第29話:火の再来
夜明け前、世界はまだ眠っていた。
霧の谷を包む風の中、ひとつだけ――小さな灯が瞬いていた。
それは、少年の手の中の火。
リオ。
彼は、炎を持たぬ子として生まれた。
どんなに祈っても、どんなに願っても、彼の手には一度も火が宿らなかった。
村の人々は言った。
> 「この子には“焔の血”が流れていないのだろう」
それでも、リオは火を嫌わなかった。
むしろ、その温もりに惹かれていた。
――火は怖くない。
――火は、やさしい。
幼いころに祖母が語ってくれた“灰の歌”が、ずっと心の中に残っていた。
> ♪ 火を恐れず 火を抱け
> 灯を信じて 歩み出せ ♪
その歌を口ずさみながら、リオは森を歩いた。
“契約の森”。
昔は誰も近づかなかったが、今は村人たちが祈りのために訪れる聖地となっていた。
リオはそこへ、一人で向かっていた。
掌には小さな火打ち石。
それを、何度も打った。
カチ、カチッ――
火花は散る。
けれど、火はつかない。
それでも、彼は諦めなかった。
「お願いだ……一度でいい。火を灯したい」
声が震える。
手のひらには傷がにじんでいた。
そのときだった。
風が止み、森が静まり返った。
木々の間から、ひと筋の赤い光が差し込む。
リオが顔を上げると、目の前に――古びた詩板が立っていた。
『火は力ではなく、灯であれ』
その言葉を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
「これが……」
指先が、詩板に触れる。
その瞬間、世界が変わった。
視界が赤く染まり、炎が空を舞い、遠い記憶が流れ込んでくる。
王子アレス――
灰の巫女メイラ――
そして、精霊イフリート。
彼らが歩んだ“火の記憶”が、ひとつの光となってリオの中に流れ込んだ。
> ――おまえが、“次の子”か。
低く、穏やかな声が響く。
「だれ……?」
> ――我は、イフリート。
> この火の記録を見届ける者。
リオの心臓が跳ねた。
掌に熱が集まる。
だが、痛みはない。
「火の……精霊……?」
> ――おまえは火を持たぬ子。
> だが、それを恐れなかった。
> だからこそ、火はおまえを選んだ。
リオの瞳が大きく開く。
> ――さあ、灯せ。
> おまえの心の火を。
その言葉と同時に、リオの掌から柔らかな光があふれた。
炎――。
それは確かに“火”だった。
だが、赤ではなく、金色に輝いていた。
暖かく、やさしく、包み込むような光。
「……これが、僕の火……」
> ――そうだ。
> 力ではなく、灯としての火。
風が吹いた。
森がざわめく。
灰花が舞い、金の光を散らした。
> ――火は巡る。
> おまえがその証となれ。
イフリートの声が遠ざかる。
「待って! あなたは――」
> ――心の中にいる。
> 灯が絶えぬ限り、何度でも。
光が消え、森に静寂が戻った。
リオの手には、まだ金の炎が揺れていた。
彼は笑った。
涙をこぼしながら、それでも笑った。
「ありがとう。……火は、こわくない」
その日、村の空には金の光が走った。
人々はそれを“火の再来”と呼び、新たな時代の始まりを祝った。
契約の森の詩板がひときわ明るく輝き、長い年月を越えて、精霊の声が風に響いた。
> ――アレス、メイラ。
> おまえたちの火は、また人の手に戻った。
> ――そしてこの子が、新たな時代を灯す。
リオは静かに空を見上げた。
掌の炎が風に溶け、朝日と重なりながら輝く。
> 「火は――僕と共にある。」
その言葉が、未来への第一歩となった。
――火は、再び人の心に宿る。
そして、物語は次の世代へ。




