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何もかもが、灰色に見えた。
日差しの強さも、街の喧騒も、教室のざわめきも。
全部、俺には届かなかった。
俺の中には、もう音も色もなかった。
さやが――他の男と、あの場所に入っていった日から。
「北条、大丈夫か? 顔、死んでんぞ」
講義後、友人の佐伯に声をかけられる。
だが、上手く笑えなかった。
「寝不足かも」
そう答えるのが精一杯だった。
スマホは、昨日から一度も通知を鳴らしていない。
俺からも、何も送っていない。
送ろうとして、何度も文面を打っては、消した。
「何してたの?」
「どうしてあんな奴と……」
「俺たち、もう終わりなの?」
どの言葉も、情けなさすぎて吐きそうになった。
俺があいつにしたことは、何かあっただろうか。
喧嘩もした。そっけない態度もあった。
でも、浮気なんてしてない。
他の女に触れたこともなかった。
俺は、ただ真面目に、さやだけを見てた――つもりだった。
けれど、足りなかったのかもしれない。
さやが笑わなくなっていたのに、俺はそれに気づけなかった。
甘えてたのは、俺の方だった。
講義を終えて、廊下を歩いていたとき。
正面から歩いてきた男の姿に、心臓が止まりそうになる。
――新宮悠翔。
あのとき、さやと一緒にいた“後輩”。
ゼミで同じグループだったが、話すのは飲み会程度。
無害で人当たりがよく、先輩に敬語も使えるタイプ。
正直、印象は薄かった。
その新宮と、今、目が合った。
「……あ、北条先輩」
軽く会釈して、すれ違おうとする彼。
俺は、無言でその場に立ち止まった。
喉が焼けるように痛い。
けど、言葉が出ない。
「……あの」
新宮の足が止まった。
俺の顔を見て、何か言いたげに眉を寄せる。
「……何か、言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれよ」
震える声で、やっとそう言えた。
それしか言えなかった。
新宮は、静かに目を伏せて――
「すみません、俺……もう少ししたら、ちゃんと話します」
そう言い残して、去っていった。
何が「もう少し」だよ。
何が「ちゃんと」だよ。
こっちは、もう全部見たんだよ。
けど、不思議だった。
あいつの顔にあったのは、“勝者の余裕”じゃなかった。
罪悪感? 後悔? それとも――迷い?
ますます分からなくなっていく。
さやの気持ちも、新宮の言葉の意味も。
ただひとつだけ、確かだったのは。
俺は今、人生で一番みっともなくて、情けない時間を生きているってことだ。