あの時のピアニスト*
この4話のみ、マーカス視点です。
* * *
元ピアニストが兵軍基地から居なくなった。しごき担当の教官がどう見込んだかは分からない。だが、彼女がここに長く居られると思ったことはない。
「マーカス・トワイラーン」
自分の名前が呼ばれると周りがどよめく。火薬の匂いが逃げ場を探す技術室の中でだ。
「減点いち。集中を欠かすな」
「はい」
補習者は居残り、狙撃パネルと練習用ライフルを片付ける。同僚が私の外したパネルをいつまでも面白がっていた。「初めての失敗の味はどうだ」と聞かれた。
処罰の片付け作業だけ終わらせてグラウンドに出る。外はもうとっくに秋の風が吹いている。
その事があったせいでもあり私は死刑執行部隊を辞退した。「惜しい人材だった」と言ってくれた管理には感謝している。しかし私はそんな器に相応しい者ではない。
「一回のミスだろ? わざわざ気にすることかー?」
相部屋の同僚に報告すると全員で笑い飛ばされた。それでも長い時間を共有した同志たちだ。私を軽蔑するより本音を探ろうとしてくる。
「執行部は待遇も給料も悪くはなかったと思うけどな。何が気に入らなかったんだよ。今更血を見るのがトラウマになったとか?」
確かに。残虐な状況の中で情が沸いて壊れてしまう上位兵は多くいた。私も言うならその部類に足を突っ込みかけているのか。少し考えたが、違うなと思う。
「疲れたからだ。人を殺す感覚が分からなくなってきた」
真面目に答えたつもりがまた盛大に笑われる。
「なんだそれ!」
「感覚? そりゃあ動いてなかったら死んでるって!」
騒ぐ中でひとりの人物が後ろから私の腕を持つ。彼は私にとって唯一の友人格で、リムドという誠実な指揮官だった。
「マーカス、また格好付けてるな。彼女の尾を引いてるだけのくせに」
リムドはたまに余計なことを言う。
「彼女!? マーカス、お前彼女居たの!?」
「失恋、失恋。傷心中なの。だから労わってあげて」
喋りすぎだと叱られそうなのを察知してなのか、リムドが私を人の輪から連れ出した。同僚の話題は別のものに逸れて遠くなった。
日向の庭に秋の小花が咲いている。友人は「ちょっと座って見よう」と誘った。軒下のベンチが空いていた。
「まさか初恋じゃないよな?」
「……」
「だったらその執着は理解してやる。世の中には運命の出会いってものがあるらしいからな。そういう運命は誰にも平等に訪れる。殺し疲れた殺人鬼にも」
穏やかな日差しの下で迷い猫が伸びをしている。その動きをおそらく二人は目で追った。
「相手がお前に失望してなければ可能性はあるよ」
「……そうかな」
あの猫は、人間に見られているということは気付いていても、その人間に狙撃の能力が備わっていることを知らない。だからのうのうと砂地に背中をこすっていられる。
「……主君を十一人殺した話を伝えた」
「アウト」
隙のない断言だ。
リムドが指鉄砲を作り「ばん」と声を出して猫を狙い撃つ。しかし敵方はまだまったりと緩んだ表情のまま。くねくねと体を揺らして遊んでいるかのよう。
私はこの結果が意外だと思ったのだが、リムドは最初から猫の能力を買っていたらしかった。はっはっは、と軽快に笑い出したとしても猫は逃げ出さない。
「なあ、マーカス。指揮官に戻ったってことは少し時間が暇になるだろう? もしも人探しでもやってみようと思うなら俺も手伝うよ。お前のその見た目じゃ民衆向きとは思えない」
聞こえが悪いが有り難いことだ。仮に私がそのつもりで死刑執行部隊を離脱していたとしても、リムドには協力して欲しいと思っていた。
セルジオ国土北部。海に面したリーヴという港町。保安が行き届いた場所で事件がなければ平和に人々は暮らしている。しかしリムドが懸念したように、私が現れると大半の町民がうろたえた。
自分でも理解している。私は常人よりも顔つきが悪い。殺戮任務には邪魔にならないが、人探しには不向きで住民は家の中に入ってしまう。
「住所はこのへんだろう? 家主を見つけた方が早いか?」
リムドは先へ先へと進んだ。町民を見つけては自ら声をかけて情報を得る。彼には得意な作業だ。私には向いていない。
「おーい、マーカス! 見つけたぞー!」
仕事も早かった。彼が元検察官でよかった。
大家のご老人は一人部屋のアパートを経営していた。そこに「ルーナ」という名前のピアニストが暮らしていたのは記憶として薄い。
「秋の始まり頃か。何かあわてて荷物をまとめていたなぁ」
その季節は私が彼女と最後に話をした頃だ。つまり基地から去ってすぐに越したという事か。あれからふた月も経っている。足取りを追うのも難しくなるだろう。
職業からの手掛かりだと追えると、リムドの視点は鋭かった。確かにピアニストという職業は少ない。業界同士なら繋がりがあるはずだと踏んでいた。
リサイタルホールは休日も平日もショーや演奏会を行なっているようだった。彼女もまたそこでピアノ演奏をしていた。ただし過去の話だ。
「美人だけど集客が足りない子だったからね……。もうずいぶん前に来なくなったよ。ピアノは辞めたんじゃないかな」
マネージャー兼ショーマンの男が話してくれた。売れないピアニスト、ルーナの行方は彼も知らなかった。
他国へ出たのならパスポートを検問所に渡してあるはずだ。しかしそれも数日かけて洗ったがルーナの名は見つからない。
「亡命したのかもな。それか投身」
「そうだな」
私もリムドもそれっきり彼女のことを話題に出さなくなった。諦めたというよりも、そういうものだと飲み込んでいた。
人の死があまりにも近い場所にある。酷い悪影響だ。いつから私は悲しいという感情を失ったのだろう。思い出せなくても憂うこともない。
六年が経ち、国民が平和に対して関心を持ち始めた頃だ。そろそろ停戦条約の日程が満期完了となる。その先の行方は上の人間しか知り得ない。
「おかみさん、そりゃ本当かよ!?」
朝日が差し込む午前の酒場。準備中の店主とうちの偵察チームが話しているのが聞こえた。構わずに作戦記録を綴っていると、私のところに話題を持ってきた人物がいる。
「なあ、マーカス。お前は信じるか? ネザリア地方で起こった大洪水は、なんと神の仕業だったらしいぜ? エシュが神と話して天災を起こせるって」
リムドが話し相手なら私も少しは答える。
「もしそうならエシュは本物の神と変わらない」
「だろぉ? 神都ってのはめちゃくちゃだ」
店主はエシュの人ではない。この地が神に守られた無害の地だから移り住んできた。他にもそんな人が多い土地だ。めちゃくちゃかどうかは言い難いにしても、普通じゃないとは私も思っている。
「あ、おい。どこ行くんだよ」
「散歩」
静かな場所を求めたはずが、リムドまでついて来た。
朝の日差しはまだマシだとは言うが、これでも汗をかくほどには暑い。それに日替わりなエシュの気候でも今日は当たりだった。青空と畑風景が広がっていて、柑橘系の香りを風が運んでいる。
「お。その顔は、詩人になってるな? 鋼のマーカス様なんて他は呼ぶけど、俺は知ってるんだぜ? お前が妙にロマンチッカーだってことを」
気にしていないことを言う友人だ。
「この顔がロマンチックだとでも?」
そう言って先を歩くとリムドが追い付いてきた。「そうか、見間違いか〜」と、おどけていた。
集落を警備する心地で歩くと、ふとピアノの音が聞こえてきた。しかしあれはもう過去の事としている。リムドの方もただの楽器音には関心が無い。
軽快に弾かれる音は私の知らない楽曲を奏でていた。それもころころと曲風を変えるようだ。途中で知っている曲も挟んでデタラメだった。
「ひどい曲だな」
言ったのはリムドだ。聞いていられなくなったらしい。私もだ。
どこの家から鳴っているのかとリムドの興味で曲を辿った。すると私はピアノを弾く女性が目に映ってしまった。それがルーナであるとは言わなかったが、リムドには何か気づくものがあったらしい。
「行けよ。存分に嫌われてきたら良い」
初めて背中を押された瞬間だ。
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