第16話:消えゆく王子
――音が、遠い。
耳鳴りの中で、アレスはゆっくりと目を開けた。
そこは、焼け落ちた王城の中心。
崩れた天井の隙間から光が差し込み、灰の粒が舞っている。
火は消えていた。
あの暴走の焔も、イフリートの声も。
ただ、静寂だけが残っていた。
胸の奥が、ひどく空っぽだった。
契約紋は跡形もなく消え、指先の熱すら感じない。
「……イフリート……」
呼んでも返事はない。
もはや、精霊はこの世界にいない。
アレスは震える手で瓦礫をどけ、灰の下に横たわるセリアの亡骸にそっと触れた。
「……おまえを守るって、約束したのにな」
声が掠れた。
涙はもう出ない。
泣き尽くしたあとの静かな空虚が、心を覆っていた。
> ――“おまえの火が消えぬのは、まだ赦しを求めているからだ。”
イフリートの最後の言葉が、胸の奥で蘇る。
「赦し……俺が、誰に赦される?」
答えは、風だけが知っていた。
城門の外は、まるで別の世界だった。
瓦礫の間から草が芽吹き、焦げた大地の隙間に、小さな花が咲いていた。
アレスはその花を見つめた。
白い花弁――灰花。
セリアが好きだと言っていた花だ。
「……おまえ、強いな」
指でそっと触れると、花はわずかに揺れた。
それが、まるで返事のように感じられた。
彼は空を仰ぐ。
煙の残る空の向こうに、淡い陽が昇っていた。
焼け跡の世界を照らす光。
それはもう、炎ではなかった。
歩くたびに、身体が軋んだ。
熱に焼かれ、命そのものが薄れていくのが分かる。
「俺は……あとどれくらい、生きられるだろうな」
誰も答えない。
風が灰を舞い上げ、それが彼の背中に降り積もる。
灰はやがて白く光り、まるで雪のように世界を包みはじめた。
丘の上まで来ると、焼けた大地が一望できた。
そこには、もはや王国の姿はなかった。
それでも――不思議と静かだった。
アレスは腰を下ろし、手のひらに火を灯そうとした。
指先に意識を集中させる。
……何も、出ない。
だが次の瞬間、胸の奥でかすかな鼓動がした。
ほんの点のような光が、手のひらに宿る。
「……あったのか」
それは、弱く、それでも確かに“火”だった。
イフリートの残した最後の灯。
アレスはその火を見つめ、微笑んだ。
「おまえ、まだここにいたのか」
光は、まるで応えるように小さく揺れる。
「なぁ、イフリート……この火を、誰かに渡したい。俺がいなくなっても、誰かがまた……火を灯せるように」
風が吹いた。
光の粒がふわりと宙に舞い上がり、彼の掌から離れていく。
「……そうだ、それでいい」
アレスは立ち上がり、丘の上で両手を広げた。
空から降る灰の中に、彼の身体がゆっくりと溶けていく。
まるで火の粉が風に還るように。
「火は、俺なんかより……ずっと生き続ける」
声は穏やかで、柔らかかった。
胸の奥にあった最後の炎が、静かに広がり、彼の姿を包み込む。
白い光。
それは燃焼ではなく、浄化だった。
> ――アレス。
> おまえの火は、もう“恐れ”ではなく、“願い”になった。
どこからともなく、懐かしい声が聞こえた。
アレスは微笑んだまま、ゆっくりと目を閉じた。
「……ありがとう、イフリート」
風が止み、光が空へと昇る。
その輝きは、朝の陽と混ざり、やがて空の一部になって消えた。
――こうして、“炎の王子”アレス・フレアは姿を消した。
だが、彼の残した灯は消えなかった。
焦土に咲く灰花の根元に、ひとつの光の粒が埋まっていた。
それは、後に“炎核”と呼ばれるものとなり――
次なる物語の始まりを、静かに告げていた。
――火は、まだ終わらない。




