1.3話 教室での日々、そして気になる咳
1.3話 教室での日々、そして気になる咳
翌日から、少しだけ日常が変わった。
朝、校門の前で蒼が待っていてくれること。
昼休み、しおりと三人でパンを分け合って食べること。
放課後、喫茶店に立ち寄って一杯だけ紅茶を飲んで帰ること。
たったそれだけのことが、心をやさしく満たしてくれた。
教室の空気にも、少しずつ慣れていった。
都会の学校では感じられなかった“ぬくもり”のようなものが、この町の子たちにはあった。
「天音、これ見てよ! 商店街の福引きで当たったの!」
「すごいね。……あ、でもそれ、持ち帰るの大変じゃない?」
「うん、だから蒼に持たせる!」
「おい、俺かよ……」
しおりと蒼の掛け合いに、私はいつも笑ってしまう。
その日も三人で歩いていた。学校から商店街を抜けて、坂を下りていく小道。
夕陽がビルの隙間から差し込んで、金色の光が三人の影を長く伸ばしていた。
そんな時だった。
「……っ、けほっ、げほっ、……っ」
蒼が、突然激しく咳き込んだ。
それは、ただの風邪の咳とは違った。
喉ではなく、胸の奥からえぐるような、深い咳。
「大丈夫……?」と声をかけると、
「うん、大丈夫……ごめんね。急に」
そう言って笑う彼の顔は、どこか白く、遠く感じられた。
しおりが、ほんの少しだけ表情を曇らせたことに、私は気づいた。
でも、その意味をまだ理解することはできなかった。
その夜、撮った写真を見返していた。
蒼の笑顔。商店街での風景。夕暮れの海。
そのどれもが、かけがえのないもののように思えた。
でも、胸のどこかが、わずかにざわついていた。
波の音の奥に、何かを聞いたような気がした。
――静かな、静かな心の音。
それはきっと、何かが少しずつ動き出している証だった。