
少年もすぐに後を追おうとしたが、途中で立ち止まる。
「綺麗…か……」
小さな声でそう呟いて一度目を伏せる。そしてすぐに顔をあげると、洗面所を後にした。
☩
店内に戻ると、あの男の姿はもう無かった。恐らく何人かの手によって追い出されたのだろう。
奥から戻ってきた二人の姿を見つけた店主が近寄ってきた。
「お帰り。ケガは…」
店主に尋ねられて、嘉瑞は一度少年に目配せして向き直った。
「無かったです」
「なんと!あれでケガ一つしなかったのかい」
店主は嘉瑞と同じような反応をする。投げつけられた瓶が顔面に直撃してケガ一つしなかったと言えば、大抵の人は同じように驚くか、信じないかのどちらかだろう。
「あれぐらいじゃ、ケガしませんから」
嘉瑞に代わって少年が口を開いた。愛想の良い笑みを浮かべて当たり前のように言っているが、普通ならば有り得ない。
「そ、そうか…、ずいぶんと丈夫なんだね」
少年の言葉に、店主は苦笑いになりながら言葉を吐き出した。
「あ…、あの男の人はどうしたんですか?」
嘉瑞がふと思いだしたように店主に尋ねる。
「ああ、外に連れて行ったよ。なんかね、二人が奥に入った途端に大人しくなっちゃって」
店主は顎に手を当てて、思い出すような素振りをする。
「なんだったんだろうねぇ。まぁ、誰もケガしなくて良かったけど」
そこまで言うと、少年の方を向いて笑顔を浮かべる。
「そういえば、まだお礼を言ってなかったね。ありがとう」
「いえ。何ともなくて良かったです」
店主の言葉に、少年も笑顔で返事をする。
その時、店内に息を切らした青年が入ってきた。どうやら、先程の男を追放した一人のようだ。汗を垂らしながら、顔は恐怖の色に染まっている。
慌てた様子で店主に駆け寄ると、呂律の回らない言葉で必死に用件を伝える。
「店長ッ…、さっ、さっきの男がぁッ」
「どうしたんだ!?一体…」
青年の様子に驚いて声を掛ける店主。
また、少年も青年の様子に反応した。
「やっぱりか…」
小さな声で呟くが早いか、置いてあった円筒状の布を手に取って外まで走って行った。
そのことに気付いた店主が呟く。
「どうしたんだ、あの子……。あっ!おい――――――――――」
嘉瑞も少年の後を追って走り出していた。店主の止める声も届かない。なぜ行くのか、自分でも解らなくなっていたが何かに引っ張られるように外に出た。
☩
外に出ると雪が降っていた。
嘉瑞は辺りを見回したが、少年の姿は見当たらない。
――どこに行ったんだろう…。
心の中で呟いた時、背後に何者かの気配を感じた。少年か、あるいは自分を追ってきた店主かと思って振り返った――――――――そこには、全く想像していなかった姿があった。いや、正しくは“想像していた姿と違っていた”のだ。
先程、自分を襲ってきた男の姿――――――――――――その姿は、まるで悪魔の姿をそのまま映したように尻尾やら角やらが生え、禍々しい気を放っていた。
男は焦点の合っていない目で嘉瑞を見下ろす。その視線の圧迫感に、いくつもの手で全身を抑えつけられているような感覚に陥った。
逃げようとしても、足が震えて立っているのがやっとだ。
「――――――ロス……」
男が口を開く。発する言葉は、同じ人間のものとは思えない。
「コ…コろス、コロ…す、殺ス!!」
次第に激しくなる息遣いの中、吐き出す言葉に連動するように拳を握った右腕を徐々に振り上げていく。
「…え――――――――」
自分の身の危険を本能的に察知して目を閉ざす。視界が暗闇に覆われた中で、風を切る音だけが耳に届く――――――――――‥




