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第2話

 一日授業を受け、放課後も生徒の下校時刻が迫る頃。

 バスケ部の練習を終えた三鷹は、美術部の部室前で人を待っていた。生徒達がまばらに出て行くのを見計らって、室内に足を踏み入れる。よくある光景なので他には誰も気に留めない。三鷹は目的の人物の名前を呼んだ。


「志保」

「ああ、かず。今日はそっちの方が早かったんだね」

「清掃当番じゃなかったから。帰ろう」


 二人で会話をしていると、どこからともなく冷やかしが飛んできた。


「お熱いねぇ。聞いてよ三鷹。逢坂ってば、三鷹と付き合い出してからこの時間は機嫌良さげなんだよ」

「ちょっと、やめてよ」

「幼馴染みから恋人同士かあ。少女漫画じゃん。いいなあ、応援してるよ」

「もう」


 残っていた部員達が集まっては、逢坂志保にからかいと祝福の言葉を掛ける。こういうのを人望というんだろうなと三鷹は微笑ましくなり、そのまま逢坂の片付けが終わるのを待っていた。

 部室内を見回すと、窓際にこちらを背にしてイーゼルに設置されたキャンバスと、誰も座っていない丸椅子が目に入る。席を離れて逢坂と戯れている部員が多いから他にも同じものはいくつもあるのに、三鷹は何となくそれが気になった。皆の邪魔にならないよう、そろりそろりと窓際に近付き、正面からキャンパスを覗き込む。

 薔薇の絵だった。花瓶に二輪挿し込まれたそれは実物を見ながら筆を滑らせていたのだろうか。花弁が一枚一枚、丁寧に描かれている。一方で、背景は真っ黒に塗られていた。絵の具の扱いが不得手な三鷹は、よくこんな均一に塗れるなと感心を覚える。素人ながらとてもシンプルな絵だと思うのに、何故か目が離せずにいた。


「七海さんの作品が気になる?」


 いつの間にか隣に立っていた逢坂に、三鷹ははっと意識を引き戻される。


「まあ。その七海は?」

「鞄まだあるし、準備室にでもいるんじゃないかな。見てこようか?」

「いや、いいよ。あまり話したことないし、制作途中なのに感想とか言われても困るだろうし」


 そう? と逢坂は小首を傾げると、目の前のキャンパスに視線を向けた。


「七海さんは写実的な絵を描くのが好きらしくてね。本来の姿をありのまま表現することを心がけているんだって。でも今回はコンテストに向けていつもより挑戦的にするって言ってたから、私も出来上がりを楽しみにしてるんだ」


 その紹介に三鷹は七海と作品に対して興味が沸いた。挑戦的にする、の意味は今のところ分からないが、これから何か変化を取り入れるということかもしれない。コンテストへ提出される前に、完成品を見たいと思った。

 三鷹は顔を上げる。


「志保片付け終わったの?」

「うん、もう帰れるよ」

「じゃあ行こう」


 二人は周囲に挨拶を交わしながら美術室を出る。クラスが別であることを活かし、三鷹と逢坂はお互いその日あった出来事を種として、会話に花を咲かせていった。



 変わり映えのしない世界に罅が入ったのは、その翌日からだ。

 朝、三鷹はいつも通りチャイムが鳴る五分前に登校した。普段と違う空気が流れていると気付いたのは、教室に入ってからだった。あちこちから会話が飛び交っていることは変わらない。しかし、不思議と全員が、同じ物を手にしていた。

 紙だ。三鷹から見て左側に、ぼろぼろとリングノートから千切ったような乱れのある紙。教室内のほとんどがそれを見つめている。三鷹は近くまでやって来た坊主頭の友人・櫻井光に、声を掛けた。


「おはよ。何してんの皆」

「おうカズ。俺達もよくわかんないんだけどさあ、お前のもあるだろうからとりあえず見て来いよ」


 櫻井は言いながら机を指す。三鷹は背を押されるまま共に自席へ向かうと、確かに同級生達が手に持っているものと同じ紙が置いてあった。三鷹かず、とフルネームが中心にあり、あとは何も書かれていない。よく見ながら触れてみると紙は薄いクリーム色で少し凸凹があった。

 

「え、本当に何」

 

 櫻井は顔を背け、右手を自身の目の上に翳した。


「裏返してみろよ」


 何かを見ないようにする気遣い。何に対する配慮なのか全く分からないまま、三鷹は紙を捲った。


「これ……」


 裏面には、人の顔が描かれていた。短い髪、左右対称の眉と目。スッと通る鼻筋。

 櫻井は翳していた手を下ろしておずおずと口を開く。視線は未だ逸らしたままだ。


「朝来たら、全員の机の上に置いてあったんだ。あぁ、その、()()()似顔絵が。普通に考えたら名前通りの奴が描かれているんだろうけど……絶対に自分じゃないって言い張ってる奴も結構いてさ」


 だからこそ気を遣ったのかと三鷹は得心がいく。

 容姿補正アプリが開発されてから三十年。いつの間にか自身の姿を加工されたものでしか見たことのない世代も増えた。ある程度整っている自分でいることが当たり前の世界。誰かの見た目を言及するのが禁忌であることが常識化されたこの世界で、自身の本当の姿を認知している者は少ない。況してや突然他者からの評価を目の当たりにしたのだ。混乱してもおかしくはない。

 けれど三鷹は、誰の視点とも分からぬ似顔絵にも関わらず、見た瞬間確信にも近い感情を得た。これは自分だと。すんなり受け入れたからこそ人より冷静でいられた。


「ふぅん」

「あれ、意外と落ち着いてるな。あんま興味ない?」

「興味はあるよ。これ、学校全体がこんな感じなの?」

「いや、この教室だけ。だから、クラスの誰かがやったんじゃないかってさ」

「ほうほう」


 適当に相槌を打ちながらもう一度紙を裏返す。筆跡から誰か分かるかもと一瞬三鷹は考える。しかし、余程親しくて特徴的な文字でない限りは特定出来そうにないと思い直した。案の定よく分からなかったが、強いて言えば敢えて雑に書いている気がする、というのが三鷹の印象だ。元は丁寧に書く人なのかもしれない。

 あちこちから聞こえる声に耳を澄ませてみた。


「何この汚い絵」

「え? 上手いと思うけど」

「馬鹿、こんなの適当な顔書いてばらばらに名前付けてるだけじゃん」

「ほんとそれ。絶対敢えて不細工に書かれてるのもあるって。悪意感じるし。何褒めてんの」

「ご、ごめん」


「なあ、お前の席にあった似顔絵見せてよ」

「嫌に決まってんだろ。俺これと同じ顔って言われたら立ち直れないわ」


 誰もが薄氷を踏むように、注意を払いながら容姿の話をしている。三鷹には、その姿が何とも滑稽に感じた。


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