第11話:ひとひらの灰
王都を包んだ炎は、夜明けとともにようやく静まった。
だが、静けさは安らぎではなく――沈黙という名の痛みだった。
焦げた塔、崩れた屋根。
かつての栄華を誇った城下町は、今や煤と灰に覆われている。
その中でアレスは、ひとり立ち尽くしていた。
「……また、守れなかった」
指先にはまだ火の温もりが残っている。
だがそれは、人を救う炎ではなく、奪う炎の余熱だった。
イフリートの声は戻らない。
胸の契約紋は微かに赤く脈打つだけで、応えることもない。
「殿下!」
瓦礫の影から、少女の声がした。
振り返ると、煤で汚れた顔のセリアが駆け寄ってくる。
両腕に抱えた布の中には、火傷を負った子ども。
「村の避難所から……まだ息があります!」
アレスは反射的に手を伸ばした。
「見せてくれ」
掌に火を灯すと、かすかな温もりが子どもの頬を包む。
小さな呼吸が戻った。
「……まだ、助かる」
セリアが驚いたように目を見開く。
「殿下……火が、やさしい」
アレスは息を呑んだ。
確かに、今の火は穏やかだった。
怒りも恐れも混じっていない、ただ“救いたい”という想いだけ。
「俺の火が……まだ、こんなにも温かいのか」
その瞬間、灰が一片、空へ舞い上がった。
光を浴びた灰は、ひとひらの雪のように白く輝いた。
セリアがそれを見上げ、微笑む。
「火はこわくないですよ」
「……なに?」
「こわいのは、人が火をこわがること。火そのものは、あたたかいだけです」
アレスは言葉を失った。
その少女の笑顔に、いつかの父王の面影が重なった。
> ――“火を恐れず、しかし傲らずにあれ”
亡き王の言葉が胸に蘇る。
「殿下」
セリアがそっと布をたたみながら言った。
「この国の人たちは、まだ殿下を信じています。炎を恐れても、殿下のことは――」
「……信じてくれるのか」
「ええ。殿下の火を見た子どもたちは、みんな“きれい”って言ってました」
アレスは目を閉じた。
頬を撫でる風が、灰の匂いを運ぶ。
だがその中に、かすかな花の香が混じっていた。
「……生きている」
呟いたその声は、祈りにも似ていた。
夕暮れ、王城のバルコニー。
アレスは沈む陽を見つめていた。
空は橙に染まり、街の屋根の上にはまだ煙が漂っている。
そこに、セリアが小さな壺を持って現れた。
「これ……村の子どもが拾った灰です。“殿下に渡してほしい”と」
アレスは受け取った。
中には灰と、焦げた花の欠片が入っていた。
「……火に焼かれても、まだ色を残している」
「強い花なんです。村では“灰花”と呼ばれています。燃えたあとに咲く、再生の印だと」
アレスの胸に、温かいものが灯った。
「……ありがとう、セリア」
少女は微笑み、夜の帳の中へ消えていった。
その夜、アレスは再び火を灯した。
だが今回は怒りではなく、静かな想いからだった。
「イフリート……おまえの言葉が、ようやく分かった気がする」
> ――火は心と共に在る。
心の中で、あの低い声がかすかに響いた。
一瞬、契約紋が柔らかく光を放つ。
「……戻ってきたのか」
> ――おまえが火を怖がらなくなったからだ。
「俺が、火を?」
> ――おまえ自身が、火だったのだ。
アレスは目を閉じた。
胸の奥に、確かな温もりを感じる。
燃える痛みではなく、静かな鼓動のような熱。
「……そうか。火は、奪うためじゃない。照らすためのものだったんだな」
> ――それを忘れるな。
> 火は、おまえが誰かを想う限り、灯り続ける。
アレスは空を仰いだ。
夜空の向こうで、無数の灰が星のように光っていた。
「ありがとう、イフリート。俺は……まだ、ここにいる」
――ひとひらの灰が、ゆっくりと彼の肩に落ちた。
それは、滅びではなく――再生のしるしだった。




