第17話:契約の終焉
――静寂。
火も、風も、声もない。
ただ、灰が舞う音だけが、世界のすべてだった。
アレスが消えたあと、王都には奇妙な“静けさ”が訪れた。
かつて焦土だった場所に、もう煙は上がらない。
炎の匂いが消え、空は青を取り戻しつつある。
けれど、その静けさは平穏ではなかった。
何かが“終わった”という、圧倒的な喪失の気配――それが、空気のすべてを支配していた。
灰の海の中。
光の粒が、風もないのにふわりと舞い上がる。
その中心に、炎の影が現れた。
イフリート。
もはや神々しい輝きはない。
かつて紅蓮に燃えていた体は透け、炎の輪郭は風に溶けるように揺らいでいた。
> ――……ここか。
声は低く、かすれている。
だが、その響きには確かな温もりがあった。
イフリートは焼け跡の中央に膝をつき、両手を地に添えた。
> ――アレス・フレア。
> この世界に灯を遺した王子よ。
> おまえの願い、確かに受け取った。
風がそよぎ、灰の中から小さな光が浮かび上がる。
それは、かすかに脈動する“炎核”だった。
アレスの魂が変じた、最後の灯。
火ではなく、命の鼓動そのもの。
イフリートはそれを見つめ、そっと指を伸ばした。
触れると、柔らかな熱が伝わる。
> ――まだ、生きている。
> おまえは本当に……人間というものは、恐ろしいな。
微笑のような、ため息のような声。
> ――この火は、もう我のものではない。
> 人の想いで生まれ、人の心で燃えている。
イフリートは立ち上がる。
燃え尽きた空を見上げ、静かに右手を掲げた。
> ――アレス・フレア。
> ここに、“炎の契約”を終える。
その声とともに、空が微かに震えた。
風が吹き抜け、灰が螺旋を描いて舞い上がる。
> ――火の誓いを破り、
> 心の痛みを抱き、それでも最後まで灯を捨てなかった。
> その生の記録を、“精霊の書”に刻む。
イフリートの胸から、光が漏れる。
それは、彼自身の炎の核。
彼はその光を引き抜き、両の掌で包み込んだ。
> ――我が名において、この契約を解く。
掌の間で、火が白く変わる。
眩い閃光が空を照らし、燃えた王都のすべてを、一瞬だけ純白に染めた。
光が収まると、そこには何もなかった。
ただ、灰の中にひとつ――アレスの“炎核”だけが、静かに残されていた。
イフリートはそれを見下ろし、ゆっくりと跪いた。
> ――おまえの火は、我を超えた。
> これからは、人が灯を継ぐ番だ。
両手で炎核を包み、額に当てる。
> ――“火は、心と共に在れ。”
祈りの言葉が響く。
それは、アレスと交わした最初の契約の言葉だった。
一陣の風が吹き、灰が円を描いて舞う。
まるで世界が、その終焉の儀を見守っているようだった。
> ――さらばだ、王子。
> おまえが信じた火が、いずれ再び世界を照らすだろう。
イフリートの姿が、風の中に滲み始める。
身体が光の粒になり、ひとつ、またひとつと消えていく。
> ――我は……眠ろう。
> この火が、再び人に拾われるその日まで。
最後の言葉とともに、炎の精霊は消えた。
残されたのは、小さな炎核と、それを包むように吹き抜ける優しい風だけだった。
風が草を揺らす。
そこに、芽吹きの音がした。
灰の大地に、緑の葉が顔を出す。
炎のあとに訪れたのは、破壊ではなく――再生だった。
――こうして、“炎の契約”は終わった。
だが、火はまだ眠っているだけ。
いつか、この灯を拾う者が現れる。
その日まで、世界は静かに呼吸を続ける。




