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002 幽霊と怨霊【弐】

「あれま、ミカゲじゃないか。お前、なんで実体化してるん?」


 男の声は想像していたより低音だった。少女の近くまで歩み寄り、頭に触れようとしてバシッと手を払われる。


六道(りくどう)、お前が来たってことは、もしかしてココに怨霊がいるのか?」

「当たり前田のクラッカー。オレは霊術師やぞ」


 六道と呼ばれた男はニヤリと笑うが、少女——ミカゲ——は妙に不満そうな表情で返した。六道は気にせず、今度は沙門の方を覗き込む様に見る。


「……この坊主、霊圏(れいけん)でも止まらんってことはまさか霊術師なんか?」

「志望者ってとこ」


 ミカゲが答える。 


「ほーん。お前、才能あるんだなー」


 六道は顎をさすりながら感心した様子だった。恐る恐る沙門が口を開く。


「才能、あるんですか……?」

「ん? そうだな。普通は霊術師の修行をせんとこの空間には入れん。その時点で、まあ珍しい奴だってことは言えるわな。もっとも……」


 六道は沙門の頭越しに、ホームの先端を見つめて口元を歪めた。ぞぞぞ、と沙門の背筋に強烈な悪寒が走る。何か強烈な怨念を背後に感じたのだ。


「それが良いことなのかっていうと、まあ本人次第じゃないのかねえ」


 高下駄の音がホームの端へと向かって歩いていく。沙門は振り返る。ホームの端には赤い空気が猛烈な渦を巻いていた。その渦は急速に絞られていき、何かを形造り始める。最初は人の形の様に見えたがそれは一瞬で、何か異形の物体へと変化していく。


「な、なんだよ……あれ……」


 沙門は吐き気はなんとか堪えたが、全身の震えは止まらなかった。あの渦からは何か強烈な怨念の様なモノが迸って、沙門の心をきゅと締め付けてきた。それはまるで会社の上司から叩きつけられる感情にも似ていて、がちがちと歯の根を震わせる。


 ——その冷たい気持ちが、なぜかふっと和らいだ。ミカゲだった。ミカゲが沙門の肩に両手を置いたのだ。


「よく見て。あれが怨霊だよ」


 耳元で囁くミカゲは、真っ直ぐにホームの先端を見つめていた。沙門もゆっくりとそれに視線を合わせる。


 赤い渦は異形の存在へと姿を変えていた。それはまるで宙を浮く鮫のように視えた。ただ普通の鮫と違い、全身の鱗が毛羽だっていてがちがちと音を鳴らしている。目の数も八つある。明らかに異形——怨霊——だった。


 鮫の形をした怨霊は全身をどくんと脈動させると、六道に向けて一気に跳躍した。ギザギザとした歯がホームの床を噛み砕く。六道は……その頭上に跳躍している。ぐるりと身体を回し、懐から何か棒状のモノを取り出した。刀やノコギリの柄の様にも見える。六道は余裕の笑みを崩さないで、その柄を真下に向かって振るった。


 ざくりと。赤い血が周囲に撒き散った。胴体が斬り裂かれ、怨霊鮫が悲鳴を上げる。鮫なのに人のような悲鳴だ。かたんと六道が少し離れた場所に着地する。その手に握られた柄は、まるで死神の鎌の様な形状に変化している。その刃は赤く染まり、先端が月光を受けて煌めく。


「あ」


 それを呆然と見つめていた沙門が短く声を上げる。斬り裂かれたはずの怨霊鮫の胴体があっという間に繫がり、再び六道に襲いかかったのだ。真正面から体当たりする様に空中を泳ぐ怨霊鮫。躱す間もない。


「大丈夫。あれでも凄腕の霊術師だし」


 ミカゲの言うとおりだった。六道の鼻先で、怨霊鮫は見えない壁に弾かれる様に地に落ちた。沙門の目には衝突する瞬間、六道を覆う青い光の幕が視えた気がした。ぶんぶんと六道の鎌が唸りをあげる。怨霊鮫の鼻先と口が斬り落とされる。溢れ散る血がホームに血溜まりを瞬く間に作っていく。嘆きの悲鳴を上げて、怨霊鮫は血溜まりの上でのたうち回る。


「すっげ」


 沙門は思わず感嘆の溜息を漏らした。六道の所作には無駄が無く、そして鎌の切れ味は尋常では無い。相変わらず周囲は赤い空気に満たされていたが、そこから伝わる怨念さえも尻込みした様に感じられた。


「この程度か? 人を十人喰った怨霊にしちゃ、歯応えがなさすぎるの」


 六道は目を細めて、ぐるりと指先で死神の鎌を回す。止めの一撃を打ち込もうとした瞬間、怨霊鮫の全身が震えて鱗が四方八方へと飛び散った。「ちっ」六道は身体の前で鎌を回して一歩退く。かかかん、と鎌の刃が鱗を弾く。しかし全部は防げなかった。六道の和服の一部が切断され、頬に切り傷が生まれる。


 更に。怨霊鮫の口を切断した赤い断面から、人型の上半身がずぶりと抜き出てきた。目も口もないマネキンの様な人型だったが、その表面は赤黒く怨念の色が流動している。振り下ろされてきた鎌を両手で掴んで防ぐと、腹を突き破って三本目の腕が伸びて六道の首を掴んだ。鋭く伸びた爪先が喉に食い込む寸前で、六道の首を覆うように出現した光の幕が辛うじて防いだ。


「ぐぬぬ。こいつ、やるねえ」

「何やってんだ六道! 油断してんじゃねーよ」

「うっせ。外野は黙って見てやがれ!」


 ミカゲの野次に六道が震える声で答える。六道と怨霊鮫の、組み合っての力勝負になっている。六道はふんぬと力を込めて、少しずつ鎌を押し込んでいく。


 ぶるり。沙門は再び強烈な悪寒を感じた。


「……あ。なんか、ヤバくないですかね……?」

「え?」


 ミカゲは、沙門が指さした方向を見た。それは六道と怨霊鮫が組み合っている方向。正確にはその下の血の海。その血の海がまるでマグマの様に茹だったかと思うと、幾つもの赤い球が飛び出してきた。


 まるで人魂の様だった。唯一違う部分があるとすれば、球体の部分がぱっくりと開いて鮫の歯をギラつかせていることだ。


「ちょっ、マジ?」


 ミカゲが声を上擦らせる。それらの人魂は六道には向かわず、真っ直ぐこちらへ——沙門とミカゲの方へと飛んできたからだ。鮫歯を剝き出しにして、ミカゲの眼前へと迫る。思わず目を閉じるミカゲ。


 ——がぶり。


「くっ!」

「えっ、うそ?!」


 ミカゲが目を開けると、沙門の腕が彼女の前に差し出されていた。人魂は沙門のスーツの袖ごと腕に食いつき、そして歯の根元まで食い込ませる。歯の隙間から赤い血が溢れる。


「痛いッ! マジで痛いッ!」


 沙門の目から思わず涙が流れた。今まで人生で体験したことの無い痛みだった。引き剥がそうと腕を振り回すが、まったく外れる気配は無い。腕を振り回したせいで、流れ出る血がミカゲのTシャツからその露出した腹にかけて点々と赤い染みを作っていく。


「ちょっとアンタ、何庇ったりしてるのよ。あたしは幽霊よ!」

「幽霊でも、今は実体化してるじゃん。あ、痛たたたっ! やめてッ!」


 ミカゲが人魂を掴み、引き剥がそうとする。だが食い込んだ歯が余計に肉に食い込んでいく。そうしている内に別の人魂がミカゲの背後から襲いかかってきた。「危ないッ!」沙門はミカゲをぐいっと引っ張り、その身体を人魂とミカゲの間に割り込ませる。ぞぶり。今度は沙門の肩口に人魂が食いついた。


 ……なんでミカゲを庇ったのか? それは沙門にとっては自明だった。女の子だから。それもある。でも本当の理由は、沙門に声を掛けてくれたからだ。会社のお荷物、役立たずと言われ続けた自分にも、まだ優しく声を掛けてくれる人がいる。それだけで充分だった。その人の為に身体を張れるなら、こんなに嬉しいことはない。それが例え幽霊であってもだ。


「くそッ、いったいどうしたら……」


 沙門はミカゲを庇いながらじりじりと後退していく。人魂たちは天井付近に遊泳し、隙を見ては降下しその歯を突き立ててくる。沙門はその度に素手で迎撃する。拳が当たれば人魂は吹き飛んでいくが、ダメージは入っていないのだろう。数が減ることは無い。沙門のスーツは少しずつ切り裂かれ、血に染まっていく。


 ずしん。


 遠くから思い衝撃音が響いてきた。六道と怨霊鮫の方向からだ。見れば砂埃が舞っている。その向こうからクレーターの様に凹んだ床と肉塊、そして荒い息をした六道が見えた。


「おい坊主! 想霊棘(そうれいきょく)を探せ! おめえなら分かるだろ?!」

「えっ!? そうれい……何?」


 突然六道から声を掛けられた沙門は思わず戸惑う。声を掛けられたこともそうだが、言っていることが全く分からない。そうれいきょく? 六道に聞き返そうとしたが、潰れて肉塊となった怨霊鮫が再び形を成していくのが視えた。六道の鎌と怨霊鮫の歯が再びかち合う。悠長に質問をしている状況では無い。


「怨念がめっちゃ集中しているところよ! あんたなら視える!」


 ミカゲが沙門の脇の下から顔を出して叫んできた。怨念? もしかしてあの赤い空気のことか? 沙門は汗を垂らしながら意識を集中する。——感じる。人の悪意を固めた様な気配だ。あまり集中すると吐き気を催す。


 赤い空気——怨念——が一番集中しているのは……あの怨霊鮫だ。今も嵐の様に吹き荒れている。しかし、ちょっと待てよ。その渦から何かが延びているのが視える。怨念の根、の様にも視える。それは怨霊鮫から線路を跨ぎ、隣のホームを横断してその先にまで続いている。


「こっちか!?」


 沙門はミカゲの手を引いて、ホームから線路上へと飛び降りた。怨霊の根を伝うように二本の線路を渡り、隣のホームへと這い上がる。ミカゲを引き上げようと手を伸ばしたが、ミカゲは身軽にひょいとホームの上へと上がってきた。行き場を失った手のひらを沙門はまじまじと見つめる。


「あった!」


 ミカゲが喜色の声を上げる。何度かホームと線路を横断した先。線路の下に敷かれたコンクリート製の枕木に突き刺さる様な格好で、それは立っていた。


「これが……そうれいきょく?」


 高さは一メートルほど。大して高くない。立ち枯れた細い木のような異物がそこに立っていた。赤黒く、表面にはびっしりと棘が生えている。そして何よりも沙門をたじろがせたのは、大地から吸い上げるかの様に、そこから勢い良く怨念が吹き出していることだった。吐き気が再び戻ってくる。沙門は直感した。間違い無い、これが大元だ。


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[良い点] 強力な復讐の力! [気になる点] 筆者のインスピレーションは何から来るの? [一言] とても不思議なストーリー構造~
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