第15話:精霊の怒り
燃え尽きた城の中心――
そこに、ひとつの炎が残っていた。
それはもはや人の作り出した火ではなかった。
灰を抱き、祈りのように揺らめく、赤でも橙でもない、不思議な“白い炎”。
アレスはその光を見上げていた。
セリアの亡骸を安置し、手を組んだあと、彼はただ、燃え残った火の前に立ち尽くしていた。
「……イフリート」
> ――聞こえている。
声は、怒りに濡れていた。
だが、それは激情というより――深い悲嘆に似ていた。
「どうした。おまえの力で、この城を――」
> ――燃やしたのは我ではない。
> おまえの心が暴走した。
> そして我は、その炎と同化した。
「……つまり、俺がすべての原因だと?」
> ――そうだ。だが、同時に我もまた罪人だ。
> 人の欲を増幅させ、人の痛みを火に変えた。
> その結果が――この焦土だ。
イフリートの声が震える。
燃える音ではなく、泣くような音。
風が灰を巻き上げ、彼の姿をかき消した。
「俺たちは、同じだな……」
> ――違う。
> おまえは人だ。
> 我は精霊。
> 人の心に寄り添いすぎたことで、我は汚れた。
「汚れ?」
> ――精霊は本来、ただの力だ。
> 怒りも悲しみも持たぬはずだった。
> だが、おまえの願いに触れたとき、
> “心”という名の熱を知ってしまった。
イフリートの姿が、白い火の中に浮かび上がる。
その瞳は紅ではなく、鈍い灰色に濁っていた。
> ――我は怒っている。
> おまえにではない。
> 人という存在にだ。
「人に?」
> ――人は火を恐れ、火を求め、火に縋り、火を責める。
> まるで、我らを道具のように扱う。
> “力”を与えれば崇め、“失えば”呪う。
> どこに信がある? どこに心がある?
炎が一瞬、黒く染まる。
大地が鳴り、瓦礫が震えた。
「落ち着け、イフリート!」
> ――黙れ!
> 我は見たのだ!
> 焼ける人々、泣き叫ぶ子ら、
> そしておまえが、その中心で祈る姿を!
アレスは拳を握る。
「俺は……彼らを救いたかった!」
> ――ならば、なぜ燃やした!?
> なぜ止められなかった!?
「俺には……力しかなかった!」
> ――それが“人の限界”だ。
> 力に頼る者は、いずれ力に呑まれる。
イフリートの声が重なり、空が裂ける。
赤い稲光が灰雲を貫き、世界が一瞬、白に染まる。
アレスは膝をついた。
熱と怒りがぶつかり合い、空気が震える。
「……おまえは、俺を裁くのか」
> ――裁かぬ。
> だが、この契約は終わらせねばならぬ。
> 我はもう、人の心を保てぬ。
「待て、イフリート!」
> ――これ以上、我が存在すれば――
> 世界の炎が狂う。
「俺が……おまえを救う」
> ――人に、精霊を救えると思うか?
イフリートの炎が、ゆっくりと形を崩していく。
燃え盛る羽のような光が散り、白い灰となって舞った。
アレスはその中に手を伸ばす。
「行くな! おまえがいなければ、俺は――!」
> ――アレス。
> 我は、おまえの“心”だった。
> その心がまだ生きている限り、火は消えぬ。
「イフリートッ!」
> ――さらばだ。
> 炎の契約は、ここに終わる。
光が弾けた。
轟音とともに、世界が白に染まる。
空気が凍り、音が消えた。
――静寂。
風だけが、灰の海を撫でていた。
アレスの胸の紋章は、真紅から淡い灰色へと変わり、やがて、完全に消えた。
「……終わったのか」
答える声は、もうなかった。
ただ、風の中で灰が舞い、そのひとひらが、彼の掌に落ちた。
温かい。
アレスはそれを見つめ、微かに笑った。
「……おまえの怒りも、優しさも、全部、俺が覚えておく」
その瞬間、遠い地平の向こうで炎がまたひとつ灯った。
誰のものでもない、新しい“火”。
それが、次なる時代の始まりであることを、まだ誰も知らなかった。
――精霊は去り、炎は人に残された。




