第3話
似顔絵が配られたその日は、クラス全体がぎくしゃくと固い動きを見せた。
突然の出来事に触れたくて仕方がないような、触れてしまえば藪から蛇が出てきてしまいそうな、そんな葛藤が多数。しかし、この件について触れたくない少数派の中でも、立場の強い人間がそれを牽制していた。その筆頭が、自称一軍女子・滝川だ。
「誰とも知れない奴が描いた似顔絵なんて信じて何になるの?下らなすぎ」
教室中に響くよう言い放ったそれは、好奇心に負けそうだった者達を幼稚だと馬鹿にしているように聞こえて、それなりの効果があった。しかし、説得力はあまり無かった。登校時間、先んじて互いの似顔絵を見せ合った一部の生徒達は既に知っていたからだ。相手の似顔絵がそっくりに描かれていることを。それはつまり、自分に宛てられた絵も忠実に似せられているであろうと予想するには十分な判断材料なのだ。
カードゲームのようだな、と様子を見ていた三鷹は思う。割り当てられた手札を自分以外のプレイヤーからの僅かな情報で暴く。そして、真実は自分以外の全員が知っている。トランプにそんな遊びがあった筈だ。名前が思い出せなくて三鷹は一瞬瞼を閉じたが、すぐにどうでもいいと再び開いた。
ここで言う手札とは、己の顔だ。そして誰もが、他人の顔という情報を得ている。その場に居た生徒達には、滝川の言動が不安を隠す為の強がりにしか見えないのだ。
「何か大変なことになっちゃったな」
昼休みに櫻井が三鷹へと話しかける。
「櫻井、確か今日野球部の朝練だっけ? 誰かと見せ合ったりしたの?」
「見せ合ったっつうか、人が増えて騒ぎになる前に何枚か覗いちゃったんだよな。確認したくて」
似ていたかどうかは口にしない。櫻井はお調子者に見えるがそういった頭は回るので、三鷹も好感を持っていた。
「櫻井の前は誰か来てた?」
櫻井は眉間に皺を寄せ数秒唸ってみせる。
「何人か登校してた気がするけど、誰がとか意識してなかったからなあ」
「そっか」
そんな会話をしていると、金属的な何かが擦れてずれたような音がした。二人で鳴った方向を見ると、滝川と取り巻きの二人が立っていて、脇にはバランスを崩したように机に掴まり立ちをしている小金井がいた。ぶつかったのであろう取り巻きの一人が舌を打つ。
「邪魔。存在が」
前半を大きく、後半は小さいが聞こえるように言葉を投げつける。財布を持っている三人は、購買にでも行くのだろう。何事もなかったかのように教室を出て行く。消えたタイミングを見計らって、小金井は何事か呟いた。聞きとれはしなかったものの、それが三人への暴言の類いだと三鷹は安易に想像がついた。こんな時に言う二文字の言葉なんて、絞られるから。
今日も美術部の部室へと赴いた三鷹は始め、廊下の壁に寄りかかっていた。しかし偶然出入りしていた美術部部長の気遣いによって部室内で逢坂を待つこととなった為、許可を取って邪魔にならないよう製作途中の絵を見て回る。
最初に見た恋人の絵は、三鷹達が住んでいる区の中心地。賑やかな街の様子が描かれているが、何かが違う気がする、と三鷹は違和感を覚える。そうしてすぐに気付いた。現実の場所より、辺りの看板が少ないのだ。消えているのは、確か際どい格好の人物やキャラクターが映っていた筈だ。本人の美的感覚にそぐわない広告だけを排除したのだろう、志保らしいと三鷹は次へ向かった。そのまま三枚程他の部員の絵を眺める。やはり、授業で習うだけの自分とは大違いだと感心しながら、三鷹は最後の一枚に辿り着いた。
七海の絵。昨日この作品を目にしてから、三鷹の中で妙に印象に残っていた。当の七海の姿はまたしてもない。前日より着色が増えていて、もう塗るような箇所はなさそうに見える。
三鷹は逢坂に尋ねた。
「なあ、これってもう完成してるのかな?」
「まだ。仕上げはこれからだって。かず、その絵好きだね」
距離がある中で声を張り上げた会話が面倒だったのか、逢坂が近付いてくるのを、三鷹は気配で察した。視線は動かさない。全てを飲み込んでしまいそうな黒から、目が離せなかったのだ。
「うん……何か惹かれるんだよな。綺麗だけど、ちょっと怖い感じが」
未完成であることに、三鷹は想像を膨らませる。ここからどう仕上げるのか。強いて言えば薔薇が淡い色なので、濃くしたりするのだろうか。今のままでも充分のような気もするし、何かが物足りない気もする。出来上がったら、その時は自分も見せてもらいたい。
通りすがりの部員から声を掛けられる。
「七海さん、言ってたよ。『美しさ』を表現する為に、出来ることは全部やるんだって。今回、かなり気合い入ってるみたい。勿論、あたし達も負けないけどさ」
三鷹と逢坂が帰路に着く途中、周囲に誰もいなくなったのを見計らって、逢坂は口火を切った。
「今日、A組は落ち着かなかったね」
必ずこの話題が出るだろうと三鷹は分かっていた。昼休みになる頃には、朝の騒ぎは学校中に広まっていたからだ。コミュニケーションに繋がると判断し、三鷹はわざと知らない体で質問する。
「うん。B組は大丈夫だった?」
「うちは何も。でも問題がなかった分、遠慮とかもなくて。皆興味津々だよ」
「そっか」
「小金井さんも七海さんも、大丈夫かな。かずはこういうの気にしないだろうから心配していないけど」
出てきた意外な名前。三鷹は眉を上げた。
「どうして小金井? 部活入ってなかったよな?」
「最近小金井さん、七海さんと仲が良いらしくてね。今年から同じクラスになった縁だって。それぞれでスケッチブック買ったりして一緒に絵を描いたりとかしてるらしいから、その内部員になってくれないかなとか思ったり。七海さんと一番仲良いの、私かもと思ってたからちょっと寂しいけどね」
五本の指を交差してみせる逢坂。一方で三鷹は納得する。頭の中で点が線になった気分だった。
逢坂が問いかける。
「配られたっていう似顔絵はどうしたの?」
「先生に回収されたよ」
「なら一先ず終わりかな?」
「どうかな」
仕掛けた行動そのものへの善悪はともかく、生徒間での火種には成りかねないと、チャイムと共にやって来た担任教師によって紙は集められた。職員室ではどんな判断が下されるのか、それとも、このまま有耶無耶になって終わりにするつもりか、三鷹には分からない。
「クラスで騒いでいる人達とは違って、かずには関係のない話だよ」
三鷹が思わず足を止め、逢坂を見遣る。上品で、でも人を喰ったような笑み。三鷹は、彼女のそんな一面を好んでいた。
「そんなことないさ。でも、確かにそういう意味での不安は抱かないかな」
「でしょう? ねえ。あの宝物、今も持ってるの?」
「持ってるよ」
「見せて」
話題転換に動じず三鷹は鞄に手を入れ、それを丁重に取り出す。差し出すように見せると、逢坂は更に口元を緩めた。
「綺麗」
うっとりとした表情が、夕焼けによって影を帯びる。
「志保、本当に気に入ってるよな」
「うん、好き。かずの宝物だから。かずのことも好きだよ。だからこうして一緒になったんだし」
何でも察してしまう逢坂には、三鷹が彼女に告白した理由なんてお見通しなのだろう。苦笑を浮かべながら、三鷹は宝物を鞄に仕舞い込んだ。
「好きだよ、志保。ありがとう」
「ふふ。心優しい幼馴染み兼恋人に感謝しなされ」
上機嫌に緩く先を駆け始めた逢坂に、三鷹は追いつかんと大股で歩く。それが幼い頃を思い出して、二人はどちらからともなく笑い合った。




