表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
FLARE  作者: Hiro S.Inchi
失われた契約者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/66

第2話:王の剣と約束

夜が浅い。


契約の熱がまだ肌に残り、胸の奥で火がゆっくり脈を打つ。

アレスは王の間の片隅に置かれた台座へ歩み、そこに横たわる一本の剣を見つめた。


父王の剣――フレア家の王剣。

今は主を失い、沈黙している。


「……父上」


柄の金糸が指に馴染む。

幼い頃、何度も握らせてもらった。


重さに腕を震わせるたび、父は笑って言った。


> 『剣は、持てるだけを振るえばいい。

>  足りないぶんは、心で補え。』


心で補う。


あのときは意味がわからなかった。

だが今、胸の中に灯った火がゆっくりと剣へ流れ込むのを感じる。


刃が微かに赤く呼吸した。


「おまえの火は、その鉄とよく馴染む」


背から、低い声。

振り向けば、炎の揺らぎが人の形をとり、王座の陰に立っている。


イフリート。


「……剣は器、火は中身、か」


「似て非なるものだ。器は形、火は意思。形に囚われれば、意思はやがて形を壊す」


難しい言い回しだ。

だが、直感は告げていた。


――剣を振るうのは腕ではなく、心。


火はその心に従う。


「父上は言った。『火を恐れよ。しかし、火の前で背を向けるな』と」


「賢い言葉だ」


イフリートの金の瞳が細くなる。

「おまえは恐れを知っているか?」


「……知っている。負けることが、ではない。“守れないこと”が、いちばん怖い」


静かな間。

炎がわずかにやわらぐ。


「ならば忘れるな、王子。恐れは刃を鈍らせるが、恐れを認めた者の刃は折れぬ」


その瞬間、王の間の扉が叩かれた。

控えめで、急を告げる音。


「アレス――陛下、よろしいですか」


扉の向こうから女の声。

書庫で見かけた、兵の手を握り祈っていた少女――セリアだ。


幼い頃から城で書を読むのが好きで、いつの間にか王城の記録仕事を手伝うようになっていた。


「入れ」


セリアが駆け込む。

灰に汚れた頬、震える息。


それでも瞳は澄んでいた。


「城門の補修が終わらず、避難の列が伸びています。西の広場へ誘導を――兵は足りません」


「俺が行く」


「ひとりでは」


「ひとりではない」


アレスは剣を上げる。


「火がある」


セリアは一瞬だけアレスの背後――イフリートの気配を見透かすように視線を動かし、すぐに頷いた。


「……わかりました。ですが、その火は人に向けないで」


短い言葉に、胸が揺れた。

イフリートが、横目でセリアを見る。


「おまえは火を恐れぬのか」


「恐れています。でも、灯りなら必要です」


「灯り?」


「道が見えないから、人は転ぶのです」


セリアの声は静かで、芯があった。


アレスは気づく。

彼女は“王に”ではなく、“アレスに”話している。


――俺を、王ではなく、人として見ている。


「行こう」


アレスは歩き出す。

イフリートの炎が追い、セリアが並ぶ。


王の間を出ると、冷たい夜気が頬を打った。

階段を駆け下り、崩れた回廊を抜ける。


城門脇の広場には、わずかな焚き火と怯えた人々。

泣き止まない幼子。


荷車に縛りつけられた家財。

誰もが、次の瞬間の暗闇を怖がっていた。


アレスは剣を地に突き立て、静かに目を閉じる。

胸の火へ、言葉を落とす。


――俺は、守るために燃やす。


火が応え、刃を伝って灯が立ち上がる。

赤ではなく、橙。


焦がさず、照らす火。

広場にざわめきが起きる。


人々の顔が炎に照らされ、影が揺らぐ。

幼子の泣き声が少し弱くなる。


「火を回せ。壁沿いに等間隔で――影を切るんだ」


アレスの声に、兵と民が動いた。

セリアは手早く布と油を配り、壊れかけの燭台に小さな火をつけて回る。


「ありがとう、陛下……ありがとう」


誰かの震え声が響いた。

アレスは頷くだけで返す。


そのとき――

城壁の向こうで、金属が激しく鳴った。


警鐘。


敵影。


「北門だ!」


兵が叫ぶ。

逃げ惑う人の波が、また恐怖に揺れ始める。


イフリートが問う。


「行くか、王子」


「行く」


アレスは剣を引き抜いた。

火が刃に沿って細く伸びる。


だが走り出す前に、彼は一度だけ振り返る。

セリアが、まっすぐこちらを見ていた。


その視線は、火を恐れながらも期待を込めている。


アレスは頷いた。

言葉はいらない。


胸に、父の声が蘇る。


> 『アレス。

>  剣を振るう前に、守る者の顔を思い出せ。

>  それが、おまえの刃を真っ直ぐにする』


守る者の顔――今、目の前にある。

泣いている子、肩を抱く母、震える老人、そしてセリア。


アレスは走った。

石段を踏み、通路を抜け、北門へ。


視界に、裂けた空と黒い旗が躍り込む。

レノードの先兵。


木戸を叩き、火矢を放つ。


「下がれ!」


門上の兵をかばい、アレスは剣を一閃。

刃から奔った火線が、飛来した矢を空中で焼き消す。

残光が宙に描いた弧が、夜の天井に溶けた。


「陛下――!」


兵のどよめき。

アレスは手短に命じる。


「水樽を前へ。火は俺が抑える。門の蝶番を押さえろ、外から支点を切らせるな!」


イフリートの影が重なる。


「心は、まだ静かだな」


「怖いよ」


正直に言葉がこぼれた。


「けど、怖いって言えるうちは大丈夫だ。父上も、そう言った」


「良い父だった」


「……ああ」


敵が梯子をかける。

アレスは階段を駆け上がり、木製の梯子の根元を炎でなめるように焼く。

火は木を選んで食う。

兵へは触れない。


狙い澄ました橙の舌が、夜風に揺れた。


梯子が崩れ、敵兵が落ちていく。

悲鳴が途切れ、北門に短い静寂が訪れる。


アレスは大きく息を吐いた。

胸の火は、まだ穏やかだ。


燃やすためではなく、照らすために――。


城内から、駆け足の音。

セリアが現れ、額の汗を袖で拭いながら言う。


「避難列、北へ通しました。……持ちこたえていますね」


「ああ。火は、まだ灯りだ」


「その灯を、明日へ残しましょう」


セリアの笑みは短く、しかし確かだった。

アレスはうなずき、王剣を握り直す。


刃に薄い橙が宿る。

心が答えた証だ。


「父上」


誰にも聞こえない声で呟く。


「俺は、約束を守る。この火で、守る」


イフリートが、わずかに目を細めた。


「王子。その言葉を、古き言葉で残しておけ」


「古き言葉?」


「書は燃えるが、契りは燃えない。“契り”は、胸の内側に刻むものだ」


「なら、刻む。何度でも」


夜風が、灰の匂いを運ぶ。

遠くで、鐘が一度だけ鳴った。


火は刃に沿って呼吸し、王都の闇に細い道を描いていく。


その道の先に、何が待つのか。

アレスはまだ知らない。

だが、背に乗る熱は確かだ。


――俺は、守る。


彼は再び北門へ身を投じた。

火は、まだ灯りの形をしていた。


――火は、まだ終わらない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ