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第4話

 更に翌日。

 いつもより早くに登校した三鷹は、鞄を肩に掛けたまま教室内を見渡した。昨日の今日なので、何か別の動きがあるのではないかと思ったのだ。何人かの席には荷物が掛けてあったが、登校してきているという訳ではなく、ジャージや部活の道具を置きっぱなしにしているのだろう。特に異常がないことを確認する。三鷹は鞄の取っ手を握る力を緩め、持っていたものを机に置いて教室を出た。

 更衣室でジャージに着替えてから所属しているバスケ部の朝練、ではなく個人練習をしようと三鷹は体育館で時間を過ごす。どこの部活とも被らなかったようで、他には誰もいなかった。グラウンドを使う運動部や、文化部はこの時間、体育館に来ることはないので、有意義なシュート練習が出来たなと満足気に息を吐いた。

 予鈴の鳴る時間が近づいてきて、三鷹は体育館を後にする。途中で手洗いに寄って、教室へと戻った。

 三鷹が登校した時、何事もなかった2年A組。しかし、状況は一変していた。

 不安と好奇心に満ちた室内は、昨日と変わらない。違っていたのは、誰も似顔絵など持っておらず、視線を一点に集中させていたことだ。


「何これ……」


 注目を浴びていたのは、滝川と、滝川の席だった。よくある落書きだとか、花が生けられていたりした訳では無い。

 そこには白くて、手の平サイズの物が置かれていた。これが何か分かる者は、この場に何人いただろうか。


「理沙、それファンデーション? 誰かと貸し借りしてるの……?」


 滝川の二人いる取り巻きの内、一人が恐る恐る尋ねる。個人的にやり取りしているだけのものなら、別に騒ぐ程のことでもないと思ったのだ。誰かに貸していた物が返ってきた。或いは、借りようとしていた物が届けられていた。それだけの話だ。

 しかし、当の滝川は首を左右に振る。


「ううん。化粧品とか他人と共有するの嫌だし」


 単体で起きたなら誰かが席を間違えたのだと思うだろうが、昨日あんなことがあったばかりだ。今度は滝川が狙い撃ちにされたのではないかと、周りも考えていた。

 当の滝川もそれを警戒していたが、ただの化粧品かもしれないという可能性に気を取り直したようにそれを持った。


「本当に何。誰のファンデ?」


 確かにコンパクト型だし、よく見れば縁のところに小さなボタンが付いている。滝川は安心して、それを開いた。

 中身を確認した滝川が一瞬体を固まらせた後、悲鳴を上げて手を離す。


「いやぁっ!!!」


 がしゃんと音を立てて床に落ちる。

 何が起きたか分からず、室内はざわめいた。開きっぱなしだったそれを近くにいた生徒達が確認して、はっと息を呑む。

 それの周りに散っていたのは、小さな破片。太陽と照明の光を反射している。そして本体が、近くの椅子の足を映していた。ファンデーションではない。これは。

 誰かがぽつりと呟いた。


「……鏡…………?」


 浅瀬で波が砂に浸透するように、新たにもたらされた情報が伝播していく。


「鏡って何?」

「補正アプリの前使われてた道具でしょ」

「知らない」

「アプリの前ってことは、何の加工もなく姿を映すってこと?」

「俺等の親世代はビュティネス出るまで当たり前に使ってたらしいよ」

「じゃあ滝川、実物の自分見ちゃった訳?」


 ざわざわ。ざあざあ。非日常が相俟って少年少女達は、普段は慎重に被っている仮面が剥がれ落ちているのも構わず、ただ思った言葉を口にする。この時出入り口付近にいた三鷹は、反対側の出入り口が静かに閉まったのを視界に入れた。

 

「あーあ、かわいそ」


 一人の男子が最後に放った嘲笑を聞き届けたその時、滝川が――そのやや腫れぼったい目をかっと開いた。


「可哀想って何!? 今言ったの誰だよ!! 櫻井!?」

「お、俺じゃねーって!」


 強く睨み付けられた櫻井は慌てて両手を上げた。隣にいた別の男子生徒が櫻井を庇うように一歩前に出て、「櫻井じゃない」と否定する。滝川は強く歯を食いしばり、割れてしまったコンパクトミラーに向き直った。


「まじで許さない。誰がこんな物置いたか知らないけどさあ! 絶対見つけ出してやるから!!」


 誰とも分からぬ仕掛け人に対して怒鳴りつけた後、滝川は硝子の破片を何度も踏みつけ始めた。


「やめなよ理沙、怪我しちゃう!」


 一気に騒然とする空間を放って、三鷹は教室を出た。先程、自分より先に退出した人物を追う為に。廊下の角を曲がった先で視界に捉えた。その背に声を掛ける。


「小金井!」


 華奢な肩が大きく跳ねた。小金井が振り返る。血の気の引いた顔に、三鷹は自身の予想が確信に変化するのを感じる。怯えと警戒を滲ませる小金井は、小さく返事をした。


「……なに」


 三鷹は敵意がないことを示す為にしっかり目を合わせ、出来るだけ誠実な気持ちを声に表した。相手に伝わるように。


「今からでも、皆に謝ろう。付き添うから」


 最後まで口にするかしないかのところで、小金井が顔色を変えた。


「私じゃない!」

「小金井。自分でもあの時、気付いてたんだろう」


 二日前の朝、登校してきた三鷹が小金井にぶつかった時。衝撃によって彼女が落としたのは、ノートとスケッチブックだった。開かれたスケッチブックのページから、三鷹は見てしまった。人の顔が描かれたそれを。

 咄嗟にそれが誰なのかと三鷹は判断出来なかったが、やけに慌てた様子で落ちた物を拾い集めた小金井。三鷹は翌日に似顔絵が撒かれるなんて騒ぎが起きた時点で、本当は感づいていた。誰が実行したのかを。そして小金井自身も分かっていた筈だ。三鷹に目撃された時点で、彼女の企みが始まる前から瓦解していたことを。

 三鷹は更に慎重な言葉を重ねる。


「こんな真似をしたのは……日頃の扱いへの、意趣返しか?」


 小金井の目が水気を帯びていく。両手で拳を作って震わせていたが、やがて力を抜いた。


「当たり前でしょう……何となく気に入らないからって滝川達にきつく当たられて、クラス皆で見なかったことにして。七海さんだって、二人の時は楽しく話せるのに、表では絶対助けてくれない。滝川達も嫌いだけど、他の全員も、狡くて嫌い。地獄に落ちろってずっと考えてた」


 段々と涙声になっていくそれを三鷹は沈痛な面持ちで聞いていた。小金井が顔を上げる。


「でも! でも確かに絵を配ったのは私だけど――」

「今の、本当?」


 突如入ってきた第三者の声に、三鷹がほぼ反射で振り向く。そこに佇んでいたのは、いつの間にか教室から出てきていた滝川だった。三鷹の影で見えなかったのだろう、一拍遅れて小金井が息を呑む。同行していた取り巻きの一人も含め、その場にいた誰もが滝川の動向に注視していた。


「あんたのせいなの?」

「ち、違う。私じゃない」

「今絵を配ったって言ってたよね?」

「いや、ちがう、そっちは」

「はっきり喋れよ!!」


 ひっと息を吸ったまま体を強張らせた小金井。滝川がその胸ぐらを掴もうと手を伸ばしたのを三鷹と取り巻きが割って入り止める。


「滝川……!」

「理沙、落ち着きなって!」

「何できつく当たったかって? 何となくな訳ないじゃん! お前が、地味で根暗なドブスだからだよ! 身の程も弁えずに息してんじゃねえよ気持ち悪い!!」

「おい!」


 あまりの暴言に三鷹の熱も上がりそうになった時、今度は小金井に火が付く。


「……身の程を弁えてないのはどっちなの。アプリで補正されてたから気付かなかったんでしょう!? 自分の瞼がメイクで誤魔化しきれないくらい冴えてないってこと! あんた以外皆知ってたよ! 威張る声だけ一人前の、身も心も不細工だって!!」

「こんのぉ!!」


 ぶつかり合う罵声。互いを害そうと伸びる手を、必死に三鷹と取り巻きが遮ろうとする。いつの間にか、A組の生徒も、B組の生徒も騒ぎを聞きつけ廊下に出ていたようだ。正義感のある一部の男子や女子が、喧嘩を止めようと滝川と小金井を引き離す。存外素直に距離を取った小金井が大きく吠えた。


「ざまあみろ不細工!」

「ぶっ殺してやる!!」


 鬼の形相で髪を振り乱し、言葉になっていないのに何かを怒鳴り続けながら暴れる滝川。誰かが小さく「ひどいもんだな」と口にしたのを、三鷹は聞いた気がした。

 その後、騒ぎを聞きつけた教師達によって、その場は一度納められた。言い争った女子二人はそれぞれ職員室と生徒指導室に連れて行かれたようだ。2時間目の授業が終わった頃に担任が荷物を纏めて持って行った。三鷹はクラスメイト達から何があったのか問い質されたが、「先生からその内全体に説明があるだろうから」と躱し続けた。

 以降、小金井は学校に来なくなった。


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