民俗学研究サークル
8月ももう終わりだというのに、セミたちは元気に泣きわめいて鼓膜の破壊を画策してくる。僕はうんざりするような暑さの中、大学へ向かって歩いていた。
僕の通う大学は割と街中の方にあるので、最寄りの駅から歩いていくことができる。街中だというのにこのセミの声は一体どうなっているんだろう。電柱に止まるのはよした方がいいと思う。僕はそんなセミたちを睨みつけながら大学に到着した。
夏休みに僕を呼び出した憎きゼミの教授の用事を済ませ、僕はサークル室に顔を出した。
『民俗学研究サークル』
黒い、恐らく筆ペンで書かれた木のプレートがかかった部屋に入る。中にはサークルのマドンナ的存在である先輩が一人ソファに座って本を読んでいた。
「やあ、夏休みだというのにどうしたんだい」
「ゼミの教授に呼び出されまして・・・せっかくなら顔を出そうかなと思ったんですが、先輩一人ですか?」
「ああ、今日は私だけだな。せっかく顔を出してくれたのにすまないね」
「そんな!先輩に会えるだけでこの灼熱の中大学に来た甲斐があったというものです」
「相変わらず大袈裟だな君は」
先輩はころころと笑った。なんて美しい笑い方なんだ。
「ところで先輩、何を読んでいるんですか?」
「ああ、これか?」
先輩は読んでいた本の表紙を僕に向けて見せてくれた。
「日本書紀・・・また渋いものをお読みで」
「そういえば君は文化人類学科だったね。こういったものは詳しいんじゃないのかい?」
「ほどほどですよ。好きではありますが」
「私は今、『国譲り神話』のところを読んでいるんだが、いやはや面白いね」
「たけみかづちとか出てくるところですね。あそこは日本書紀の中でも特に盛り上がる場面です」
「あまりそういう表現は聞いたことがないな、まったく調子のいいやつだ」
僕は急に、あの映画監督の男の話を思い出した。
「先輩、『ぬのと たける』ってご存じですか?」
「いや、聞いたことがないな。有名人か?」
「まあある意味有名人ではありますが・・・、変なこと聞いてすいません!忘れてください」
「悪いね、お役に立てなかったようだ」
僕はしばらく先輩と世間話をして、サークル部屋を後にした。いやはや、今日は大学に来てよかった。呼び出してくれた教授に感謝しよう。
それにしても、なぜあのとき『ぬのと たける』が頭に浮かんだのだろう。もしや僕も何かの呪いにかかったのだろうか。
ふむ、馬鹿馬鹿しい。さっさと家に帰ろう。