表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/7

原罪

 朝の件以来、サリュはすっかり青ざめた顔をして、口を閉ざしたままだった。三人は山道をひたすら進み、次の村を目指していたが、サリュの足取りは鉛のように重い。

カールとリリスは先を歩き、サリュは数メートル遅れて、まるで魂が抜け落ちたようなありさまだった。

「なあ、あれは一体、なんだったんだ?」

カールが隣にいたリリスに小声で話しかける。リリスは、サリュの方にちらりと視線を送り、それから小首を傾げた。

「サリュはバカで、バカで、ほんとにバカなんだけど」

リリスの辛辣な言いように、カールは苦笑いを浮かべる。彼女は淡々と言葉を続けた。

「昔から、サリュが怖がるのは、一つだけ」

リリスの視線が、ちらりとサリュに向けられた。

「火よ」

リリスは、遠い過去を見つめるように目を細めた。


 二人がが出会ったのがいつだったのか、リリスは覚えていない。

初めての記憶。二番目の記憶。そこにはいつもサリュがいた。

「腹減ったー!」

いつも大きな声で、屈託なく笑いながらそう叫ぶ、サリュはそんな子供だった。


 二人は親のいない子供たちが身を寄せ合う小さな社会で生きてきた。十数人いただろうか。はっきりとした数は思い出せない。

自分たちがどこから来て、どこに行くのかも分からず、ただひたすら、今日を生き延びることに必死で、どん欲な一つの細胞のように、子供たちは支えあい、励ましあい、そして盗みを働き、ただ群れを成して今を生きていた。


 二人で村にたどり着く以前は、二人よりも少し大きな子供たちに率いられていたとリリスは記憶している。

彼らは皆、それぞれの役割を持っていた。

食べ物を探す者、寝床を作る者、小さな子供たちの面倒を見る者。

サリュとリリスは、その中でも最年少だったため、一番の役立たずではあったが、それでも年上の子供たちの指示に従い、無茶をしては年長者にたしなめられては、ふざけあっていた。


「怖かったことはたくさんあった。もちろん辛いことも。でもサリュはいつでも平気で、いつでもバカ」

リリスは呟く。

「怖いもの知らずで無鉄砲。でもね」

リリスは数回瞬きをすると、何かを追い払うように息を吐きだす。

「火が怖いの。今は小さな日なら平気だけど、昔は生活で使うような火ですらいやがった」

カールは黙って聞いている。

歩くスピードは一定なのに、リリスはなぜか呼吸が苦しく感じた。

「デンキがあればいいのにって、よく言っていたわ」

そして立ち止まり、カールに尋ねる。

「ねえ、デンキって何?」

カールも足を止めた。

「オレに聞くなよ」

呆れたように言う。


 リリスは、そうだね、と生真面目な顔でうなづいた。

「とにかく、サリュは火がダメだった。今でも少し怖がっている。昨日も、野営の焚き火に近づかないようにしていたでしょう?」

だから、とリリスは結論づけた。

「きっと、さっきのあれは、火に関係する反応だと思う」

カールは「ふうん」と半ば上の空の合図値を打った。


 山道を歩くサリュの足取りは、リリスとカールの話を遠くで聞きながらも、重かった。その脳裏には、リリスが語るこの世界の幼い頃の記憶とは別の、鮮明な景色が広がっていたのだ。


 この世界に生まれ、物心がつく頃から、サリュの心には奇妙な「記憶」が染み出すように現れ始めた。それは、この世界の記憶とは全く異なる、前世のものだと、サリュは知っている。


 前世のサリュは、ごく普通の高校生だった。

そして、サリュには、かけがえのない友人がいた。

彼はいつも明るく、豪快な笑い声が特徴だった。学業優秀で、スポーツマン。その友人の陽気で実直な人柄を、前世のサリュは深く尊敬し、信頼を置いていた。だからこそ、見落としてしまったのだ。彼の笑顔の裏に隠された、深い苦悩を。


 ある日、友人は破綻した。

世の中のすべてを憎悪し、世の中のすべてをひっくり返したくなるほど、彼は壊れてしまったのだ。

あの事件が起きるまで、サリュは何も気づけなかった。

自分は一体友人の何を見ていたのだろう? なぜ、もっと彼の話をかなかったのだろう?

何かできることはなかったのか? 


 あの業火の中、サリュの魂に刻まれた炎の記憶。

その後悔は、前世のサリュの心を深くえぐり取り、今世のサリュの根幹を形成していた。

だから、サリュは強く願う。

「助けたい」

誰かが苦しんでいるのなら、手を差し伸べたい。

絶望の淵にいる者がいるなら、その者を救い出したい。あの時、友人にできなかったことを、今度こそ、この手で成し遂げたい。

サリュの心に燃える「助けたい」「救いたい」という衝動は、前世で友人を失ったという、苦い、しかし決して忘れることのできない経験から生まれてくる、彼の最も根源的な原動力だった。


 歩くサリュの隣に、いつの間にかカールがいた。長身をかがめ、サリュの顔を覗き込み、耳元で低い声を響かせる。

「よう」

意地悪で残酷な笑みを浮かべたカールの目が、すぐそこにあった。

「おまえ、人を助けるんじゃなかったの?」

ハッと息を呑んだサリュは、深く沈み込んでいた回想から無理やり引き戻された。目の前には、いつの間にか森が開け、山道は下りに差し掛かろうとしている。

「人を助けるためなら、自分を顧みないんじゃなかったの?」

カールの声が、さらにサリュの心をえぐる。

「火が怖いなんて、サルかよ」

挑発的な言葉が続いた。


「村に帰るのなら、早い方がいい」

サリュは、悔しさに唇を噛みしめる。その時、ふとカールの足元に視線が落ちた。彼の脛に、真新しく痛々しい大きな傷がある。深い切り傷だ。

「これ、もしかして昨日の……?」

サリュはギョッとして問いかけた。昨夜、大怪鳥に襲われた時に、自分を庇ったせいでこの傷を負ったのだろうか。だとすれば、何もかも、全部全部、自分のせいだ!


 サリュの視線に気づいたカールは、あっさりと否定した。

「これは今朝、自分でつけた」

その言葉に、サリュは戸惑う。

(自分で? なぜ?) 

傷は、昨夜、大怪鳥の足が異常に膨れ上がり、破裂したのと同じ位置にあるように見えた。

「なんで?」

サリュの問いに、カールは少し笑う。

「代償が必要かどうかなんて知らない。でも、代償が、オレにとって必要だから」

軽い口調だったが、カールの声には、確固たる信念のようなものが宿っていた。

「得るものが大きければ、失うものも、きっと大きい。そうだろう?」

彼は自嘲するように頭を横に振る。

「笑うか? オレは欲が深い」

その言葉は、意味に反してとても慎み深い響きを残す。

「だから、大切なものを失うことが、何より怖いんだ」


 カールの瞳は、まるで遠い過去を見つめているかのように揺らめいていた。彼の言葉の裏には、サリュには計り知れない重みがあった。

彼はもう一度、サリュの目を真っ直ぐに見つめた。

「おまえの大切なものは、なんだ?」

その問いに、サリュは迷うことなく答えた。

「人を助けること」


 サリュの答えを聞いたカールは、くしゃりと顔を歪めて笑った。それは、いつもの意地の悪い笑みではなく、どこか満足げな、あるいは理解を示すような、複雑な笑みだった。

「へーえー。そんなこと言わずに、しっぽ巻いて帰れよー」

軽薄な調子が戻って来る。

「もう一回、あれやって!」

サリュの目に迷いはもうなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ