《火》
粗き遺骨に、緑青と紅鶸色が咲いていたのだ。加納源進師匠からのお叱りだと、十七で遺された私は戦慄した。元服を喪で逃したからこそ幻聴が刺さる。『女々しい蒿雀め、刺鳥刺の業で生きろ』と幻怪な色で睨まれたのだ。
許して下さいと秋空へ祈る。黐竿で捕らえた餌鳥達を、鷹匠へ進呈する生業が辛いのです。鳥の早鐘が暖かいから。彼の鳥にまで共感してしまう私には、餌鳥の名が相応しいのでしょう。
それでも私は、将軍家の鷹狩り場である武蔵国葛飾郡・東小松川村からの旅立ちに、抜羽の滑らかさを連れて行く。羽箒や羽筆として売れば、暫しは暮らしていけるはず。幸い、遺された貯えもある。東海道五十三次を突き進んだものの、己の心路に惑う内は羽休めすべきか。古巣に帰れば、元の道へ引き戻されてしまうのだから。
風光明媚な松並木に沿って、相模国鎌倉郡の宿場町・戸塚宿を歩む。泊まるのは、あの土間造りの白家屋と決まっているのだ。とある噂を現した様な ☾ 丸い虫籠窓 ☽ に魅入られるまま、『平旅籠 火鳥屋』の暖簾を潜っていた。
「ごめんくださ……」
ひらりと落ちる賽の目柄を拾った私は、一歩を止める。
「手拭いを落とされましたよ。……ん? 私の顔に何かついてますか? 」
客の男は、呆然と頬を染めた。咳払いをした旅籠の下女に、男は我に返る。二十路程の彼女へ苦重く振り返ると、私から手拭いを奪って走り去っていく。私は首を傾げながらも、金子を下女に預けた。
「新しいお客人は、随分金払いが良いのですね。公事宿でも無いのに連泊は出来ませんよ」
「鷹野御用掛の下役だった師匠から聞いた噂を辿り、江戸から参りました。ここなら『金朱の鷺』に逢えるのでしょう? 師匠が遺した金子を鑑みれば、鳥見に割けるのは十一日ですが」
彼女の赤胴色の睫毛が羽ばたき、飴色の棗眼は私を射抜く。よく見れば、澄んだ美貌の持ち主なのに、質素で惜しい装いだ。微塵格子の木綿の小袖が錆色のせいで、髪色に同化する。
「月代も剃らずに、物好きな放蕩男だこと。恩師からの金子を散財してまで、有りも知らぬ鳥を乞うなんて。そんなに初心じゃ、世渡りして行けないですよ」
毒舌らしいが、軟弱者の私を案じてくれているのか。己の右耳下で結った山葵色の髪を、桑色の上衿へ流す。確かに、若衆崩れで浪人になり掛けかと苦笑した。
「駄目男ですけど、私は鳥が好きなんです。噂をご存知なら、公儀の鳥見に協力しては頂けませんか? 」
清き咲みに改めると、瞳に白花を映した彼女は瞬く。千歳緑の餌鳥札を見せれば、能面に戻ってしまったが。
「鳥見の連泊中なら協力しましょう。そんな鳥は迷信でしょうけど」
火の無い所に煙は立たない、と私は思う。鷹場の餌鳥達を監視する鳥見下役でもあった師匠の元で、観察眼を養った私は好奇心が疼く。彼女は赤胴色の髪先を輪がね、左耳下で纏めた玉結びの髪型をしている。結い髪が多い世では田舎びているが、横髪を耳掛けする仕草が上品だと思案した時――ぬるりと気配が忍び寄り、息を呑む。
「檀弓は良く言えば素朴、だろ? 磨けば光るだろうに」
「余計なお世話です、永助様。ここは、春を鬻がぬ平旅籠。色など売りません」
彼は番頭なのか。藍髪を撫で付けた精悍な顔立ちの永助を、檀弓が睨む理由は色慾を嫌うからか。客の男と檀弓には悶着があったのだろう。妖しき永助は引き気味の私の肩を抱くと、煙管片手に囁いた。
「檀弓はなぁ、貴人に見染められた事がある原石なんだ。だが、裏切りで幸を失った。さぁ顔見せだと貴人と江戸へ向かう道中に火鳥屋へ泊まったはいいが、その飽き性男がひでぇ。目移りし、お隣の飯盛旅籠の色女と駆け落ち。しかし檀弓の故郷には、幸せに嫁いだと信じる親が居る。盗られた持参金の埋め合わせも出来ずには、帰郷も叶わない。同情し、下女として雇ってやったのさ。代わりの婿殿でも現れない限り、旅籠の鳥のままだな」
「『可哀想』なんですね……」
永助の手に嫌悪を覚え、空笑いで返した。檀弓は深く溜息をつき、目を逸らす。
「蒿雀様には関係ありません」
「さぁ、どうだかな」
永助が煙管を咥え、火種が燻る。白煙が揺蕩えば、永助に手招かれていた。案内された部屋は一階で、肩を落としてしまう。
「二階は泊まれないのですか? 鳥見をする為に眺望したいのです」
「あぁ、ちょい片付けがいるな」
「清めて参ります」
丁度、竹箒を持つ檀弓とすれ違う。だが永助は奪い取り、嗤う去り際に竹箒を振った。背をひと睨みした檀弓は板戸を開く。
「全く……勤勉なのか、怠慢な番頭なのか。暖でもとって待ちましょう」
珍しく、囲炉裏のある旅籠だったのか。一部吹き抜け天井の窓が縄で開き、梁に括られた火棚から煤焦げた鉄瓶が威丈高に下がる。御座に座れば、炉縁に黒く溶けたような跡が点々と散っていた。灰に火が与えられ、望洋と手を伸ばす。
「裾に火花が飛ぶから、囲炉裏に寄り過ぎるなと怒られたものです。檀弓さんも、幼い頃に言われませんでした? 」
白真珠の指先で火箸を置き、檀弓は睫毛を伏せた。やはり、気品は隠せない。
「私は……火が恐ろしいものだと思いませんでした。手の内で、香と共に小さく嗜むものでしたから。戌亥の砂國の烏輪は、卵から生まれたと聞きます。香を焚く為の香炭団を火箸で撫でると、焔に黒が颯と脈打ち、雛の鼓動のようでした」
「熱き灰は神楽も踊る。巣立ちを見る事が出来れば、至極の幸でしょうね」
「火鳥が現世に孵る事はありません。己の死灰を清める為に、聞香炉の縁を羽箒で巡るのみです。蒿雀様が追う鳥も、香木の巣の中で昼夜の輪廻に居るとは思わないのですか? 」
煌々と朱色を吸い込んだ飴色の瞳は、真っ直ぐに私を映す。鳥をも殺せぬ、なまくらの心臓を晒された気がした。踏み入るならば、巣を壊してしまう覚悟もすべきだ。
「緑の野で生かすべきなのは、分かっています。それでも私は知りたい。金朱の鷺は、巣の中の輪廻を本当に望んでいるのでしょうか? 留鳥では無く、四季に飛べる漂鳥になれるかもしれないのに。それに……現世へ羽ばたける羽箒なら売ってますよ! 」
金子で羽ばたくのは、星に片目を瞑った私。小稼ぎの好機だと扇のように各種広げれば、檀弓は吹き出した。
「可笑しな人ですね。では、この羽箒を下さい。囲炉裏は、灰が散りやすいですから」
微笑みは、夢路に余韻を残す。二階で目が覚めた朝に、私は廊下を歩む。檀弓が高貴な出を偽るのは……安寧を望んでいるからか、誰かに捕らわれているからか?
予感に顔を上げれば、朝陽が差す。障子透ける虫籠窓は、両翼を丸く掲げた丸紋を朝陽で、彼女を逆光で浮かび上げた。漆喰職人技の賜物か。
「檀弓さ……」
朝陽の翼を背負う檀弓は、驚愕に振り向く。耳下で、櫛巻に纏めようとしていたのだろう。耽美を塗す桂皮の香に、髪は解ける。堆朱細工の櫛が滑り落ち、私は受け止めていた。刷り込まれた金粉が彫漆を浮かび上がらせるように、金の朝陽を帯びる赤銅色の髪先は、恐ろしい艶やかさで私の手首を撫でていく。血道が鮮烈に覚醒し、脊髄から打ち震えた。朝露弾く風切羽の擽りに似ていたから。檀弓の棗眼が、当惑に揺らぐ。朱に染まりゆく白頬には何故、涙が伝うのだろう。
「蒿雀様は、軟派でいらっしゃるのですね。私と火遊びは出来ませんよ? 」
清き静寂を解いた唇に、喉が鳴ってしまった。檀弓の蛾眉は顰められる。
「色花咲く飯盛旅籠へのご案内が必要でしたら、何時でも」
「なななっ、決してそんなつもりでは!」
目を逸らすも、金朱の櫛ごと抑えた鼓動は止まない。寧ろ荒く波立つ。初恋は落ちた瞬間に知られてしまったと、羞恥に燃える私は唇を噛んだ。どうすれば、色を嫌う彼女に幻滅されない?
「白木蓮のように麗しい蒿雀様の顏なら、涙さえも許されるのでしょうね」
「私が……白木蓮? 」
「ええ、初見では女と見紛いました。柔和な物腰で、色を売る方が向いているんじゃありません?」
檀弓は皮肉に言ったつもりだろうが、一縷の希望を視てしまう。無知で軟派な男を演じれば、私の望みは叶うだろうか?
「冗談でも、駄目なのです」
鳥は触れたくなってしまうから。逃げ出した私は、檀弓に金朱の櫛を返すことが出来なかった。