prologue
そこに居て、そこに居ない。
目に見えて、目に見えない。
存在しているのに、存在していない。
物心付いた頃には"それ"はいたる所に現れた。
商店街の街角。雑踏の真ん中。公園の藤棚。学校の片隅。雑貨屋の角。居酒屋へと続く通路の奥。
「――――あれはなぁに?」
「あれって…どの事かな、つかさくん?」
俺の視界に移る"それ"が俺以外に認識出来ない物だと理解したキッカケは母親との会話だ。
指を差し、あちらこちらに居る"それ"の事を尋ねても、子供ながらに納得できる返答は返って来なかった。
きっと、何でも気になってしまう、そんな年頃だと思われていたのだろう。
それと同時期、俺は"それ"の正体に気が付いた。
"それ"の正体は皆が言う所の"幽霊"や"怪異"といった類の物だと。
黒く長い髪に白いワンピースを着た血相の悪い女性。
生気の無い表情のまま動かない中年の男性。
スライムの様なドロドロに無数の目が有る何か。
松の木の下から生えた白い腕。
池の水面を揺らす深緑の生物。
例えを上げるとキリが無い。決まって同じ形をした"それ"は居ない。
そこに居るのに、見えない。
それでいて、見えないのに、気配があったりする。
同学年のクラスメイトは幽霊が怖いだったり、暗いと所は誰かが見ていそうで行きたくないとか、そんな事を言っていた。
多分、そうなんだろう。それが普通なんだろう。
でも、俺は"それ"が見える事に恐怖は無かった。
恐怖の対象となる物…それは危害を及ぼす物だ。
腕を掴まれたり、呪いを掛けられたり、憑いて来たり、電話が掛かってきたり……
しかし皆が恐怖を感じている"それ"は俺に対して危害を及ぼす様な事はしない。
見えている者には近付いてきたり、体なんかを乗っ取っちゃう…なんて事は一切無い。
むしろ、"それ"は俺に対して近付こうともしないし、目も合わさない。
こちらから近付いても、風に巻かれた煙の様にふっと消えてしまう。
ただ、そこに居る。オブジェみたいな物だ。
随分とひねた感想だと思うかも知れないが、怖いと思う感情が生まれる前から見えている物に対して、いまさら怖い感情が生まれる筈なんて無い。
俺の視界に映る"それ"は俺だけのモノで、他人に語る程のものでも無い。
それ故に、俺は"それ"が見える事を秘匿している。
理解出来ない物を理解して欲しいとは思わないし、今となっては分からないが当時は幼心ながら普通では無いと言う事を誰かに知られたくなかったのかもしれない。
だからこそ俺は"それ"の事を幽霊や怪異なんて言葉では呼ばない。
俺にしか見えない、俺にしか認知してもらえない、俺だけが知っている。
俺は"それ"を"黒"と名付けた。