第16話 夏織さんからの電話
「……んあ?」
目が覚めると、ファミレスのテーブル席にいた。飲みかけのワイングラスに、数本しか残ってないフライドポテトが視界に映る。あれ、なんでこんなことに?
「あっ!」
そうだ、白兎と一緒にここに来ていたんだ! 俺一人ってことは、アイツは先に帰っちまったのか!? まずい、夏織さんに連絡されたら――
「ん?」
よく見ると、テーブルの中央にお金とメモ用紙が置いてあった。なになに、書き置きがしてあるみたいだな。
『今日はありがとう ワリカンのお金を置いておきます』
ありがとう、とは何だろう。別に感謝されるようなことをした覚えはないんだけどな。どれどれ、続きの文章は……。
『つけてたこと、夏織に謝ります あなたのことは告げ口しません』
あれ、意外だな。素直に謝るなんて、よっぽど心変わりがあったのだろうか。……って、ん? まだ続きがあるな。
『追伸 ワインを飲むときは気をつけてください 酔いやすいみたいですよ』
えっ、そうなのか。たしかに、普段は酔っぱらって眠りこけるなんて無いからなあ。ワインとは相性がよくないのかもしれないな。
そういえば、今何時なんだろう? すっかり眠ってしまったみたいだしな。スマホスマホ、っと――
「んん!?」
なんだこれ!? 三十件電話が来てる!? 俺のスマホなんか普段は迷惑電話しかかかってこないのに、いったい誰が……って、夏織さんの番号だ!
と、とりあえず今の時刻は……もう十二時前か。どうしようかな。寝ているかもしれないし、折り返したら迷惑かな? いや、でもなあ。三十件も電話をよこすなんてただごとじゃないしな。
「とりあえず出ないと……!」
とにもかくにも、電話をするには店を出なければ。俺は慌てて席を立ち、白兎の書き置きとメモ用紙を手に持ってレジへと向かったのだった。
***
「ありがとうございましたー」
店員の言葉に見送られ、ファミレスの外に出る。流石にこの時間になると少し涼しいな。もうあんまり人も歩いてないし。
「よしっ」
とにかく電話しよう。通話アプリを開いて、着信履歴から夏織さんの番号を選び、スマホを耳に当てる。寝ているかもしれないし、一度かけて出なかったらまた明日――
『怜! 私は腹を切らなければならない!!』
「!!!!?!?!?!!?」
出るの早っ! 声デカっ! そして腹を切るってなんだ!?
「ど、どうしたんですか急に!?」
『本当に申し訳ない! その……友人が、私と怜のことをつけていたらしいんだ!』
「あ、ああっ!」
そうか、白兎から何か言われたのか! それで俺に対して申し訳なくなって、慌てて電話をかけてきたってことか。
「お、落ち着いてください。別に夏織さんが何かしたわけじゃないでしょう?」
『いや、私がしたも同然だ! すまない、君に何と言って詫びればいいのか……』
「ええっと……」
夏織さん、本当に曲がったことが嫌いなんだなあ。「友達が勝手にやったこと」なんてことは言わないんだから、誠実な人だ。
「謝らないでくださいよ。しろ……お友達はどうして僕たちのことをつけていたんですか?」
あぶないあぶない、たぶん白兎は俺とファミレスで話したことを夏織さんには伝えてないだろうしな。
『私のことが心配だったそうなんだ。私はあまり男の人と出かけることがなかったから……』
「ああ、そうなんですね」
白兎はきちんと謝ったみたいだな。俺だって、夏織さんに打ち明けなければならないことがあるんだ。ちゃんとしないと――だけど、まずは夏織さんを宥めないと。
「別に、悪意があってしたことではないんですよね? だったら僕は気にしませんよ」
『ほ、本当か?』
「夏織さんも、お友達のことはあまり責めないであげてくださいね」
『そうか。私の腹と一緒に、彼女の腹も切るところだった』
「やめてくださいね!?」
なんでそう発想が極端なんだよ!?
「とにかく、僕は気にしてませんから!」
『しかし、私の気が済まないんだ。何かお詫びを……』
電話越しでも、夏織さんが申し訳なさそうにしているのが伝わる。なんとかこの人に納得してもらうには……そうだっ、今こそゆうべの件を謝るべきタイミングじゃないか。お互いに謝ることになれば、夏織さんの気も済むだろう。
こほんと咳ばらいをして、呼吸を整える。昨日のことは覚えていなかったけど、それはそれとして夏織さんとは仲良くしてきたい。だから、俺はこの人にきちんと打ち明けないと――
『お詫びに、怜のところに嫁入りさせていただきたいのだがどうだろうか!!』
「なんでそうなるんですか!?」
俺のお詫びがとんでもねえお詫びに上書きされた!?
『私の身を君に差し出したいんだ! 煮るなり焼くなり好きにしてもらいたい!』
「意味分かって言ってますか!?」
『そうでもしないと本当に申し訳ないんだ! 既に婚姻届は用意してある!』
「手際よすぎません!?」
『どうか! お詫びとして私を受け取ってくれ!』
「無茶苦茶言わないでください!」
こんな美人と結婚できるなんて嬉しいかもしれないけどお詫びの品として頂戴するのは意味が分からない! ってか本当に落ち着いてくれ!
「あの! とにかくお詫びの品とかいいですから!」
『わ……私では足りないだろうか?』
「えっ?」
『やはり、私が相手ではお詫びにとして不足しているだろうか?』
「そういう意味じゃないですって! むしろ嬉しいくらいですけど!」
『そっ、そうなのか!? では今すぐ婚姻届に――』
「そういうことなんですけどそうじゃないんです!」
ああもう訳が分からない! とにかく何かお詫びがないと納得してくれないんだな! えっと、こうなったらもう――
「じゃ、じゃあ! 次に飲むときは、夏織さんがどこかお店に連れていってください!」
『わ、私がか?』
「はい! 飲み屋じゃなくてもいいので!」
『そうか……』
夏織さんはようやく落ち着いたようで、何か考え込んだような声を出していた。あまり飲みに行かない、とは言っていたけど、どこか美味しいレストランくらい知っているだろう。
『分かった、今度は私が怜を案内する』
「ええ、それでお願いします」
『君が良ければ、宅飲みでも――』
「そ、それより外のお店がいいですね!」
油断も隙もありゃしねえ!
『そうか、外がいいのか。例の友達がいろいろな店を知っているから、聞きだしてみる』
「はい、それでお願いします」
きっと白兎は血眼になって探してくれるんだろうな……。とにかく、納得してくれたみたいで何よりだ。いつまでも店の前で電話しているわけにもいかないし、帰らないと。
「では、夜も遅いですしそろそろ切りますね」
『……』
「夏織さん?」
あれ、電波が悪いのかな。急に聞こえなくなったけど、どうしたんだろう。
『き、切るのか?』
「ええ。まだ外なので、帰らないといけないんです」
『……』
「どうかしました?」
『いや、その……』
また口ごもって、黙り込んでしまう夏織さん。白兎のことかな、話し忘れたことでも――
『切らないで欲しい、と言ったら迷惑だろうか……?』
……ずるいなあ、夏織さんは。こんな可愛いことを言われてしまったら、切るに切れないじゃないか。
「迷惑じゃないです。いつまででも話しますよ」
『ほ、本当か?』
「はい、いくらでもどうぞ!」
さっき飲み屋であれだけ話したのに、まだ足りなかったんだなあ。誰も通らない道に立ち、ひたすら夏織さんと話し続ける。もう日付は変わってしまったけど、疲れたとも眠いとも感じなかった。
『――で、それでだな……』
「ええ、なるほど」
ああでも、流石に帰らないとまずいか。明日も授業だし、ぼちぼち帰らないと――
『今度飲むときは、ぜひ婚姻届を持って行こう』
「はい?」
はい?
『やはり用意は早い方がいいと思うんだ。だから……』
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
ちょっと気を逸らした隙に話がこじれた!?
『すまない、私が眠くなってきてしまった。そろそろ寝てもいいだろうか』
「寝てもいいですけどその前の話が――」
『では、おやすみ。また飲もう』
「夏織さん!?」
まだ話が終わってない、と言いかけたところで電話が切れてしまった。……本当に婚姻届を持ってくるんじゃないだろうな!?
「マイペースだなあ……」
ポリポリと頭をかきながら、自宅に向かって歩き出す。今日は本当に盛りだくさんの一日だったなあ。結局、ゆうべの話は出来なかったけど……これから夏織さんと仲良くしていれば、いずれ話す機会もあるだろう。
こうして、俺と夏織さんの妙な付き合いが幕を開けたのであった。




