第8話:火の祝祭
それは、王都が再び賑わいを取り戻した日だった。
街の中央広場に、数え切れないほどの松明が並ぶ。
火の光が夜空を焦がし、人々の顔を紅く照らす。
「殿下の炎に感謝を!」
「フレア王国の火は不滅なり!」
声が重なり、祝祭が始まった。
子どもたちは火の輪をくぐり、踊り子たちは炎の布を翻す。
夜風さえも、火の匂いをまとっていた。
アレスは王城のバルコニーからその光景を見下ろしていた。
目に映るのは、かつて恐れられていた“火”が、今は“信仰”として人々に崇められている姿だった。
「……これが、火の祝祭か」
> ――おまえの火を、神と呼ぶか。
> 人とは、いつも極端だな。
イフリートの声が、心の奥で低く笑う。
「悪いことじゃない。火を恐れなくなった。それだけで十分だ」
> ――恐れを忘れた火は、いずれまた人を焼く。
> おまえは、それを望むのか?
「そんなことはしない」
アレスは言い切った。
だが、声の奥にはわずかな迷いが滲んでいた。
宴は夜通し続いた。
民は歌い、踊り、火を讃える。
アレスの姿が見えるたびに、歓声が上がった。
「炎の王子よ! 我らを導け!」
「殿下の火に、我らの命を!」
その言葉を聞くたび、胸が熱くなる。
だがその熱は、喜びだけではなかった。
> ――彼らはおまえを信じているのではない。
> “火”そのものを、神として崇めている。
「それでも構わない。火は、希望の象徴だ」
> ――象徴が支配に変わるのは一瞬だ。
> おまえが民を導くのではない、民が“火”に導かれている。
アレスは黙った。
広場の炎が勢いを増し、夜空を紅に染めていく。
風が吹くたび、炎の影が壁に踊った。
(……導く、か)
そのとき、老僧が人々の前に立ち、両手を掲げた。
「皆よ! この炎は、殿下の御心そのもの!火を崇め、火に祈りを!」
群衆が一斉にひざまずいた。
子どもから老人まで、全員が頭を垂れる。
アレスの背に寒気が走った。
「やめろ……そんなつもりじゃない」
だが、声は人の波にかき消された。
> ――見ろ、アレス。
> おまえはもう“王子”ではない。
> “火の化身”として崇められている。
「違う……俺はただ、皆を守りたかっただけだ!」
拳を握りしめた瞬間、掌の契約紋が赤く光る。
炎が、彼の感情に呼応して揺れた。
「っ……やめろ、落ち着け!」
炎は王城の欄干を舐め、瞬く間に赤く染めた。
下の広場で歓声が上がる。
「見よ、殿下が火を示された!」
「神の御業だ!」
アレスは愕然とした。
(これは……違う!)
イフリートの声が低く響く。
> ――人の恐れを、信仰に変えることはできても、
> 欲を鎮めることはできぬ。
「黙れ!」
> ――おまえが怒れば、火も怒る。
「俺は怒ってなんか――!」
しかし、その言葉の途中で、炎が爆ぜた。
赤い火の粉が夜空を覆い、広場の松明が連鎖的に燃え上がる。
民は歓喜の声を上げた。
「これこそ神の炎だ!」
「火の王よ、我らを照らせ!」
アレスの胸に、痛みが走る。
契約紋が焼けるように熱い。
「……違う、俺は神じゃない!」
その叫びも、熱狂の渦に飲まれていった。
炎の勢いが次第に弱まり、夜が再び静まる。
広場には焦げた花びらが舞い、民たちは“祝福”のようにそれを拾い上げていた。
アレスはバルコニーに立ち尽くしていた。
拳の中の熱が、痛みに変わっていく。
> ――人の信仰は、火よりも恐ろしい。
> おまえが光を与えれば、彼らはすぐに跪く。
「……どうすればいい」
> ――己を見失うな。
> 火は心と共に在る。
> おまえの心が濁れば、火もまた狂う。
アレスは空を見上げた。
夜空には、燃え尽きた花火の煙が薄く漂っていた。
「……俺の火は、正しいのか?」
答える声はなかった。
ただ、遠くで小さな焔が揺れ――
まるで、迷う彼の心を映すように燃えていた。
――火は、まだ終わらない。




