第11話 ひとまず、お開き
「ふー、美味しかったですね」
「ああ、怜の言う通りだった」
俺は梅茶漬けを、夏織さんは鮭茶漬けを平らげた。空っぽになった丼が二つ、テーブルの上に置かれている。
ちらりと腕時計を見ると、時刻はまだ十九時半くらい。飲み会を終えるには早い時間かもしれないが、昨日も飲んだ(らしい)しこれくらいでいいだろう。
「よし、じゃあ今日はお開きにしましょうか」
「そ、そうか」
「?」
席を立とうとすると、寂しそうな声に引き止められた。夏織さんは上目遣いでこちらの顔を見上げて、何か言いたげにしている。こんな顔をされてしまうと……思わず声を掛けたくなってしまうな。
「どうかしました?」
「次は……」
「えっ?」
「つ、次はいつ飲んでくれるんだ?」
夏織さんには申し訳ないけど、可愛いなと思った。不安そうな声色が、こちらの心を掴んで放してくれない。そうだなあ、次か。
「夏織さんならいつでも大歓迎ですよ。飲みたい時に連絡してください」
「ほ、本当かっ!?」
「嘘なんかつかないですって。逆に聞きたいんですけど、僕の方から連絡しても大丈夫ですか?」
「ああ、構わない! むしろしてくれるのか!?」
「してもいいなら、ぜひ」
「そうか、そうか。……ありがとう、怜」
微かに笑みを浮かべ、夏織さんは俺の顔を見ていた。
***
「すまない、私の分はこれで頼む」
「了解です」
レジの前で、夏織さんが何枚かの札と小銭を渡してくれた。今日は割り勘しようという話になったから、だいたい半額を渡してくれればいいと伝えたのだが――夏織さんは一円単位できっちりと払ってくれた。
細かい小銭を用意していたことにも驚いたけど、ちょうどぴったり割り勘するのは夏織さんらしいなと思った。別に「らしい」などと言えるほど付き合いがあるわけじゃないけど、今日だけでも何となく人となりが分かった気がする。
「ではちょうどいただきますー」
俺が代表して支払うと、店員のお姉さんがカタカタとレジスターを叩いていた。その様子をなんとなく眺めていたのだが――夏織さんが、首をかしげて店内を見渡していた。
「どうかしました?」
「……桜?」
「?」
「いや、なんでもない。知り合いに似た人間がいた気がしただけだ」
「ああ、ならいいんですが」
そんな会話を交わしながら、店員からレシートを受け取った。
「ありがとうございましたー!」
「どうも、ご馳走様でした」
店員がドアを開けてくれたので、それに従って外に出る。店の前にて、俺は夏織さんに別れを告げた。
「では、今日はこれで失礼します。またお願いしますね」
「こちらこそ、これからよろしく頼む。では、私も失礼する」
夏織さんは深々と頭を下げると、駅の方に向かって歩きだした。どこに住んでいるのか知らないけど、地下鉄かバスかで帰るのかな。まだそこまで遅くないし、送っていかなくても大丈夫だろう。
「さて……」
こんな駅前で一人になっちまった。どうしようかな、なんだか帰るのには惜しい。酒ってより遊んでいきたい気分だな。一人だし、ダーツバーにでも――
「ねえ~、おにいさ~ん?」
「うおっ!?」
なんだ急に!? 背後からの猫撫で声に驚き、思わず振り向いてみると――そこにいたのは、背の小さい少女だった。Tシャツを着てミニスカートを履いており、なんだか幼い印象も受ける。こ、高校生?
「な、なんですか!?」
「私ねっ、おにいさんのこと気に入ったの~! ちょっと遊ばない?」
「は、はあ?」
上目遣いをするように、あざとく首をひねる少女。暗くてよく分からないけど、愛嬌のある可愛らしい顔だ。
今日はなんなんだよ、美人に飲みに誘われたかと思えば高校生から逆ナンかあ? モテ期ってのが急性発症だとは知らなかったな。だけど流石に誘いには乗れない!
「申し訳ないですけど、飲んできたところなので。今日は帰ります」
「え~? つれないなあ。いいじゃん、ちょっとだけ!」
「ちょっ、ちょっと!」
いでで! 無理やり右手引っ張るんじゃねえ! っていうか、こんなところお巡りさんにでも見られたら職質待ったなしじゃねえか!
「だから帰りますって!」
「いいじゃんってばー!」
「帰ります!」
「遊びます!」
「築地市場は」
「「閉(営)業しています!」」
「「ん?」」
誰だ合いの手入れたの。
「とにかく、帰らせてください!」
「あっ、ちょっとー!」
隙を突いて、俺は素早く腕を振りほどいた。逃げるようにして、小走りでその場を去っていく。やれやれ、とんだ目にあった。今日はやっぱり帰って――
「待ってってば!!」
「うわあっ!?」
今度は何だ!? 背中から……羽交い締めにされてる!? っていうか飛びつかれた!?
「ちょっと、いい加減にしてくださいよ!」
「えー? おにいさん、そんなこと言っていいのお? あのねっ……」
「な、何なんですか!?」
本当に何なのコイツ!? 混乱したまま問いかけると、俺の背中によじ登ったままの少女が――ささやくように口を開いた。
「おにいさんが『昨日のこと』を覚えてないって、夏織に伝えちゃってもいいのかなっ?」
その一言は、俺の酔いを醒ますのには十分なものだった。




