第1話:灰の空の王都
この物語は、後に続く『炎の子リオと精霊の誓い(Ep.1)』の遥か以前、“火の精霊”が人と最初に契約を結んだ時代を描いた前日譚です。
――空が、灰色に染まっていた。
風が吹くたびに、焼けた匂いが城壁を撫でていく。
かつて繁栄を誇ったフレア王国の首都は、今や崩れかけた石の塊に過ぎなかった。
塔の鐘は鳴らず、兵士の声もない。
聞こえるのは、遠くで燃える建物の爆ぜる音と、誰かの泣き声。
若き王子――アレス・フレアは、崩れた城門の上に立っていた。
腕には血が滲み、額には灰が張り付いている。
それでも剣を手放さない。
「……父上」
握った剣の柄には、金の紋章。
それはこの国を治めた王の象徴であり、亡き父の形見だった。
ほんの数日前まで、城の広間には音楽が鳴り響いていた。
民は笑い、王は穏やかに微笑んでいた。
しかし今は――すべてが灰に変わっている。
敵国レノードの侵攻。
裏切り。
そして、炎。
アレスは息を吸い込み、空を見上げた。
灰色の雲の隙間から、かすかな光が差している。
その光を見ながら、胸の奥で呟いた。
「終わらせない。……まだだ。」
城下では人々が逃げ惑っていた。
子どもを抱える母親、荷車を引く老人。
誰もが絶望の中で、何かを信じようとしていた。
その中に、ひとりの少女がいた。
傷ついた兵士の手を取り、祈るように目を閉じている。
灰にまみれた顔に、わずかな光が宿っていた。
アレスは、その光を見つめた。
(……こんな時でも、誰かを想える者がいるのか)
胸の奥で何かが弾ける。
焦げた空気の中、彼は再び剣を握り直した。
「――火が、あれば。」
彼の脳裏に、幼い頃に聞いた父の言葉が蘇る。
> 『火は恐れるものではない。だが、傲る者は焼かれる。』
火。
それは守る力であり、同時に滅ぼす力でもある。
だが今の彼には、選択肢などなかった。
「守りたいんだ……この国を。」
彼は足を踏み出した。
灰が舞い、風が吹く。
瓦礫を踏み越え、王宮の奥へと進む。
その先にあるのは、王の書庫。
フレア家が代々封印してきた禁書の間。
炎の精霊に関する伝承が残されている場所――。
「……火の精霊。もし本当に存在するなら――」
アレスの声は震えていた。
恐怖ではない。
希望に似た、危うい熱。
書庫の扉を押し開けると、黒い煙が溢れ出た。
中は焼け落ち、棚は崩れ、書物は灰となっている。
だが――中央の机の上に、一冊だけ残っていた。
革表紙が焼け焦げ、金の文字が半分消えている。
それでも、中央に刻まれた一文だけが読めた。
> ――火は力、力は命、命は契り。
その瞬間、空気が変わった。
書庫の中の炎が、わずかに揺れる。
アレスは息を詰めた。
言葉の意味はわからない。
けれど、心がそれに応えようとしていた。
「火よ……どうか、この手に力を……」
手のひらを本に伸ばす。
灰と血が混ざった指が、焦げた革を掠めた瞬間――。
空気が弾けた。
赤い閃光が走り、書庫全体が熱を帯びる。
「っ……!?」
足元の床が割れ、炎の光が噴き上がった。
熱が肌を焼き、目が眩む。
> ――人よ。なぜ、火を呼ぶ。
低く、響く声。
それは外の世界のものではなかった。
音ではなく、直接心に流れ込む“声”。
アレスは息を飲んだ。
「……誰だ?」
> ――問うのは、我ではなく、おまえだ。
> おまえは、何を求める。
炎が形を変える。
赤い渦の中心から、ゆっくりと“人の姿”が現れた。
燃える髪、揺らめく瞳。
その存在だけで、周囲の熱が上昇していく。
アレスは思わず後退った。
けれど、その目を逸らすことはできなかった。
「おまえが……火の精霊、なのか。」
> ――名を問うか。
> 我が名は――イフリート。
名前が響いた瞬間、書庫の炎が一斉に沈黙した。
熱気の中に、静寂が落ちる。
イフリートはゆっくりと歩み寄り、アレスの胸に視線を向けた。
> ――おまえの心は燃えている。
> だが、恐れを知らぬ火は、己を焼く。
アレスは息を吸い込み、まっすぐに言葉を返した。
「恐れているさ。でも――恐れたままじゃ、誰も守れない。」
短い沈黙。
そして、炎が笑ったように揺れた。
> ――よかろう、人の子。
> その願い、契りに値する。
赤い光が彼の身体を包んだ。
熱い。
だが、それは痛みではなかった。
血の中に火が流れ込み、胸の奥が鼓動する。
「これが……火の力……!」
イフリートは静かに頷いた。
> ――誓え。
> この火を、誰のために燃やすのかを。
アレスは剣を掲げた。
炎が刃を伝い、夜を照らす。
「この国のために! この民を守るために!!」
炎が天へと伸びた。
夜が赤く染まり、崩れた城が再び輝いた。
その光景を見上げながら、イフリートは低く呟く。
> ――人は火を恐れ、火に願う。
> ……この結末を、我は見届けよう。
――そして、その夜。
王国フレアに、新たな“炎の英雄”が生まれた。
だが、その火がもたらすのは――救いか、滅びか。
――火は、まだ終わらない。
火は古来、破壊と創造の象徴でした。
暖をとることも、街を照らすこともできる一方で、一度暴れればすべてを焼き尽くす――。
人が火をどう扱うか。
そして、火が人をどう見ているのか。
この作品では、その関係を「精霊と人の契約」という形で描きました。
イフリートとアレスの関係は、力の信仰から始まり、やがて罪と贖い、そして赦しへと変化していきます。
その中で彼らが見つけたのは、“力の意味”ではなく“灯の意味”でした。
――火とは、命をつなぐためにある。
この物語の終わりでメイラが残した詩は、やがて“灰の歌”として未来に受け継がれ、リオの時代へと繋がっていきます。
リオが出会う“あの炎”は、まさにこの物語で眠りについたイフリートの残り火。
つまり、本作はFLAREシリーズ全体の原点であり、“精霊と人の誓い”という世界の根幹を描いた第一の灯です。
作品全体を通して一貫しているテーマは、「こわがる側に、もう一度、火を信じる勇気を」――。
この前日譚は、滅びと再生の狭間に生まれた物語です。
でも同時に、どんな時代にも小さく灯り続ける希望の物語でもあります。
もし読者のあなたの中に、ほんの少しでも“温もり”が残ったなら、この火は、まだ生きているのだと思います。
どうか、次の灯を――
リオたちの物語へ、つないでください。




