音楽に関する私的見解
音楽に関する私的見解
街にはいつもいろいろな音楽が流れており、TVで歌番組が減ったとはいえ、私たちの周りには何かの楽曲があふれている。
一方趣味で音楽を聴いていたり、楽器を演奏する人が多いかというとそうでもない。
かつてはミリオンセラーを連発していたCD業界もめっきり規模が縮小されてしまった。定額料金聴き放題が時代の主流となってしまい、CDやレコードを買う人はよほどの好事家、コレクターのような存在になってしまったといえる。
不況が何十年も続く日本で、趣味として音楽にお金をかけるひとが減っているという事情もあるだろう。いわんや高価な楽器を買って自分で演奏するとなるとさらにハードルが高くなってしまう。
音楽は私たちのまわりからいつかはなくなってしまうのだろうか。
(私と音楽の歴史)
昭和四十八年生まれの私は、子どもの頃TVで「ザ・ベストテン」等の歌番組全盛期であった。やはり記憶に鮮明なのは松田聖子や中森明菜らの歌謡曲などをTVやラジオから流れるのを聴いていた記憶である。
それが小学校高学年に入って校庭で遊んでいると、佐野元春の「ヤングブラッズ」という曲が流れてきて衝撃を受けた。
これまでの聖子ちゃんらのポップソングは「ボーイ・ミーツ・ガール」すなわち男の子と女の子が出会って恋に落ちる、といった定番のラブソングであったのが、佐野元春の「ヤングブラッズ」は都会の青年が冬の街で悩みながら生きてゆく大人の風景で、田舎の子どもだった私は「大人になるってどうゆうことなんだろう」と初めて音楽に胸がときめいたのだった。
そのまま中学に入ると佐野元春が聴いていた音楽を聴きたくなり、とくに洋楽のビートルズに没入することになる(今もビートルズのファンクラブには入っている)。
もともとオタク気質で何事も極めるのは人より秀でている自信が当時よりあった私は、ちょっとずつビートルズのCDをすべて揃え、その歌詞カードに書いてあるビートルズヒストリー、レコーディングデータ、歌詞等を熟読、あっという間にビートルマニアになった。
その後洋楽邦楽問わず「ビートルズの影響を受けてミュージシャンになった」といわれる音楽を積極的に聴き続け、ちょっと前までは松田聖子ちゃん等の歌謡曲をTVでちょっと聴いていた程度の私が、いっぱしの音楽通みたいに周りから認知されるようになったので、思春期のエネルギーというものはすさまじい。
ビートルズの影響でジョンが弾いていたギター(もちろんビンテージではなく同型のもの)を弾くようになったり、ファッションも大阪でモッズスーツをあつらえてもらって着たりしているので、まさに私にとってビートルズは音楽のみならず色々な英国カルチャーのターミナル駅だと思っている。
英会話も大学と社会人になってから(いわゆる駅前留学というやつだ)続けており、日常会話には不自由しなくなった。サラリーマン時代はALT(英語助手の外国人教師)のお世話係もできて、カラオケではビートルズを唄い、おおいに喜ばれた。
ギターに関しては弾き語りメインの技術しかないのだが、三十歳前後に友だちの結婚式でビートルズの弾き語りをするとなんとなく式の余興が華やぐということで、何件も引き受けたりした(もちろん自分の結婚式でもギターの弾き語りをした)。
そう考えると、ビートルズやそれに関連する音楽は私の人生を豊かにし、本来地味な性格なのにスポットライトを浴びる立場にいざなってくれたといえるだろう。
とくにお酒の飲めない私は音楽が大好きなのでカラオケの技術も習得しており、飲み会の二次会なんかでカラオケを率先して唄うことができた。妻や娘もカラオケ好きなので、家族のコミュニケーションでカラオケボックスにもしばしば出かけることができる。
音楽の恩恵といわずしてなんといおう。
(音楽の提供形態の変化)
私の父の世代などはブラックビニールのレコードで音楽の録音販売を行っていたものが、カセットテープ、CDとその販売形態が変化してきた。そのCDもいまやサブスクリプション(定額聴き放題)にその座を奪われ、ミュージシャンはアルバムを製作販売するだけではとても利益が得られないとも聞く。
私や一部音楽愛好家にとって音楽とは「収集するもの」であった。好きなアーティストのCDアルバムをコレクションし、ステレオやミニコンポ等で鑑賞するのである。
それが今やスマホでその時の気分によりプレイリストからちょちょいと曲を選曲し、イヤホンで鑑賞する時代だ。たしかにレコードやCDのように場所を取らず、コストパフォーマンスも優れているのかもしれない。
たまにCDでしかアルバムを発売しないとした人気ミュージシャンのファンの子が「CDって何で聴くの?」というツイートを見たときは愕然とした。
ともあれ時代が変わっても音楽がなくなることはなく、ミュージシャンのライブ料金が異常に高騰してしまった(CD・音楽配信での利益が見込めないため、ライブ料金に活動費が転嫁された)りしてもコアなファンはやはり生でパフォーマンスを観たい。そこまで高額なライブチケットを買うのをためらうのであれば、CDやブルーレイを買って手元にコレクションすればよい(私である)。
コロナ禍により有料のネット配信ライブも同時に行い、その配信ライブが後にブルーレイとしてCDの初回盤に付属するというのもありがたいサービスだったりする。
今後コロナ禍がおさまれば、音楽の提供形態がどのように変化するのかも期待したいところではある。
(音楽の果たす役割)
今まで主にポップミュージックを中心に、つらつらと音楽のことを述べてきた。
もちろん音楽には多くのジャンルがあり、クラシックやジャズ、ワールドミュージック等多岐にわたる。
しかしそれぞれの音楽にはそれぞれのファンがいて日々の潤い、癒し、気分転換としてそれを聴いている。
古代からどの国にも音楽、ダンス、格闘技の三つは存在していることからして、音楽は人類が文化というものをもつようになってから以来の楽しみだったといえよう。
あるときは五穀豊穣を祈る神へ捧げるものとして、また祭りでダンスするときのBGMとして欠かせぬものだったのだろう。
父がジャズの愛好家で自らバンドでトロンボーンとトランペットを演奏しているが、ジャズの起源は黒人種のお葬式だったという。
葬列の行きは厳かな音楽として、そして死者の埋葬を終えた帰り道は陽気な音楽を奏でた。また白人種の奴隷だった時代、重労働を紛らわし癒す音楽として発展していった側面もあるだろう。
クラシック音楽は宮廷音楽だったので、もともとは貴族の趣味だったのだろうが、次第に民衆にも広がり、今は学校で音楽の時間に鑑賞するまでになった。
クラシックやジャズ、ブルース、ロックなどそれぞれ境界線が溶けていき、お互いが融合した音楽も生まれている。
それはその時代のリスナーの怒りだったり喜びだったりといった感情が生み出したものであり、まさに時代時代の社会環境を反映した音楽が発生し流布しているのが現状であろう。
街を見渡せばヘッドホンやイヤホンでスマホから音楽を聴きつつ歩いている若者も多いわけで、みなそれぞれの気分に沿った音楽を選択し聴いているのではないか。
それは悩みを解消するための癒しの曲だったり、むしゃくしゃする気分を吹き飛ばすストレス解消の曲だったり、失恋を慰める曲だったりするのだろうか。
音楽とは人間の感情の発露だという見方もできる。その表現方法や演奏楽器が変わっても、人は感情をなくすことはない。とすれば音楽は永遠であろう。
私など楽譜に詳しくない素人からすれば、ギターのコードを弾きながら曲を作って録音、みたいなことをしていたが(何とあのビートルズも楽譜が読めないのでこの作り方をしていたという)、今はパソコンのソフトで作曲から編曲までできてしまうというから驚きで、楽器演奏はもちろん、ボーカロイドという歌い手までボーカルをつとめてくれる。より音楽を作る方もITの恩恵で敷居が低くなってきた。
私は読書や音楽鑑賞にとどまらず、自分で文章を書いたり作詞作曲もしたい方なので、若い子たちも(そうでない大人も)バンドや個人で楽器を演奏し、オリジナルの楽曲を作るのに大賛成である。
それが自分の思考や感情を具現化し、解放することで何より自分の心の癒しになるからだ。
アーティストの楽曲でそのときの自分の心情にマッチするといっても、自分が作った音楽(それがたとえ拙いとしてもだ)に勝るものはないであろう。
もともと今現在有名ミュージシャンになっている人たちも楽譜なんかで作曲などはしていなかっただろうし、たとえばギターのコードで探り探り曲を作っていたと思われる。と考えればギターは上達しても万年初心者であろうと「ビギナーの楽器」として愛されていくのだろう。
聴かなくても困らない、という意味では音楽は読書やスポーツ、映画鑑賞などという趣味と変わらない。
それでも人は気分の良い時は鼻歌を口ずさんでみたり、TVドラマや映画のBGMに心を揺さぶられる。
私は「それでも」と思いつつ生きているかぎり好きなミュージシャンのCDを聴き、たまにギターを弾いたりするだろう。
それが人間という文化をもつ唯一の生き物である宿命で、それには抗えない、いや自然に従ってやろうじゃないかと心を解放しながら。
終