《彩》
幼気な 鵯に、零れ際の血赤珊瑚が咥えられた。南天は、斜陽に増しゆく毒ほど効かぬ。千切られる度に、羽状複葉に張られた肺から泡を放つようだ。隠れた内庭から、魔除けの南天は越えられない。
火花の瞬き震わし、囲炉裏端に立つ檀弓は傀儡のよう。その髪先を絡ませ弄ぶ、永助の指が落ちればいいと呪った。
「憎悪に満ちた、その貴い身体を使えないのが残念だ」
「治世に仇なす子を残せば、私の首は飛ぶ。永助が私の過去を『可哀想な女』として餌鳥に偽り、恋情を煽れるのも最後ね」
鋭痛が鼓動を貫き、ぐらつく私は歯を食い縛る! 永助は檀弓に無機な眼差しを返され、苦笑にて髪筋を離す。
「商売道具の首を飛ばされちゃ敵わんな。お前の復讐と俺の商いは終わらせない」
「いいえ、輪廻は終わる」
「蒿雀か。源進と同じ吉宗様の隠密だろうが、今までの餌鳥と変わらん。期待など愚かだ」
「潮時は、暁の刻限に訪れるものよ」
逢魔時は、私達の飢えを嗤う。花笑む彼女は紅差し指で唇を撫で、爛々と私を捉えたから。心臓の鱗片は瓦解させたくない。蜜なる真を追って、檀弓の心髄に触れたいのだ。火鳥屋を出た永助の跡をつければ、長屋に入っていく。
「帰ってくれ、永助。渡す金なんて無い」
滑る刃紋に蘿月を見た。青ざめる男の喉元に、永助の打刀が突きつけられる。
「恋慕で貴人を襲いかけておいて、どの面で奉行所へ無駄に吠えてるんだ。命を金で買うと思えば安い」
「檀弓に仕掛けさせたくせに。質素な装いで気品と美貌を垣間見せ、俺だけの秘匿だと思わせた」
「檀弓は磨けば光る。物に出来れば、天下を舐れただろうに」
「檀弓には謝りたいんだ。喧嘩別れなんて望んで無かった」
「希望を持て! 会わせるには賃が必要だ」
賽の目柄の手拭いを握り締め、解放された男は苦重く顔を上げた。嗤う永助に金子を渡してしまう。長屋を出た永助は、宵の『小鳥の地鳴き』に首を傾ぐ。正しくは、松脂を塗した鳥笛の中棒を捻る『蒿雀の地鳴き』だ! 永助が横切る瞬間【送り雀】は低く狙う! 左腕の尺骨で永助の首を壁に叩きつけ、刀を奪い捨てた!
「息を吸いたければ、両手を上げて真実を吐けますよね? 永助」
上がる両手を見た私は、右手で鳥銃剣を構え左腕を離す。永助は噎せているが、喉仏は潰していない。
「鳥取の女神に襲われたのに、嬉しくねぇな。『金朱の鷺』を知ったのか」
「私は男です。檀弓さんを恋情詐欺で金を産む赤鷺にして御満悦でしょうね。何故こんな商売を? 」
袖の羽風を睨む。鋒を恐れぬ永助に衿を掴まれた! 眼前で狼眼を研ぐ精悍な顔は、この上なく不快だ。
「金剛寺に匿われていた檀弓が、嫁ぎ先を宛がわれた花嫁道中……その嫁ぎ先を断絶させたのは俺だからさ。奴らは、檀弓のように嫁いでいた俺の妹を嬲り殺したんだ! ……俗世への憎悪に孵り咲いた檀弓の手を取ったのは、道楽だ。檀弓の審判役の源進を通し、吉宗様に『火鳥屋』はバレちまったが……檀弓を『金朱の鷺』と呼んだ源進は、俺と組んだ檀弓の憎悪が柔く解けるのを待っていた。檀弓に波立つ御上の情が、奉行所に俺達を黙殺させているのさ」
「檀弓さんが恨むのは永助なのですか?」
「『誰でもない』。義妹の期待を裏切るなら、暁にお前を殺す。今のうちに、崩れる初恋でも啜っておけよ! 」
私を突き飛ばした永助は、豺狼の如く宵を仰ぐ! 大道へ去った永助と相反する私は、千鳥足で『火鳥屋』へ向かう。
――誑かされても、檀弓さんを忘れられない私は愚かなのでしょうか、師匠。
形見の『千歳緑の餌鳥札』に縋れば、開いた感触に血の気が引く。絵馬形の餌鳥札は、内に丸鏡があったのか。揃いの堆朱に気づき、息を呑む。借りたままの金朱の櫛を鏡へ重ねれば、両翼と共に彫られた文字が読めた。櫛を渡すには揃いの手鏡が必要だ。
火鳥屋の板戸を開けば、囲炉裏は焔の祭壇になる。呼吸さえ、両袖を御座に広げて鎮座する霊鳥への供物だ。檀弓は妍麗なる顏へ紅を差していた。深緋に絖る振袖を彩るは、金箔の鶴と螺鈿の乱菊。肩へ流された髪は弓形に重なりを垂れる。
「永助は暁まで戻りません。私は『金朱の色』を知ってしまいました」
「それで良いの。明かす為に、私は夜を待っていた」
鼈甲飴の瞳は祈るように、私を映す。
「私は……第五代将軍、徳川綱吉様の愛児である鶴姫の遺児よ。鶴姫は、現将軍である吉宗様の兄嫁。但し、私は鶴姫の夫……第三代紀州藩主の綱教様の娘には成れなかった」
すらりと立った檀弓が鶴の袖を舞わせれば、暁に咲く花火を幻視する。
「懐妊中に火事を見れば、生児に痣が出来る。その双子が南朝の末裔と囁かれていても。畜生の生まれかへと呼ばれた男女の双子は奥女中に扮し、誘惑した鶴姫を一時の『恋情』で狂わした。鴛鴦夫婦の仲を陰から弄んだの。私を孕んだ鶴姫は、綱教様への愛の為に病んでいったというわ。瑞春院……私のお祖母様だけに真を明かし、女人高野である金剛寺に私を捨てて忘れようとした。綱教様に娘を死産と偽って」
郷を仰ぐ天女のように背を弓ならせた檀弓は、鬼面を被るかの如く振り返った!
「『恋情』に狂わされて逝った母様にとって、私は火泡嬰女。お祖母様に幸せを望まれたはずの花嫁道中……白無垢に血を浴びるまで、私は俗世に生まれてすらなかったのよ! 」
火花散る! 右手に覆われた顏から覗くは、鷲の眼と怨嗟の口腔だった。
「自我に孵った私は永助の手を取った!『火鳥屋』ならば、金朱の鷺に成って、私を殺した『恋情』に復讐出来るから。貴方の初恋を穢す私が憎いでしょう? 」
艷めく髪が私の肩を撫で、蜜なる声で重く囁かれる。狂おしく縮瞳する檀弓は、藻掻く理性を黄昏の水飴に沈めていく。
「麗しい蒿雀様ならば、陰間茶屋で男色でも女色でも売って金子に成せる。色恋を恨む私の『口吸い』のお代は高いのよ」
唸る黯に、おかしくなりそうだ。輪廻を終らす為に、檀弓が嘘を付いている事では無い。弄ばれた男達は何処まで檀弓に触れたのか。
「貴方の色恋を殺さないで下さい。私に口付けた貴方は、『気付いて』と縋っているようにしか見えなかった! 」
私は『千歳緑の手鏡』で、鮮烈に惑う檀弓を映す!『金朱の櫛』は、師匠を通じ檀弓へ齎されたはずだ。嫁入り道具の櫛と鏡の彫りを重ねれば、☾金朱の鷺が、合縁奇縁の婚儀にて身分を忘れるならば、生を許す☽ と読める。刺鳥刺を辞めていたら『吉宗様からの温情』を手渡せなかった。
「緑に焦がれる今の貴方なら、捕らえてあげられます。どうか、私だけの金朱の鷺になっては頂けないでしょうか? 」
檀弓は櫛と鏡を受け取り、俯いた。跪いた私は彼女の髪先を掬い、口付けて祈る。熱く酔う瞳を窺えば、慾を暴かれた檀弓は狼狽に座り込んだ。
「朝陽に彼らの恋が生まれるのを嘲り、裏切る夜に金の血を浴びて私の恋も葬ってきたの! 復讐に後悔は無くとも、私が赦されるべきでは無いわ」
伏せた睫毛に涙が煌めく、哀れな檀弓は可愛らしい。庇護欲に潜む、弑逆心が高鳴る。清く微笑んで魅せよう。
「ならば、刺鳥刺の隣で震駭なさい。餌鳥の片恋も金朱の鷺の憎悪も、私が殺してみせる」
「蒿雀様は、穢れた私の恋を叶えてくれるの? 」
私の幼気な神は、私を崇めようと縋り寄る。信じ難い事に、檀弓が私の早鐘を聴いて息をしているのだ。薫る髪を梳いて、極上に暖かい身体を抱き締めた。辛い鋭痛は溶けゆき、潤う眼窩が切なく満ちていった。
「私を恨むはずの蒿雀様に、止めを刺して欲しかったの。初恋なんて泡沫。清い貴方の隣に立つはずの女を呪った。籠絡した貴方の手を引いて翼で逃げ、私の魂を抱擁して欲しかった」
「その呪いは、私への言祝ぎです。貴方の魂は逃がせない」
「愉しむあまり、殺しそびれたぜ畜生! 」
私達が振り向けば、天敵は暁の内庭を背に立つ。何時から愉しんでいたのか! 大呵いした永助は、私の懐から羽筆を引ったくる。
「金朱の鷺が嫁に取られて、嬉しくとも商売上がったりだ! 負け惜しみに俺が祝言を綴ってやる! 」
羽筆で綴るは、世にも奇異な比翼の契り。暁の海に脚を浸すは、新郎新婦。孔雀石を燃やす火薬にて、金緑の祝い花火を打ち上げる! 鳥達は目覚め、浪花に飛翔した。身分を忘れて悪戯に水掛け合う二人は、豪華な衣を無価値にしやがった。花嫁の両袖は鮮やかに舞い上がり、波飛沫に光り輝く。
『金朱の鷺』の輪廻は死んだ。
だが、無邪気に笑う義弟と義妹に朝は来る。
緑と火の恋は不死なのだから。
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