第4話 何が問題なんだ?
ちょっと涼しくなった夕方、俺は購買の前で篠崎さんのことを待っていた。今日最後の講義も終わる頃で、サークル活動なんかに向かう学生が多く行き交っている。
「そろそろ五時か……」
ちらりと左腕の時計を見ると、針が集合時間を指していた。真面目そうな人だったし、遅れてくることはなさそうだけど。
「すまない、お待たせした!」
あっ、来たかな。顔を上げると、講義棟の方からパタパタと走ってくる篠崎さんの姿があった。長いスカートを揺らしているから、なんだか華麗に見えるなあ。
「いや、待ってないですよ」
「講義が思ったより長引いてしまって……申し訳ない」
軽く息を切らして、軽く汗を浮かべている篠崎さん。涼しくなったと言ってもそれなりに蒸し暑いのに、よく走ってきたな。それより、どこに行くつもりなんだろう?
「あの、篠崎さ――」
「本当にありがとう、会ってくれて」
「へっ!?」
柔らかっ!? ちょっ、何!? 俺の右手が篠崎さんの両手に包まれているんだけど!?
「恩に着る。まさか、君とまた飲みに行けるなんて……」
「ちょちょちょっ、そんな深々と礼しなくていいですからっ!」
なんだこの光景!? 篠崎さんが俺の手をがっちり掴んでお辞儀をして……って、営業回りのサラリーマンじゃないんだからさ! なんか周りの学生もちらちらこっち見てるし!
「い、いいから! 顔を上げてください!」
「あ、ああ。ありがとう……」
やっと顔を上げてくれたけど……篠崎さんは頬を赤く染めて、目を合わせてくれない。それどころか、恥ずかしそうに視線を左右させている。
ど、どうしたものか。とりあえず、手を繋ぐのは俺も恥ずかしいからやめてもらおうかな……。
「あの、篠崎さん?」
「な、なんだ!?」
「とりあえず……手、放してもらっていいですか?」
「えっ?」
「みんな見てますから……」
俺はなんとなく周囲に視線を向けて、篠崎さんに意図を汲み取ってもらおうとした。俺はともかく、篠崎さんは美人としてそれなりに有名な存在なんだ。キャンパス内で堂々と手を繋いでいれば、何を言われるか分からな――
「何が問題なんだ?」
「へっ?」
「みんなに見られて何がおかしいんだ?」
「えっ、それはその」
「それに……最初に手を繋いできたのは、私じゃなくて……君が……」
なんかテンションの上がり下がりが激しい人だな!? 堂々と「何が問題なんだ」と開き直ったと思えば、急にしおらしくなってしまった。いや、でも流石に――
「と、とにかく! 私が君と手を繋いで、何の問題がある?」
「問題は……ないですけど……」
「な、ならいいな! さあ、行こう!」
「ちょっ、ちょっと!」
うおお、意外と力が強い! 俺は篠崎さんに手を引かれるまま、地下鉄駅の方に向かって歩き出した。
ジャージを着た運動部員も、白衣を着た学生も、講義を終えて帰宅する教授も、みんなこっちを見てビックリしている。俺だってビックリだよ!
「と、ところで篠崎さん!」
「なんだ!?」
「あの……どこの飲み屋に行くんですか? 駅前とか?」
「あっ、そうか!」
「うえっ!?」
急に立ち止まった!? つんのめって転びそうになったが、なんとか踏みとどまった。いてて、思ったより篠崎さんって強引なんだな。
「誘っておいて言いにくいのだが、私は居酒屋に詳しくないんだ。だから今日も、店のことは全く考えていなくて……」
「ああ、そうなんですね」
なぜその状態でわざわざ俺を飲みに誘ったんだろう、という疑問はともかく。そうだなあ。いくつか知っている店を挙げて、篠崎さんに選んでもら――
「聞くところによると、大学生は宅飲みというものをするらしいな」
「えっ?」
「その……君が良ければ、私の家で……」
いやいやまずいまずいまずいって! 頬を赤く染めてちらちらこっち見ないで! 意味を分かって言っているのかな!? 分かってないのかな!? どっちにせよまずいって!
「だ、だめですって!」
「そうなのか?」
「今日は僕が知っている店に行きましょう! 美味しい店を何軒か知ってますから!」
「わ、分かった。君がそう言うなら、私は反対しない」
あー、良かった。ほっと胸を撫でおろしていると、篠崎さんがまた俺の手を掴んで、駅の方に向かって歩き出す。……よく考えたら、結局なんで俺を誘ったのか聞かなかったな。
でもまあ、いいか。単に美人ってことしか知らなかったけど、いろいろ面白そうな人だし。これも良い機会だし、飲んでみることにしようか。
「その……」
「どうしたんですか?」
篠崎さんが前を向いたまま、話しかけてきた。何を言い出すのかと思っていると――
「今度はぜひ、私の家に来てほしい」
どんな顔をしているのかは分からなかったけど、後ろから見える耳たぶが――真っ赤になっているのがはっきりと見えたのだった。
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