006 霊術師【参】
「おやおやまあまあ。こんな寒空の中、ご苦労様ですねえ」
沙門にはその老婆が女神に視えた。後光がさしているといっても過言では無い。何しろ今日初めて話を聞いてくれたばかりか、家の中にまで上げてくれたのだ。畳敷きの居間は石油ストーブで温められている。行儀良く座布団に座った沙門の前に湯気を立てるお茶まで出てきた。ありがたい、とてもありがたい。
「……おい」
人情と暖かさに浸っていると、隣に座ったミカゲが肘で小突いてきた。険しい視線で沙門を見てから、誘導する様に和室を見回す。箪笥、神棚、仏壇。この辺りは普通だ。だが沙門の笑顔が気まずいものに変わっていく。
壺、何かの像、壺、壺、何かの像、壺、壺。
異様な数の壺と像がそこかしこに置かれている。老婆は和服の似合う御仁であったが、華道をしている様には見えない。壺は沢山あるが、花が生けられたものは一つもない。そしてよく見れば、和室のあちこちには何やら奇妙な文字の書かれたお札も貼られている。
「あのう……き、綺麗な壺ですね?」
「あら、そうなのかしら? わたくし、ちょっとその辺りは疎くって」
「何故こんなに?」
「御利益があるっていうのよね。だから買っちゃったんだけどねえ」
老婆はちょっと困った様な表情を浮かべて微笑む。沙門は天井を仰いだ。ああ、なるほど。このおばあさん「カモ」にされているんだ。霊感商法か、それとも新興宗教か。これだけの数の壺や像があるってことは、きっとその筋の業者の間で情報が共有されているんだろう。
こんな状況で霊術師の仕事の話をしたら、ボクたちまでそういう詐欺師たちの仲間だと思われるのではないだろうか。沙門は尻込みした。「……あの、これってちょっとマズいのでは……」そっと隣で出されたお茶を吞んでいる六道に囁く。が、六道は沙門に対して「ストップ」とばかりに手のひらを見せ、そして最後の一滴まで飲み干して茶器をとんとテーブルの上に戻した。
「ところでおばあちゃん。困っていることってなんですか?」
相変わらずの営業スマイルで六道が老婆に話掛ける。「あ、そうそう。そうなのよ」老婆は穏やかに皺くちゃの口元をへの字に曲げた。
「壺とか像とかいろいろ買ったけれども、どうにも止まなくてねえ」
「ほほう、止まないとは一体?」
どん。
沙門とミカゲは天井を見上げた。音がした。ちょっと大きめの物音だ。この建物はたぶん木造。二階に誰かいるのだろうか? 老婆は気にした様子も無く、ずずっとお茶を啜る。六道も営業スマイルのままずっと真っ直ぐ見つめている。
「どなたか、ご家族の方と同居されて?」
「いいえー。主人が亡くなってからはずっと一人なんですよ」
どん、どん。
再び音がする。「……あ、そういう」ミカゲは察した。沙門は少し顔を青くする。一人住まいの住宅で、二階から音がする。そしてうっすらと視える赤い空気。答えは一つだ。幽霊か怨霊か、それがこの二階に居て悪さをしている。
「なるほど! ……二階を見させていただいても?」
「ええ、どうぞどうぞ」
老婆がよっこいしょと腰を上げる。六道がその後に続く。どんどんどんどん! 激しく天井が鳴る。どう見ても好意的な反応には思えない。
「ひえっ!?」
「ほら! なにビビってんのよ。行くよ」
ミカゲは腰の引けている沙門の手を引っ張り、六道の後に続いて狭い階段を昇っていった。
二階。居間の上の部屋は八畳程度の洋室だった。しんと静謐な空気が漂っている。机や洋服ダンスが置かれているが人の気配はしない。まるで長い間、時が静止している様だった。老婆に聞けば、亡くなった夫の部屋だそうだ。。
「なるほどねー」
窓際まで歩いてから、六道が口元にいやらしい笑みを浮かべる。老婆には一階に戻ってもらっている。営業スマイルは消えていた。沙門とミカゲは部屋の入口から覗き込んでいるが、どんどん、という音が響くと沙門はびくっと身体を震わせた。
「あんたねー。まさか今更、幽霊が怖いとか言わないわよね。あたしだって幽霊だよ?」
「いや、その。見えないのは、ちょっと怖い」
ミカゲが呆れた様に唇を一文字にする。明らかに引けた腰は、どうみても「ちょっと」では無い。
「おらー、沙門ー。お前の出番だぞ、さっさと入ってこいー」
六道が部屋の中から呼んでいる。「え? 嘘? ボク?」と戸惑う沙門を、ミカゲは強引に蹴飛ばして部屋の中へと叩き込む。沙門はたたらを踏んで、部屋の真ん中辺りで停止する。どんどん! 丁度、沙門の足の下で音が鳴り「ひっ」短く呻いて二歩下がる。
「こりゃ怨霊……ではないな。まだ幽霊の範疇だな」
「そうね。執念はあるけど、怨念はそんなに無い感じだわ」
六道の言葉にミカゲが同意する。彼らには何かが視えている様だ。だが沙門には何も見えない。どんどんという響くのが聞こえるだけだ。
「なな何かいるの? 幽霊?!」
「ほら。そんなビビってないで、よく視ろ。赤い空気を感じるのと同じ要領だ」
腰の引けている沙門の姿が可笑しいのか、六道はくすくす笑いながら沙門にレクチャーする。視界の集中点を眼球では無く、もっとずっと頭の中の方へ……そう。眼で見るんじゃなく、脳で視るんだ。ミカゲもアドバイスをする。
「あたしを見つけた時と同じ様にやってごらん」
「あの時は……」
沙門は、昨晩の追善駅のホーム上でのことを思い出す。誰も見てくれない自分にかけられた声。それを思い出すと、なぜか恐怖がすっと消えていった。ふわりと視界が広がった様な気がした。その広がった視界に、ぼんやりと映る人影がある。部屋の丁度中心。しきりに床を踏んでいる老爺の姿が見えた。
「これは……?」
幽霊か。そういえば最初に会った時のミカゲの様に、半透明で透き徹っている。半透明の老爺の向こうで六道がニヤニヤと笑っている。
「ちょっと触れてみ? それでたぶんこの件は解決だ」
「そ、そうなの?」
沙門は恐る恐る手を伸ばした。指先が老爺の肩に触れる。するとばちっと静電気が爆ぜた音がして、びっくりして手を引っ込めた。
どん!
ごきり!
「あいたーッ!?」
床を叩く音が一段強くなったかと思うと、嗄れた老爺の悲鳴が響いた。骨が鳴る音も聞こえた様な気がする。老爺はその場にひっくり返り、踵を抱えて呻いている。その姿は半透明では無く、実体があった。どうやら実体になった反動で、足を痛めてしまった様だ。
そう。
老爺は実体化していた。
「へえー、マジで幽霊を実体化できるんだ。こりゃすげーわ」
いやらしい笑みを消し、六道は細めた目で実体化した老爺と沙門を交互に見つめている。腕を組み、ふうむと唸る。その六道に対して、ミカゲが何故か自慢げに言う。
「ね? 嘘じゃなかったでしょ」
「いや? オレも嘘だとは思ってなかったヨ? ただ確証が欲しいっていっただけ」
「うわ、だっさー。昨日あれだけ嘘つき扱いしたくせに!」
「ノーノー。ワタシはちゃんと間違いを認められる大人ですヨ? そういう誤解を生むような言いがかり、やめてくださーい」
何故かエセ外国人の様な日本語で惚ける六道。問い詰めるミカゲ。その三文芝居を唖然と見つめる沙門の後ろに人影が立った。
「この頓知気がー! 幸子さんに言い寄る害虫はこの平治が許さんぞーッ!」
「うわっ!」
それは実体化した老爺だった。平治と名乗った彼は油断していた沙門を押し倒し、どしんとその上に馬乗りになる。そして拳を振り上げて、振り上げたところで止まった。
「……」
「……?」
平治は自分の拳と、馬乗りにしている沙門の間に視線を交互に走らせた。しばしの沈黙ののち、ぽかりとその拳で沙門の頭を殴る。
「あいた?!」
「おお? 殴れる! なんで幽霊なのに殴れるんじゃあ?!」
「殴る他にも試す方法ありましたよね!?」
沙門は頭を押さえて、世の理不尽さを嘆いた。