最終話 宅飲み
「まもなく、仙台です。お出口は……」
古川駅から新幹線に乗り、十数分もすれば仙台駅が近づいてくる。間もなく八月も終わり、九月になろうかという頃。実家で一か月にわたって静養していた俺は、無事に回復して仙台に戻ることになった。
「ふああ……」
伸びをしながら立ち上がり、網棚に置いた鞄を下ろす。一か月前に比べて、信じられないくらい思い通りに体が動く。元通りになって本当によかった。
「ん」
ふと車窓から外を見ると、既に列車はホームに滑り込むところだった。うかうかしていると東京まで連れて行かれてしまうので、慌ててデッキに向かって歩きだす。間もなくして列車が止まり、ドアが開いた。
「せんだい~、せんだいです。お乗り換えのお客様は……」
周りの乗客に囲まれながら、ホームに降り立った。一か月ぶりの仙台か。前は何も思っていなかったけど、いざ着いてみると嬉しいものだな。同じ県内だし、静養中でも来ようと思えば来られた気もするけどね。
「さて……」
ポケットから紙きれを取り出す。そこに記されているのは恋人の住所。実家の電話番号を教えてほしいと言われたので、何をするのかと思っていたら……あろうことか、住所の書かれた紙をファックスで送ってきたので面食らった。
せめてメールくらいは覚えてほしいなあ。というか、メールを送るよりファックスを送る方がよっぽど難しいと思うんだけど。まあいいか、妙に古風なところも可愛くて好きだし。
腕時計を見ると、約束の時間が迫っている。自分のマンションに寄ってから、とも思ったけど間に合わないな。このまま直接向かうことにするか。
軽い足取りで、改札に向かって歩きだしたのだった。
***
目的地の部屋の前に着く。駅の東側にあるマンションの三階。こんなところに住んでたんだな、知らなかった。出会って初日……いや、二日目に「宅飲みしよう」と誘われて一か月と半月。とうとうこの日がやってきたわけだな。
「ふう……」
息を吐きだす。会うのは松島以来だし、緊張するな。考えてみれば、俺は「恋人」の家に来たんだもんな。普段通りに振る舞う方が無理かもしれない。
「よしっ」
意を決して呼び鈴を押すと、扉の向こうからパタパタと弾むような足音が聞こえた。姿は見えないのに、すごく嬉しそうに走ってくるのが想像できる。そして間もなく――
「怜かっ!?」
バーンと扉が開いて、薄いピンク色のエプロンを身にまとった恋人が現れた。長い髪をポニーテールにまとめた姿が、まるで結婚したばかりの新妻みたいでドキッとする。片手におたまを持ったままだけど、それもまたこの人らしいなと嬉しくなった。
「久しぶり。似合ってるよ」
「な、何がだ?」
「エプロン着ているからさ。新婚さんみたい」
「まっ、またすぐそうやって! もうその手は食わんぞ!」
「えー、可愛いのに」
「~~! はっ、早く上がったらどうだっ!?」
「はーい、お邪魔します」
実家にいる間も電話はしていたから、すごく久しぶりという感じはしない。それでも直接会えるとやっぱり嬉しいな。笑顔、雰囲気、発する言葉。全てが宝物のように思える。なんて考えながら、玄関に上がって扉を閉めた。
「荷物は玄関に置いてくれ。リビングがそんなに広くないんだ」
「分かった、ありがとう。料理してたの?」
「ああ! 任せてくれ、家庭科の授業で『5』以外をとったことがないんだ!」
「そりゃ頼もしいなあ。ちょっと荷物を整理するからさ、先に戻っててよ」
「あ、ああ」
持ってきた鞄を床に置き、しゃがんだままごそごそと中身を漁っていると……何やらすぐ近くから視線を感じる。あれ、戻っててって言ったのに。料理の途中じゃなかったのかな。
「どうしたの?」
「怜。私が新婚さんみたいだと言ったな」
「え? うん」
「……新婚さんなら、帰ってきた時にすることがあるんじゃないか?」
「えっ?」
整理を終えて、立ち上がると……目の前の恋人が、真っ赤に染まった顔をこちらに見せていた。普段は素直なのに、こういうことははっきり言い出せないんだからなあ。
「今じゃないと駄目なの?」
「駄目というか、だって――」
「お~いお二人さんっ、玄関で何してるのさーっ?」
「こらーっ! 夏織ったら鍋放っておかないでよー!」
廊下の向こう、居間の方から松岡と白兎の声が聞こえた。二人してドキっと跳ね上がり、顔を見つめ合う。今日はあくまで俺の「回復おめでとうパーティ」らしいので、あの二人も来てくれているのだ。
「さっ、桜が二人で宅飲みなんて駄目だって……!」
「あはは、白兎さんは心配してくれてるんだよ。あんま文句言わないで」
「別に、文句なんか言ってないぞ……」
頬を膨らませて、なんだかいじらしい様子の恋人。要するに、今じゃないと二人っきりになれないって言いたいんだろうな。そっと頭に手を乗せて、撫でる。
「なっ、なんだ!?」
「可愛いなあって思っただけだよ」
「むー、子ども扱いして……」
不満そうに、恨めしそうにじっと見つめられる。同学年ではあるけど、二歳下の女の子だもんな。まだまだ俺がリードしないといけない場面もあるだろう。別に、無理して大人にならなくても――
「覚悟しろっ、怜っ!」
「えっ?」
気付けば、背中に手が回っていた。正面の恋人は目を瞑っていて、その綺麗な顔に思わず見とれてしまっていると……不意を突かれるように抱きしめられた。そして――
「――んっ!」
「んんっ!?」
……唇に、柔らかな感触を覚えた。不思議と甘い味がしたような気がして、脳がとろけそうになる。俺はただ、身を預けるまま――唇を奪われた。
「ぷはっ。どっ、どうだ!」
「なっ、何が!?」
「いつも怜には意地悪されてばかりだからな! たまにはやり返さないとと思ったんだ!」
はっはっはと高笑いが聞こえた。まったく、この恋人様は随分と強気だな。いや、思えば初めて会った時からそうだったかもしれない。不器用かと思えば、唐突に距離を詰めてくる。このアンバランスさも含めて魅力的な人なんだと、改めて認識した。
「さてっ、私は料理に戻るぞ!」
恋人様は満足した顔で、居間に向かって歩きだす。いいのかな、初めてのキスがあんな感じで。それに……まだ、帰ってきたという挨拶をしていないし。よしっ、後で何か言われても大変だしな!
「待って」
「どうした?」
後ろから肩を掴み、こちらを向かせる。まったく、すっかり勝ち誇った顔だな。知らないぞ、後で恥ずかしがっても――
「んっ」
「!!?!!!?!?」
しっかり体を抱きしめて、予想外の一撃を食らわせた。恋人様は顔を真っ赤にして、手足をじたばたと動かしているけど、俺はぎゅうと抱きしめて逃がさない。さっきよりも長く、濃密に口づけを交わす。恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、無理やり振り払われてしまった。
「なっ、何をする!?」
「お返し。恋人ならキスして当たり前でしょ?」
「ああああ当たり前だがそうじゃないっ! 破廉恥! ばかっ!」
「最初にしてきたのはそっちじゃん」
「そっ、それを言うなっ! ……やっぱり、怜は意地悪だ!」
「あはは、そうかもね」
なんて言いつつ、両肩を掴んで俺の方を向かせた。また戸惑っているみたいだけど、今度はキスをするんじゃない。
約束通り、仙台に帰ってきたんだ。ちゃんと挨拶しないといけないよな。
「ただいま、夏織」
「!」
きょろきょろ動いていた夏織の視線が、俺の顔に向けられた。静養中に電話していたおかげで、既に敬語はとれていた。でも、名前に関しては「さん付け」にしたままだったからな。呼び捨てにするのは直接会ってからにしたかった。
「えっと……その……」
夏織はまた頬をかいて、恥ずかしがっていた。本当に見ていて飽きない恋人だ。世界一の恋人と言っていいかもしれない。
「大丈夫。ゆっくりでいいから」
頬に手を当てて落ち着かせる。夏織は深呼吸を繰り返して、少しずつ心を静めていた。
「……」
「……」
一瞬だけ、互いの顔を見つめる。目が合った瞬間、夏織は優しく微笑んで……俺を迎えてくれた。
「おかえり、怜」
もう二度と、この人を忘れることはないだろう。
これにて完結です。
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