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旅立ち

 サリュの渾身の叫びに、男は一瞬困惑し、イヤな顔をし、そして急におどけた笑みを浮かべて、ヒラヒラと手を振った。

「え、いやですけど?」

間の抜けた返答に、サリュの気持ちが置き去りにされる。

(まさかの即答!)

サリュはぐっと詰まった。男はさらに畳みかける。

「わたし、もうこの村離れるので無理です。今すぐ、これから、今この場で、出発するので、無理、無理、無理」

サリュは食い下がった。

「ついていきます! ついていかせてください!」


 サリュの必死さに、男は「いやいやいや」と、心底困ったように首を横に振る。

「おうちの人に怒られるよ? ついでにオレも、人さらいみたいになっちゃうじゃん」

困るじゃん、オレ、と言う。

そのセリフに反応して、リリスが小さく「やめときなさい!」とでも言うようにサリュの袖を引いた。



 リリスは親友で家族。もちろん、サリュを熟知している。そのために、このタイミングで割って入ったのだが、しかしこの後の結末も彼女には十分わかっていた。

「おれ、親いないです!」

サリュの言葉に、男は言葉を失い、目を見開いた。リリスが静かにサリュの袖を離す。

サリュはさらに必死に言った。

「どこでも行きます! なんでもします!」

そして、もう一度、彼の目をまっすぐに見て言った。

「だから、教えてください!」


 リリスは、どこか達観したように息をつく。

男は「えー……」と、呻くような声を上げた。彼は本当に困惑しているようだった。額に手を当て、数秒視線をさまよわせる。そして、きっぱりと言った。

「先を急ぐ旅なので、やっぱ無理。今行くの。すぐに出発するの。子供にかまってる暇はないの」

早口でまくし立てると、部屋の外に歩き出した。逃げるように、足早に進む。

サリュは小走りで後を追った。あきらめる気はみじんもなかった。彼の背中を見失うまいと必死でついていく。


 宿の階段を降りきったところで、ちょうど扉が開く音がした。村の婦人会の会合を終えたらしい、数人のご婦人たちが楽しげに話しながら入ってくる。その中に、宿のおかみであるマーテルの姿があった。細身で、いつも優しげな微笑みを浮かべている彼女は、サリュとリリスを何かと気にかけてくれる、温かい存在だ。


 マーテルは、宿から出て行こうとする男の姿を認め、にこやかに「お部屋はいかがでしたか? 本日の昼食はどうしましょうか?」と声をかけた。

男は軽く頷き「昼食はけっこう。良い部屋でした。旅を急ぐので、本日チェックアウトでお願いします」と外に向かおうとする。

その後に続くサリュとリリスを見て、マーテルが「あら、まあ」とつぶやいた時だった。


 ご婦人たちの一人、村で雑貨屋を営む女主人が、サリュを見とがめて甲高い声を上げた。

「サリュ! こんなところで、なに油売ってるんだい! 今日の草刈りをしておいで!」

サリュは(こんな時に!)と思いながらも、少しだけ足をゆるめる。だが、意を決して言った。

「ごめん! 今日は無理なんだ!」

そして、さらに言いなおした。

「おれ、旅に出るんだ!」


 雑貨屋の女主人は、目を丸くしたかと思うと、たちまち顔を赤くして怒り始めた。

「じゃあいったい誰が草刈りをするんだい!? 誰が毎日、パンを施していると思ってるんだい!」

その剣幕に、宿を出ようとしていた男が足を止めた。彼はゆっくりと振り返ると、雑貨屋の女主人をドキリとさせるような、魅力的で柔らかな笑顔を向けた。

「失礼ですがマダム。あなたはこの坊やに、一日いくら支払っておいでですか?」

男の不意打ちの問いかけに、雑貨屋の女主人は、怒りの表情から一転して、急に言葉遣いを改め、ぎこちない笑顔を返した。


「ああ、とんでもない。私たちは、この子らを家族のように思っているんですよ。家族が助け合うのは当然です。私たちは子供たちに仕事を与え、子供たちは私たちから食事を与えらているのです」

男は、彼女の言葉を聞くと、まるで馬鹿らしいというように、笑い出した。

「つまり、ただ働き?」


 その一言が、雑貨屋の女主人の逆鱗に触れた。彼女は再び怒りで顔を赤くして、自分たちがいかに素晴らしいか、子供たちがいかに立たずで生意気で、恩知らずであるかを喚き散らす。

他のご婦人たちが固唾を呑んで見守る中、男は「なるほど」とつぶやき、挑発するように言葉を続けた。

「いいでしょう。良くわかりました。この子たちは私と一緒に旅に出た方が、よっぽどマシな暮らしができそうだ」


 すると雑貨屋の女主人は、嘲るように言い返した。

「ほらごらん! あんたも結局、安くこの子らを使う気じゃないか!」

男は、その言葉にも表情を崩さず、むしろさらに魅力的でありながら、雑貨屋の女主人が思わず怯むような、凄みのある笑みを浮かべた。

「それが本音か?」


 その時、宿のおかみであるマーテルが、二人の間に割って入った。

彼女はサリュとリリスのそばにそっと膝をつき、二人の目を真っ直ぐに見つめて、穏やかな声で尋ねた。

「……行くの?」

サリュとリリスは、無言で頷く。マーテルは寂しげに目を伏せたが、すぐに顔を上げ、男に深々と頭を下げた。


「どうか、この子たちを、よろしくお願いいたします」

男は、マーテルの真摯な頼みに、初めて真面目な顔つきになった。

「かしこまりました。私は西の都からやって来たカール・メトルと申します。ある病に効力のある技術や人を探して、国中を回っています」

メトルは、二人を確かに預かると伝え、マーテルと固い約束を交わした。

サリュの表情が、ぱっと明るく光る。



 マーテルは、優しく子供たちの頭を撫でながら、温かい声で言った。

「ずっと力になれなくてごめんね。いつでも帰っておいで。ここはあなたたちの故郷でもあるのだから」

サリュはカールの顔を見上げる。カールはわざと苦々しい顔をして、それから二人を手で呼び、ゆっくりと歩き始めた。

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