Dye Black a bad omen
大手町商店街は全国的に有名だ。レストラン街、アウトレット、ドラッグストアにゲーセン、昔ながらの魚屋や八百屋など、ありとあらゆる店が軒並み連なっている。
十時路になっている商店街を歩けば、ある程度の買い物なら全てが揃う、そんな様な気がする程だ。
話がそれたが、大手町商店街が有名だと言われる理由はその長さにある。
アーチ型天井が覆う商店街の総延長は圧巻の2.8km。
更に軒並み連なった店舗数は800を超える。最近では映画館なんかも増設された様子で、商店街はどの時間帯で通ろうとも、雑踏が止む事は無い。
癒月司の通う、私立玉響高等学校はその大手町商店街を抜け、大きな交差点のを渡った先から、東に200m程歩いた場所にある。
司は生まれも育ちも玉響市。小、中、高と、通学に関してはこの界隈から遠くに離れた事は無い。
毎日見飽きた商店街を通り、これもまた見飽きた交差点へと辿り着く。
赤信号。この信号は変わるまでの時間が長く、立ち止まった学生や会社員は各々会話したり、スマホを弄ったりと、慣れた様子で時間を潰していた。
雑踏に紛れる様に信号待ちをする司は目的地である対岸へと視線を上げる。
「――"黒"が増えてる……」
声には出さない…、だってあの"黒"は司にしか見えていないのだから。
交差点、横断歩道の中央部から生えた真っ黒な6本の腕。
大きさはまちまちで、小学生くらいの腕の長さのモノが2本、大人の様な腕が4本。
横断歩道中央には歪みとも言える真っ黒なバスケットボール程度の黒い穴があり、腕は円に沿って等間隔に生えていた。
花弁の様に揺れ動き、まるで何かを誘う様に手招きでもしている様だった。
今から二週間程前の話しにはなるが、大手町商店街交差点で大きな人身事故が発生した。
車の運転中に発作を起こした男性が意識を落とし、操作不能の状態で横断歩道を渡っている家族3名に猛スピードで衝突し、家族、運転手を含めた4名が亡くなり、8名の人が軽傷を負った事故の事だ。
事故内容は大きく新聞に張り出され、ニュースなどでも取り上げられていた。
信号機の真下には今になっても花束やお供物が絶えず置かれている。
誰が悪いとか、不運だったとか、そう言った事は司には分からないし、それを言える様な関係でもない。
囃し立てる様に遺族を励ましたり、加害者の男性を罵ったり、そんな事は絶対にしない。
ただ、双方共に辛かっただろう、"そう思うしかない"。
「……今日は別の道を通ろう」
信号はそろそろ点滅を始める。司は前を向き始める人達を横見にもう一つ先にある交差点へと進む。
通学路を外れ、遠回りになるが今はどうにもその交差点を進む気になれない。
得体の知れないモノへの恐怖、触れてはならない、見てはならないモノへの恐怖。悍ましく、不可解で、不気味で……まあ、そんな事は微塵も思わない。
不規則に腕を揺らす"黒"を見て思う事、それは憐れみと悲しみだ。
あの腕は"可哀想"だ。
人身事故から少し経ったある日、SNSでとある写真がバズった。
人身事故の正体はコレだ!!なんて見出しに、一枚の画像が添付されている。
それはあの事故の瞬間をどこかの監視カメラの映像を物を切り抜いた画像だ。
交差点内を逃げる人達の間で子供を庇う様に抱き抱え、しゃがみ込んだあの"家族"の姿が映し出されていた。
咄嗟に子供を抱え、少しでも衝撃を和らげようとしたのだろう。
加害者の男性は発作を起こした際にブレーキを踏もうと思った所、踏み間違えてアクセルを踏んでしまったのではないかとニュースで報道していた。
それが真実であるかは定かではないが、子供を抱えて走って逃げる余裕も無かった程に突然の事だったのだろう。
こんな画像が出回る事自体が不謹慎だ。
しかし不謹慎なこんな画像がバズった理由は事故の瞬間を捉えたからでは無く、そこに映る不思議な"影"が原因だった。
座り込んだ家族の足元に注目すると、何か黒い手の様な"モノ"が写り込んでいた。
心霊写真だの何だのとオカルト界隈や、そうでない人にも画像が出回り憶測が飛び交っているが、その実この画像に写っている手の正体はただそう見える"影"に過ぎない。
パレイドリアと言う現象を耳にした事は無いだろうか。樹木の模様や壁のシミ、それ別のものとして頭で思い浮かべてしまうことを、パレイドリア現象と言う。
感情がネガティブであればある程に、違ったモノに見えてしまうとの事だ。
幽霊、怪異、それらを総じて司は"黒"と呼んでいるが、"黒"には気配があり、それは写真や動画だとしても司の目には映り、そして黒の気配を感じる事が出来る。しかし画像越しにもその影から黒の気配は感じられなかった。
つまる所、バズった画像に映り込んでいた手の様な影は心霊写真では無い。
そう見える、そう見たい、そうだったら面白い、そうだったら悲しい、そう言った人の思い込みであの画像は心霊写真として成り立ってしまった。
あの亡くなってしまった家族が"憐れ"だ。
亡くなってなお、"黒"として縛り付けられるのだから。
生まれてからずっと司は"黒"を見る事が出来た。黒の正体は幽霊や怪異といった類のモノだ。
幽霊や怪異が産まれる本当の理由を知っているモノは少ない。幽霊なんかはこの世に残した恨み辛みや、何かしらの理由があって成仏出来ない、と考えられている。
確かにそうである幽霊も居るのだろうが、実際に存在している"黒"が産まれる理由は違う。
人の"思い"から産まれるのだ。
それは恐怖、憐れみ、悲しみ、憎しみ、人が考えうる感情が合わさり"黒"が産まれる。理屈や理由なんてモノは分からない、でも…多分、そう言ったモノによって黒は産まれている。
影に足を掴まれた家族は、人の思いによってその地に縛り付けられ、そしてそうであって欲しいと思う感情によってそこに産まれる。
ただ、足を掴むだけの害悪の"黒"として。
キュッと心臓が掴まれる様な、そんな気持ちになる。
人の死を"弄んでいる"様で胸が苦しくなる、、。
ピピっピピっ。
信号の点滅が終わり、歩行者側の信号が青に変わった。軽快な電子音が鳴り、立ち止まっていた人達は一斉に歩き出す。
――きっと誰かが黒に足を掴まれる。
それでも、良い……。自業自得だ…俺でなくても…。
「――あれ⁉︎」
丁度交差点の真ん中くらいの所で、歩いていた女性が声を上げる。
何かに躓いたのか、その場に座り込む様に立ち止まった。
ピピっピピっと鳴る電子音がピッピー、ピッピーと変わり、歩行者側の点滅が始まった事を知らせる。
「――あぁ、現実はいつもこうだ……」
それでも良い、関わらない、自業自得だ。そんな事を言った手前だが、あの黒がいる交差点へと司は走り出す。
「お姉さん、大丈夫ですか?」
「――あ、すいません……。ちょっと躓いちゃって」
「もう信号変わっちゃいますよ、ほら」
司は女性の元へと駆けつけ、手を差し伸べる。信号が変わるまであと少し。
女性もそれを察したのか司の手を取ってゆっくりと立ち上がった。
「あ…ありがとう」
「お礼なんていいよ。それより歩ける?」
「うん、大丈夫…です」
司は手を握ったまま、女性をエスコートする様に交差点を渡る。歩道へと続く白線を踏んだ辺りで電子音は鳴り終わり、歩行者側の信号が赤に変わる。
「ギリギリ間に合った…危なかったね」
司はようやく女性の手を離してそう言った。
「すいません助けて頂いて…。ありがとうございました」
「いいよ。それじゃあ気を付けて」
会釈をする女性を横目に司は交差点内へと視線を戻す。
もうあの"黒"は居ない。
司が近付くと"黒"は消えてしまう。それは今も昔も変わらない。風に巻かれた煙の様に消えてしまう。何故、司が近付くだけで黒が居なくなるのかは今でも分かっていない。
消えていった黒。黒へと変わり果てた家族への思いは果たしてどこへ行くのだろう。きっと成仏だったり、綺麗に居なくなったりはしていないのだろう。
多分、あの黒は誰かを死なせたり、足を掴んだまま離さない。そう言った思いから産まれているのだから、きっとその役目を果たすのだろう。
誰かが、あの女性の手を取ってあげていれば…。
司ではなく、誰でも良いのだ。黒の足を掴む力よりも立ち止まって動けない彼女を助けたいと思う気持ちの方が強ければ多分、あの女性は司でなくても助けてあげる事が出来ただろう。
しかし、現実は無常だ。誰一人として彼女に手を貸す者ほ居なかった。あの程度なら一人で立ち上がれるだろうとか、何やってんだコイツはとか、自分なんかが手を貸して迷惑にならないだろうかとか、現代を生きる人間は直感的に動かない。
動く前に感情が邪魔をする。
それなのに、あの時動かなかったのに、後になってああしていれば、こうしてやっていればなんて不の思いで黒が産まれる。
無責任だ。やらなかった事に対して、後になってあれやこれやと言い掛かり勝手に悲しんで、勝手に思い込む。
司が近付いた事で消えた黒。その黒に縛られていた家族、人の思い。そして、誰もあの女性に手を差し伸べなかった事。
人助けをしたのに、こんなにも胸が苦しくなる。
「あ、あの!」
あの女性の声がする。司は声の方向へと視線を戻した。
「よかったら、コレ貰ってください」
そう言って女性は肩にかけた鞄から、紙袋を取り出した。
「え、いいですよそんな」
この茶色い紙袋は見た事がある。大手町商店街にあるベーカリーの紙袋だ。
「ここのパン美味しいんです。まだ封も開けてないんで貰ってください。助けて貰ったので…」
「あ…じゃあいただきます」
女性の顔なんて手を引いていた時はハッキリと見てなかった。わりと可愛い顔をしている。
「それじゃあ、助けてくれてありがとうございました」
そう言って女性はもう一度会釈をして踵を返した。
手に取った紙袋はほんのりと暖かい。出来立てのパンが入っているのだろう。
朝ご飯か、お昼にでも食べようと思っていたのだろか。それを感謝の気持ちで司へと送ったのだ。
悪い気はしない。
心の片隅でそう思ってしまう。
誰も手を差し伸べなかった事、消えていった黒の事、苦しかった胸がスッと軽くなる。
俺じゃなくても良い。黒を産み出した人達の自業自得だ。そんな事を思いながらも、今こうして一人の女性を助けて、感謝されている。
「あぁ…やっぱり俺はお人好しだな」