炎
山を下りきり、一同は緩やかに流れる川辺にたどり着いた。次の村までは、まだかなりの距離がある。人目もなく、大きな危険もないことを確認すると、カールは再びサリュの額の前に手をかざした。
サリュが促される間もなく、自ら瞳を閉じる。カールの声が静かに響いた。
「何が見える?」
サリュの脳裏に、赤々と燃え盛る炎のイメージが浮かび上がる。
「火……そして、物凄い火」
サリュの声は、わずかに震えていた。
カールがゆっくりと手を下げる。サリュが目を開けると、隣にいたリリスが心配そうに尋ねた。
「怖い?」
サリュは、ニッと笑い、精一杯強がって答える。
「平気!」
その言葉とは裏腹に、サリュの手が固く握られていることを、カールは見逃さなかった。彼の口元に、微かな笑みが浮かぶ。
「それで先生! 次はどうするの?」
サリュは、先ほどの恐怖を振り払うかのように、興奮気味にカールに詰め寄った。
「手の平から火が出せるの? まさか目から? ビームみたいに??」
「ビーム」という聞き慣れない言葉に、リリスとカールは揃って首をかしげた。
カールは、苦笑いを浮かべながらリリスに尋ねる。
「はい、リリスくん。きみはどうやって植物の能力を使ってるの?」
リリスは、何でもないことのように答えた。
「見る」そして続ける。
「草の生えているところを見る。薬草が光って見える」
カールは、その答えをそのままサリュに差し出した。
「ですって」
サリュは、首を傾げる。
「???」
それが、いったいどういうことなのか、まったく理解できない。
カールは「では早速」とつぶやくと、懐から火打石を取り出した。
「まず、見るところから始めてみよう」
カールはそう言うと、火打石を打ち合わせ、器用に火おこしを始めた。火花が散り、ほくちの上にやがて小さな炎が燃え上がる。その瞬間、サリュは無意識のうちに一歩、後ずさった。カールもリリスも、その小さな動きを見逃さなかった。
火が熾る。揺らめく橙色の小さな炎が、パチパチと音を立てていた。
「はい、サリュくん、前に出て」
カールの声が、誘うように響く。
「火を見て」
サリュは、足をすくませながらも、おずおずと前に出た。
怖い……。本能が拒否反応を示す。それでも、目の前の小さな炎に、まるで吸い込まれるように視線が固定された。こんなに間近で、実際の火を見つめるのは初めてだと思う。
いや、違う。
サリュの脳裏に、突如として前世の業火がよみがえった。
黒い煙、立ち上る熱気、そしてあの時の、恐怖。
熱い。苦しい。喉がひきつって、呼吸が荒くなる。熱い!
背筋を冷たい汗が伝い、全身が震え始めた。
「あらら」
カールは、そんなサリュの様子を一瞥すると、あっけらかんと言う。
「じゃあ、頑張るサリュくんはそのまま頑張ってもらうとして、オレたちはお食事タイムにしようか」
そして、はなうた交じりでランチの支度を始めた。
「どう?手の平から火、出せそう?」
ランチも終え、火の後始末をしていたカールが、拗ねたように距離を置くサリュに意地悪な笑みを浮かべつつ声をかける。
「うぐぐ……」
サリュは悔しさで唇を噛みしめるが、何も言い返せずに唸るばかりだった。
しばらく歩くと、ようやく村の門が見えはじめる。
門番との慣れた会話で手続きを済ませ、三人は村の中へと足を踏み入れた。
カールの淀みない受け答えと、門番が彼に向ける敬意に、リリスとサリュは改めて、カールは「大人」で、自分たちがまだ「子供」であることを思い知らされる。
村の広場は賑やかで、活気に満ちていた。色とりどりの露店が軒を連ね、子供たちが楽しそうに走り回り、笑い声が飛び交う。
「いい村だ」
サリュは、生まれて初めて見る他所の村の賑やかさに、思わずそう呟いた。
人にぶつからないよう、気を付けて通りを進んでいく。
ふいに、小さな店のドアが勢いよく開き、十代後半に見える一人の少女が飛び出してきた。その後を追うように飛び出した青年が、サリュにぶつかる。
「すみません!」
サリュが謝りかけたが、青年は女性を追うのに必死で、サリュの存在には気づかないようだった。
「ごめんよー、ごめんってば!」
青年は少女の背中を追いかけ、二人の姿はあっという間に人波に消えてしまう。
カールはそれを見て、「あれはフラれたな」と呟きながら顎を撫でた。
リリスは興味深げにその姿を見送っていた。
やがて、一行は大きな宿屋の前にたどり着いた。
その豪奢な佇まいに、サリュは落ち着かない様子でキョロキョロと周りを見渡す。
「こんなすごいトコに泊まるの? おれ、金ないですけど」
サリュの心配をよそに、カールは大人の余裕を見せつけた。
「いいでしょう! 私が払いましょう! キミらは今日から、私を王様と呼ぶように」
大仰な態度でカールが宣言すると、サリュは頭を垂れた。
「ははーッ!」
それを見たリリスは、深いため息をついた。
「バカが増えた」
カールがそれを聞きつけ「まあ!」と女性のような声を上げる。
「なんでよ。金は大事よ? オレ、金が大好き! 結局、この世の中、金持ちが最後に笑うのよ!」
品の悪い笑い方をするカールに、リリスは再びため息を吐きながら、小さく呟いた。
「バカの上に、ゲス」
夜になり、三人は宿屋に併設された食堂で食事をとることになった。
「王様! おれ、あれも食べたいです!」
サリュが目を輝かせながらメニューを指差すと、カールは高らかに答えた。
「よかろう」
そんなやり取りをよそに、リリスは、はす向かいの席に座るカップルをじっと見つめていた。サリュもそれに気づき、尋ねる。
「あれは、もしや、さっきの?」
「まだ喧嘩している」
リリスの言葉通り、カップルの間には険悪な空気が漂っていた。
少女が突然、勢いよく立ち上がり、食堂を出ていこうとする。青年は反射的に、慌てて彼女の腕を掴んだ。
カールがワザとらしいため息をついて席を立つ。
「もの好き」
リリスが冷めた声で呟くが、サリュはキラキラと目を輝かせた。
「かっこいい!」
カールは二人の元へ歩み寄ると、礼儀正しく青年をたしなめた。
「無理強いはよくないよ」
カールの言葉に、青年は彼女の手を放し、そのままめそめそと泣き出す。
「やっぱり、余計なことに首突っ込んだ」
リリスが呆れたように言う横で、サリュは「どっちも、がんばれ!」と応援の念を送った。
しかし、その場に響いたのは、少女の意外な言葉だ。
「違います。無理強いとかじゃありません!」
その言葉に、リリスは小さく笑う。
「王様、撃沈」
サリュが相変わらず、どっちも頑張れと念を送っていた。
「なぜこんなことに?」
カールが唸るようにつぶやき、頭を抱える。
どういうわけか、カップルを含めた五人で食事をしていた。
少女が「せっかくなのでご一緒してもいいですか」と尋ね、それを見つめる青年が、すがるような目で懇願したからだ。
気まずい空気が漂う中、サリュが唐突に自己紹介を始めた。
「おれはサリュ。隣の村から来た。お兄さんとお姉さんは、何て名前? どこから来たの?」
少女はにこやかに微笑むと、優しい声で言った。
「私はベル。この人はレント。親の決めたいいなずけ同士なの」
その言葉に、カールは眉をひそめる。
「仲悪いのに? 大変だね」
レントは慌てて否定した。
「悪くないですよ!」
おろおろとベルの顔色をうかがっている。
リリスはいつものように淡々とした口調で続けた。
「私はリリス。私とサリュは14歳」
リリスが、「たぶん」と付け加えようとするのを遮り、カールは目を見開いて驚きの声を上げた。
「14歳!? こんなにちっさいのに? うちの息子と同い年なの?」
カールの発言に、今度はサリュとリリスが同時に立ち上がった。
「結婚してるの!?」
「子供いるの!?」
話題は一気にカールへと向けられた。
リリスとベルはカールの妻の話を聞きたがり、サリュは子供の話を聞きたがる。
カールはめんどくさそうに、手をひらひらと振って彼らをいなした。
「はいはい、うちの妻は超絶美人で、息子は寡黙。以上です」
「えー」という不満の声が上がる中、レントがポツリと尋ねた。
「夫婦円満の秘訣は?」
カールは、その問いに間髪入れずに答える。
「ズバリ、愛だね」
その一言に、一同はシーンと静まり返った。