第29話 仲間
店内へ入ると芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。ここのマスターが淹れる珈琲は格別。グルメサイトで紹介されていたのを思い出す。
行ったことのない店を発掘することは京子の数少ない趣味の一つだ。珈琲が美味しいと噂の喫茶店には何度も訪れている。平均で月1は巡っているため一般人の中では通と言えるレベルだろう。
そんな彼女が驚いた。ここまでコクのある奥ゆかしい香りは初めてだった。思わず深呼吸を繰り返す。
とにかく空気が美味しいのだ。
嗅覚が味覚へ変換してしまったかのようだった。舌先だけでなく鼻や肺に至るまでもが味を認識しているような錯覚を受ける。これはネットでは得ることのできない情報だった。
「何名様ですか」
「2人です」
隣の彩花が指で2のサインを作りながら伝える。愛想のよいウェイトレスに奥へと連れられる。
案内されたテーブルは凝った作りで、店の雰囲気にマッチしている。椅子にコートを引っ掛けると更に没入感を増した。
まだ注文していないのになんと満足感だろう。堪能しながら腰掛けると途端に眠気がやってくる。湧き上がる高揚に反して身体はリラックスしている。
思えば今日はずっと立ちっぱなしだった。それに彩花に連れられてジョギングを強制されたのが響いた。
「あんなに走ったのに疲れないんですか。やっぱり若さって羨ましいです」
涼しげにメニューをめくっている彼女を恨めしく思いながら問いかける。こちらは未だに汗が滲んでいるというのに。コップに溜まった水滴で指を濡らしながら見つめた。
「顔に出てないだけですよ。ほら、ここなんか汗が滲んだままです」
そういいながら襟を巻いて首元を見せてくるが、京子と比べれば無いに等しい。華やかな空気が漂ってくる。ハンカチと同じ匂いがした。
「どうして私だと気付いたんたんですか?数年前とはいえ結構見た目変えてたはずですけど」
試すように質問を投げかけてみた。先程の違和感といい、彩花が偶然を装って近づいてきたという疑惑が頭から離れない。
いまのファッションに落ち着いたのはつい最近のこと。一昨年のオープンキャンパスで知り合ったというなら当時のマイブームに染まっていたはず。
「そんなことないですよ。全然見た目変わらないじゃないですか」
京子は無言のまま写真フォルダを遡り、会ったとう日の写真を彼女の前に掲げる。友人と共に校舎の前で両手を突き上げている、俗にいうレゲェスタイルでサングラスを掛けている人物を指差す。
「これでもですか?」
お互いの間に流れる沈黙。コップの水滴が滴る音が聞こえてきそうなほど2人の間には無音が広がっている。
「なるほど、まさかそんな奇抜な服装をしているとは思いませんでした」
悪びれるわけでもなく。彩花は平然とした態度で納得しているようだった。だがその顔には1ミリも笑みはない。
「あなた一体なんなの」
すぐにでも逃げ出したかった。幸いにも周りに客が囲んでいるお陰で恐怖心は薄れている。そのせいだろうか。奥底に眠る好奇心が目の前の少女の正体を聞き出せと訴えて掛けてくる。
「今度は冷静に聞いてくれるんですね」
一体いつの話だろうか。分からないが彼女の言い分では過去にも同じようなことがあったようだ。当然だが京子にそんな記憶はない。
だが、緊張感の漂う間合いの中で微かにも。目の前の少女は微かに口を綻ばせているのを京子は見逃さなかった。それが自嘲なのか喜びなのか判断ができない。
「私達って今日が初めてですよね?」
いかなる機微も流さぬように注視しながらお冷を口に運ぶ。毛細血管の収縮で脳みそが冴え渡り、彩花の顔がはっきりと見える。手の震えは止まり、恐れによる思考の迷いはなくなった。いまの京子の集中力はかつてないほど高まっている。
「会った事実はありませんが、とある理由で私はお会いしています」
「理由?」
言葉遊びでもしているのだろうか。会ったことはないが会っている。矛盾としか取れない答えはまるで近代芸術を見せつけられているようだった。
いつだっただろうか、無数の絵画の掲げられた白い大きな展示室に捨てられたように置かれるバナナの皮。場違いと思われる異物は観客の目を惹き多くの人々の的になる。
それは後日知られることになるのだが、他の客が捨てていったただのゴミだと判明する。『これはゴミだが、ゴミじゃない』。そんなメッセージを込めたゲリラ的な作品だと認識したものの、ゴミはゴミじゃないかと当時はモヤモヤしたものだ。あの時感じた疑心感をいままさに感じ取っていた。
「何度もタイムリープしている、って言ったら信じますか?」
「し、信じられません……」
そうは言いつつも記憶のどこかで引っ掛かってモヤモヤとした気分になる。いつかこんな非現実的な言葉を聞いた気がする。一体いつのことだっただろうか。
「では、戻らせてもらいますね」
京子の思考を遮って高らかに宣言した彩花は立ち上がり、両手を大きく広げる。まるで某豪華客船の映画シーンみたいだ、と思ったが前の台詞を振り返ると刻一刻を争う事態だと即座に察する。
「もしかしてタイムリープを!?」
「では、また。京子さん」
「え、ちよ……待って――」
◇
「どうして私だと気付いたんですか?数年前とはいえ結構見た目変えてたはず、ですけど」
突然デジャブに襲われて言葉が一瞬途切れる。どうしてだろうか、前に一度同じような場面を経験したような気がした。
笑顔のままの彩花を見やる。どうしてだか悲しみを浮かべる表情が上から重なったのだ。いまの彼女からは想像できない、寂しさを訴えるような顔が頭からはなれなかった。
「初めは全然分からなかったですよ。あの時は奇抜な服装してましたよね」
そんな彼女から放たれた言葉は瞬時にして京子の思考を突き破った。なぜならいまの供述は自らの認識とかけ離れていた。これまで世間一般の目線から奇抜と言われる衣装を身につけたことはないのだから。
「もしかしてブラフだったんですね」
一体なんの話をしているのだろう。一転、険しい顔に様がらりした彼女は恐ろしい眼光で睨み込む。このままでは京子の眼球に穴が空いてしまう勢いである。
「い、一体なんの話をしているんですか。いえ、会った日は目立つ服は着ていなかったと思いますが」
反論しようとするも突然訪れた頭が痛みにより言葉が出てこない。視界に浮かぶ微かなノイズが思考を塞いでくる。この覆い被さってくる映像はなんなのだ。―
スマホをスクロールする自分の手。1つの画像をタッチして画面一杯に広がるとそれがオープンキャンパスでの記念撮影のものだと分かった。
仲良しの友人2人を校門で撮影したものだ。自前の派手な服装に身を包んでいる。京子は普段着ないようなジャンルなので詳しくは分からなかったが一部の層には流行りなことを後に知った。
彼女らにもおすすめされはしたものの古着を中心のコーディネートは世間一般の流行りに弱い自分にとっては正直性に合わなかった。そもそも服装に対する向き合い方が違っている。
京子にとっては服装とはドレスコート。極論ではあるが、時と場合に合わせて無難に整えられるのが1番だと思っている。都会であれば都会の、地方であれば地方。
だが結局は汎用性を重視して探してしまうのが彼女の悪い癖だった。どこに行っても受け入れられる小綺麗な服装、それが服を選ぶ時の基準になっている。そのため服選びは彼女に取って趣味となる楽しいモノではなく、世間とのズレを感じないための選択を強いられる場であった。
シーンは移り変わり。今と変わらず対面から見た彩花が見える。視界に重なってくるもう1人の少女。本人とは違い頭の中の彼女は雄弁に語っている。
そしてこの単語だけが妙に鮮明に聞こえてくる。
手を叩こうとすると手を止められる。
「タイムリープ……?」
「京子さん、いまなんて言いました?」
「え、いや独り言で」
「いま止めようとしましたよね。一体どこでそれを知ったのか聞いてるんです」
「わ、分からないんです。何故か手が勝手に動いたんです」
「でも反応を見るにタイムリープをしているのは本当みたいですね。先程までのあやふやだった点がスッキリした気がします」
「ならどうするつもりですか?」
「あなたを止めます。タイムリープさせません」
「しないといけない理由があるんです」
「私の時だけでも何回か遡ってますよね?時それが解決したんですか?」
図星を突かれる。
「意味がないんですよ。過去に戻ろうが戻らなかろうが結果は変わらないってことじゃないんですか」
「じゃあいままでやってきたことは無駄だったんだってことですか!」
「やり方が違うってことだと思います。私の記憶だけじゃ分からないですけど、私に会いにきたのは別の理由ですよね?何かを求めて私に会いにきたんですよね」
見捨てるわけには行かないと思った。手を握る。
「あなたからは親しみを感じました。何も知らない私には違和感に感じましたが、それはもっとずっと前に私と会っていたからではないですか?頼りたくなるほど友好的な関係をだったとか」
「京子さんなら助けてくれると思ったから。理解してくれるのは京子さんしかいなかったから」
泣く。
「相談できる人が誰もいなかったから」
「私がいます。私が解決してみせるから」
「その代わり能力は使わないって約束してください。過去に戻るってことはあった今をなかったことにするってことだから。また赤の他人に戻るって悲しいから」
1人になんてさせないから、京子は話す。
友人のために自分の未来を捨てる覚悟をする。
新井先輩を協力させる。




