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008 霊圏【壱】

 追善駅東口から広がる小綺麗な一帯は新市街地とも呼ばれる。道路や建物が放射状に整然と伸びている。追善市とその一帯は、首都機能の一部を移転させる副都心計画の一翼を担っている。だからか、その光景は昔見た都心のビル街を思い出させる。


 午前八時ともなれば、駅舎から出てくるサラリーマンやOLの姿が増えてくる。電車が到着する度に、浜辺に打ち寄せる波のように人の群れが駅舎から新市街地のビル街へと散って行く。


 沙門も、一昨日まではその一人だった。だが今の彼は取り残された岩場のように、駅舎のそばでじっと立ち尽くしている。溜息をつく。ああ、自分はあの流れから弾かれてしまったんだな。そう思うと、無理矢理押さえつけている不安感が膨れあがってくる。


 後ろのポケットからスマホを取り出してじっと見つめる。入社した時に買い替えた。スマホで三年落ちだと、まあ随分使った方だろう。そのくたびれ方を見て、そこに自分を投影する。


 ……ボクはこんなことをしていていいんだろうか。スマホの電源をオンにすれば、元の場所に戻れるかもしれない。電源ボタンに震える指を伸ばし、でも罵声の幻聴が聞こえて、結局指を引っ込めた。


「あっ!」


 短い女性の悲鳴と共に、沙門の身体がどんと揺れた。手からスマホが落ちてアスファルトの上の二転三転する。出勤途中のOLがぶつかってきたのだ。彼女も手にはスマホを持っている。まあ、歩きスマホというやつだ。


「ごめんなさいっ、ごめんなさい」

「ああ、別に大丈夫ですよ」


 必死に謝るOLに、沙門はにこやかに応える。女性が謝りながら去った後、拾い上げたスマホを見る。画面にヒビが入っている。どうやら落ちた角度が悪かった様だ。


「あれ? 割れてるじゃん」


 ひょいと沙門の後ろからミカゲが顔を出して声を上げた。近くのファストフードショップに朝食を買いに行っていたのだ。右手にはホットドッグ、左手には湯気を立てるコーヒーが握られている。


 ぶつかった一部始終は見ていた。ミカゲは立ち去っていくOLに「おーい」と声を掛けようとしたが、沙門がそれを止めた。


「いいよ。呼び止めなくても」

「え、どうして? 弁償してもらえばいいじゃん」


 きょとんとした表情をするミカゲ。別に責めるつもりではないが、弁償はしてもらって当然じゃないのかなと思う。しかし沙門はスマホをポケットに仕舞いながら首を横に振る。


「相手も悪気があったわけじゃないだろうし」

「まあ、そうだろうけど」


 先程の必死に謝る仕草から見れば、OLが誠実そうな人だってのはミカゲにも理解出来る。でもそれと物的補償というのは別じゃ無いだろうか。そう思うが、ミカゲは黙った。お人好しだとは思うが、悪くない。


「あれ? ボクの分は?」

「え?」


 ホットドッグに齧りついたミカゲの目が丸くなる。そうだった。奢ってもらう代わりに沙門の分も買ってくる話だった。豊富なメニューに興奮してすっかり忘れていた。ミカゲはぐるりと視線を彷徨わせた後、食い付いたホットドッグの反対側を沙門に差し出した。


「ふあい(はい)」

「ッ! か、揶揄うのは止めてくれよッ」

 沙門は少し顔を赤らめて憤慨した。




  —— ※ —— ※ ——




 追善市で一番景気の良い業界と言われたら、六道曰く「霊術師界隈」だそうだ。だが一般の人はたぶん建設か不動産を思い浮かべるだろう。副都心計画の策定から五十年。当時は寒村と湖しかなかったこの地も、今や県内屈指の大都市へと成長している。


 首都機能の移転という本来の目的は未だ未達成ではあるものの、一部官公庁は実際に移転してきている。そしてそれに付きそう形で民間企業も移転し、それに合わせる様に都市機能も次々と整備されてきた。再来年には二本目の高速道路が開通予定だし、新幹線の延伸計画もある。不動産価格の上昇率も大阪や京都に匹敵する。


 だからキンザン不動産も、賃料の高い新市街地に大きな事務所を構えられるのだ。不動産屋といえば比較的こぢんまりとした店舗が多いが、キンザン不動産はビルの一階にスーパー並みの広さを持つ店舗を広げている。二階と三階は同じ広さのバックオフィスで、四階は社長室。さすがは追善市最大の不動産屋と言われるだけのことはある。


 沙門はその社長室で、震えていた。キンザン不動産、利用したことは無かったが評判は良かった。一階の店舗では品の良さそうな営業担当者が活気良く働いている。だから、とても騙された気分だった。


 ソファーに縮こまって座っていた沙門は、ちらりと視線を上げた。賓客用のテーブルとソファーの向こうに、社長用の大きな机がある。その壁面には神棚があり、なぜか日本刀がずらりとかけられている。そして大きな看板。「金山組」と書いてある。


「どうぞ、お客人」


 低く渋い声が沙門の耳元を打つ。どきりと「は、はい」と返事をした沙門の声が上擦る。体格の良い男がお茶を持ってきたのだ。ことりとテーブルの上にお茶を置く。その手首には金ピカの高級腕時計が巻かれている。沙門はちらりと男を見る。ぴちっと剃りが入っている。それだけで確信した。ここは……暴力団の事務所だ。


 あんな優良企業そうな顔をして、実は暴力団が経営する会社だったとは……本当の意味でのブラック企業じゃないか。それなのに沙門が勤めていた会社より職場の空気が良さそうなのが、少し腹が立つ。


 沙門の不安を解消しようとしたのか、六道が小声で呟く。


「安心しろ。まだ指定されてないから」

「むしろ指定を回避している分、悪質では?」


 六道からの答えは笑顔だけだった。


 ミカゲは隣で平然とお茶を飲んでいる。更に置かれたお茶菓子にも手を伸ばしてむしゃむしゃと食べている。豪胆だった。


「……怖くないの?」

「んー、別に。ほらあたし、一度死んでるからさ」

「そっかー」


 突然三人の背後で「社長ッ、お疲れ様です!」という漢たちの声が響いた。六道がソファーから立ち上がって振り返ったので、沙門とミカゲもそれに倣う。


 背後のドアから現れたのは、背の低い中年の男だった。白い高級スーツに赤いネクタイ、そして腰まで伸びたマフラー。頭頂部は禿げ上がっているが、側頭部の髪は綺麗に整えられている。そんな男に、全員が頭を下げる。「おう、お疲れさん」社長と呼ばれた男は、左右に並んだ屈強の漢たちの間を悠然と進んでくる。


「おう、ミクニの。相変わらず阿漕に儲けてるそうだな?」

「いえいえ、弊社は迅速解決・適正価格がモットーですので」


 ニコニコと営業スマイルの六道。社長が三人の対面のソファーに座ると、六道たちも腰を下ろした。社長が手を上げると、控えた漢が煙草をその指の間に添え、ライターで火を付ける。ぷはー、と紫煙が漂う。それはギリギリ三人の元には届かない。どうやら社長室は禁煙では無いらしい。


「ぬかせこのタコが。見積表見たぞ。エラい金額吹っ掛けてくれるじゃねえか」


 ギンッ。


 そんな音が聞こえた様な気がして、沙門は内心震え上がった。対応しているのも、その鋭い視線が浴びせられたのは六道に対してだが、傍に居るだけで心臓に悪い。ミカゲは平然とお菓子を食べている。既に半分ぐらいが空になっている。


「いやいや。警察でも行方は掴めていないんですよね?」

「そうだな。連中、いらん的にちょっかいだしてくるが、肝心な時に役に立たん。市民の為にもっと奉仕しろってんだ」

「ごもっともですな。ですがその分、厄介な案件であるのはご承知ですよね?」

「癪に障るが、その通りだな」

「もしかしたら三人の命が掛かっているかもしれない。その命と比べて過分な請求だと……?」


 六道の営業スマイルが一瞬解け、冷たい視線が社長へと突き刺さる。だが社長は悠然とソファーにもたれかかり、ぷはーと再び紫煙を吐く。


「ぬかしたなミクニの。いいだろう、仕事に命かけろよ? その代わり、三日で片付けたら報酬倍額出してやるわ」

「毎度ありー」


 六道は満面の笑顔で深くお辞儀をした。


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