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007 霊術師【肆】

 佐藤平治。享年七十三歳。追善市(当時は村)に引っ越してきたのは四十年前。妻・幸子とは既に結婚していて、副都心計画で開発途上のここへと移住してきた。当時は建築関係の仕事が豊富にあった時代だ。平治はよく働き、そして幸子は献身的に支えた。理想的なおしどり夫婦だった。一軒家を買い、それなりの資産を蓄え、子供たちも無事独立した。定年退縮して十年は穏やかな隠居生活をしていたのだから、まあ良かった人生と言えるだろう。


 問題は平治が亡くなってからだった。幸子は人情豊かな性格で、優しかった。だからある日、たまたま訪問してきた霊感商法の男の人情話に、ほとんど嘘だと知りつつも壺を購入してしまった。そして「その筋の顧客リスト」に載ってしまった。


 その日から、幸子に高額で怪しい商品を売りつけようと様々な人間が来訪する様になった。幸子は賢かったが、詐欺を本業とする様な人間を独りで捌くのは難しい。それに、怪しい商品を買ったところで、誰に迷惑をかけるわけでもない。そうやって居間に壺や像が増えていった。


 平治には、それが溜まらなく許せなかった。もちろん愛する幸子がいい様に搾取されている。これは問答無用で許せない。それよりも許せなかったのは、幸子の優しさだった。




 居間の中心で、平治と幸子が抱き合っている。実体化した平治の姿を見て、幸子は驚きはしたが取り乱しはしなかった。沙門は思う。たぶん幸子は、ずっとこの家に居た平治の気配を、何となく感じていたのでないだろうか。彼女の温和さの基点がそこにあったのだ。


 二人の抱擁は、かなり長い間続いた。子供をあやすように平治の手が幸子の背を叩き、幸子の啜り泣く音が小さく聞こえる。さすがの六道も黙ってその様子を見守っていた。


「ご覧の通り、あの天井を叩く音は亡くなったご主人の幽霊が引き起こしたものでしたよ」


 抱擁が終わって幸子が目尻をハンカチで拭うのを待ってから、六道が優しく話しかける。平治は少し照れた様な表情を浮かべて、明後日の方向を向いた。ここまで来れば原因も理由も簡単だ。幸子が詐欺師たちに騙されるのを見かねて、どんどんと音を立てて警告していたのだ。気味悪がって退散した輩もいたそうだから、一定の効果はあった様である。逆に言えば、それにもめげず「営業」していった詐欺師が、壺と像の数だけ居たということでもあるのだが。


「ありがとうねえ、平治さん。亡くなっても面倒かけてごめんなさい」

「あ、謝るこたあねえ。自分が好きでやっていることじゃあ。だがな、幸子さん」


 平治が再び幸子に向き合う。その目はとても真剣だった。


「幸子さんの優しさ、わしゃ好きだ。だがな、その優しさでダメになる人間もおるってことは忘れないで欲しいんじゃ」

「優しさで……ダメになる?」


 幸子は首を傾げる。


「悪い人間には悪いといってやることが、本当の優しさというものじゃ」

「……そうね、そうだわね」


 幸子は目を見開いて、そして納得した様に再び微笑んだ。ぎゅっと平治の手を握る。平治の顔が赤らむ。


「平治さんの言うとおりだわ。本当にその人の為を思うのなら、もっと真剣に見てあげないとねえ」

「わ、分かってくれたら、それでええ……何、にやついた顔で見ている? あっち行け」


 微笑ましい光景を見ていた沙門たち三人は、照れた平治によって居間から蹴飛ばされる様に追い出された。


 ——こうして、沙門にとって最初の事件は無事解決したのだった。




  —— ※ —— ※ ——




 すっかり夜空が広がっていた。追善市は関東の郊外に位置するので、比較的空気は澄んでいる。季節は冬。きらきらと多くの星が輝いている。


「どうだ、簡単だろ?」


 からんころんと高下駄を鳴らしながら、ご機嫌な六道が後ろに声を掛ける。沙門とミカゲがとぼとぼとついてくる。無事仕事にありつけて解決出来たのはいいが、その前が苦痛過ぎた。六道の笑顔に、沙門は愛想笑いを返すのに失敗した。


「どこが『簡単だろ?』よッ。たまたま人の良いおばあさんに当たっただけじゃない」


 ミカゲは遠慮無く不平を漏らす。まあそうだよな。怨念に苦しんでいる人がいるのはそうだとして、いきなり訪問してきた赤の他人にその解決を依頼するかは別のお話だ。沙門が逆の立場だったら、絶対家のドアを開けない。


 しかし六道はご機嫌を崩さない。


「ま、最初のウチはな。打率低い仕事をコツコツ重ねていって、顔を売っていくわけよ」

「顔を、売る……?」

「そうよ。そうやって顔と名前を売っていけば、自然と縁が生まれる。『お、そういえばあんな奴がいたな。ちょっと頼んでみるか?』ってな感じで仕事が舞い込む様になる。フリーランスはそこからが勝負だな」

「……なるほど?」


 中途半端に頷く沙門。新卒からずっとサラリーマンだったから、イマイチその辺りが実感出来ない。サラリーマンにとって仕事は会社に行けばあるものだった。もっとも「営業」の大変さは、今日一日で理解したつもりだ。


「そして仕事をすれば報酬が得られる。これもフリーランスの鉄則」


 六道は袖の中に手を入れて、さっと沙門の眼前に差し出した。一万円札? 沙門が受け取ると、厚みがあることに気がつく。扇形に開くとそれは三枚に増えた。


「今日のお前さんの取り分だ。もう指南料は差し引いてあるから、自由に使えや」

「あのお婆さんから金取ったのか?」


 沙門は思わず指に力が入って、お札がぐにゃりと曲がった。険しい表情で六道に詰め寄る。


「あれだけ色々な人から騙された人から、更に金を取るなんてヒドいじゃないか!?」

「ヒドい?」

「ああ、そうだよ。別に大したことはしてないんだ。それでお金を取るなんて……ッ」


 その先の言葉は出てこなかった。六道の右手が沙門の胸倉を掴んだからだ。一見細い腕に見えたが、ぐいっと沙門の足元が浮き上がる。すごい力だった。


「あのな、お前さん。言葉は選べよ? 仕事をしたから報酬を貰う。それのどこがおかしいんだい?」


 平静な声だったがその視線は鋭かった。殺気にも似ていた。沙門は萎縮するが、それでも何とか声をひねり出す。


「ゆ、幽霊に触って実体化させただけで……何にもしていない、じゃないか」

「……はー、なるほどねー」


 殺気が霧散する。地上に下ろされた沙門は後ろに蹌踉け、ミカゲにぶつかる。その沙門を、ミカゲは優しく両手で支えてくれた。


 六道は顎をさする。


「パワハラ上司も大概だが、狙われた理由には心当たりあるわ。お前さん、なんでそんなに自分に自信がないのかね?」

「え……?」

「客観的に判断しろよ。幽霊を実体化させるなんて、誰が出来る? 亡くなった旦那と会話させてやるなんてこと、本来なら幾ら金積んだって出来ないことなんだぜ?」

「それは……」


 そうなのかな? 沙門は右手でお札を握り、左手で自分の顔に触れる。確かに幽霊を実体化させるなんて話は聞いたことないが、それがどれだけ珍しいことなのか見当がつかない。


「ばあさんもじいさんも笑っていたろ? それがお前がした仕事の価値ってことさ。その代価を値切るってのは、その笑顔を値切るっていうのと同義だぜ、お前さん」


 沙門の脳裏によぎるのは、玄関先からこちらの姿が見えなくなるまで笑顔で頭を下げ続けていた幸子と平治の姿だった。


「ま、沙門はもうちょっと自信を持った方がいいかな。あたしだって、感謝しているんだよ?」


 ミカゲがぽんぽんと沙門の肩を叩く。にかっと笑った。それを見て、沙門は心の奥底にあるもやもやしたものが薄くなるのを感じた。そうだな、少なくとも何かの役には立ったのだ。少なくとも仕事の内容で叱責されなかっただけでも、沙門にとっては大きな前進だった。


「六道は、ちょっとがめついと思うけどね?」

「え、それはヒドいなミカゲちゃん。これでも今回、相当お値引きしたんだぜ? 普段ならもっと取ってる」

「値引きしたんだ……ってか、あたしの取り分は?」


 ミカゲが六道の前に駆け寄り、手を差し出す。それを六道は冷たい目で見つめる。


「何言ってんの? ミカゲちゃんの分なんて無いよ」

「えーっ、なんで! ヒドくないッ?」

「だって働いてないじゃん。働かざる者、食うべからず。フリーランスの鉄則だ」

「ぐぬぬ。じゃあ今度はあたしにも出来る仕事教えてよー。レクチャー代は払うからさ」


 ミカゲは冬だというのに露出したそのお腹を押さえながら言った。腹が減ったらしい。幽霊も実体化すると腹が減るんだな……なんか世知辛い。


「そんなこと言ってもだなー」


 顔をしかめる六道。するとスマホのコール音が周辺に響いた。一瞬沙門はどきりとするが、沙門のスマホは電源が落ちたままだった。ミカゲは元々持っていない。すると鳴ったのは六道のものだった。懐から最新型のスマホを取りだし、沙門やミカゲに背を向ける。


「はい、ミクニクリーンサービスですー! あ、これはどうも親分さん、いつもお世話に……はい? はー、はい。なるほど。分かりました。では明日にでもお伺いします。ではー」


 と言って、うやうやしく通話ボタンをオフにする。少し間があって、ゆっくりと六道が振り返った。


「丁度良かったー。新しい仕事が入ったから手伝ってくれ。ミカゲちゃんもレクチャーしてあげよう」

「あ……うん、はい」


 ミカゲは少し後悔した。振り返った六道の顔には、この上なく怪しい営業スマイルが浮かんでいたからだ。


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