4. 彼女と出会い離れていく
彼女の出会いは、ボクが冒険者になったばかりのころだった。
「おう、ケイン、おっせぇぞ」
ガウがギルドに戻るなり、酔っ払った顔で話しかけてきた。
クエストが終わり仲間達と打ち上げをすることになったが、ボクはまともに魔物の体液を浴びていた。一旦宿に帰り着替えてギルドに戻ると、すでにみんなで盛り上がっていた。
「早すぎだろ。少しぐらい待っててくれもいいじゃないか」
「ばっかやろう、冒険者ってのはな、早さが大事なんだよ。いいクエストをとるのも、いい女を見つけるのもそうだ」
たいして酒に強くないくせに粋がってジョッキを空けていくせいで、ガウの顔は真っ赤になっていた。
それをおもしろがって先輩達がどんどんと飲ませようとするので、一番早く潰れるのがガウというのが定番だった。
ガウがテーブルに突っ伏すると、新しい見世物のために新米であるボクに矛先が向かう。
「よし、ケイン、おまえに緊急クエストを出す」
「……報酬はあるんですよね?」
「エレオノールを口説いて来い! 成功したら一杯おごってやるよ」
酔っ払いたちはこっちの言葉を無視して勝手に盛り上がる。
「いやですよ。いつもからかわれてるのに、そんなことしたらもっとひどくなる」
「仕方ねえなぁ。新米、オレが手本を見せてやる。突入だ!」
頬に大きな傷痕のある先輩の一人がジョッキを片手に、受付カウンターの方に近づいていく。
酒場を兼ねるギルドでは酔っ払いの相手なんてなれているのか、エレオノールさんは適当にあしらっているようだった。
そして、次の日、自分が彼女におごった酒代の額を見て顔を青くするハメになる。
結局、てんでばらけて盛り上がりはじめた。
ああやって一緒に騒げたら楽しいのだろうけど、こうしてなじめていないのはまだ緊張しているのだろう。
ガウのやつを起こす前にトイレを済ませて出てきたところで、カウンター席に一人で座る女の子を見つけた。
彼女はたったひとりきりで席に座っていた。
騒がしくなる店の中、小さな背中が印象的だった。
もしかすると、彼女が気になったのはそのふわふわした髪型のせいだったのかもしれない。
故郷の羊みたいにやわらかそうだった。
だから、なんとなく、なんとなく彼女に声をかけた。
「ひとりなの?」
話しかけると、特に警戒された様子もない。
「はい」
子供みたいな返事の仕方だった。
心がざわざわと騒いだ。
「おい、ケイン」
ナッシュさんがひょいひょいと手招きをしてきた。階段下の物陰で顔をよせられると、低い声で言われた。
「あの人はキテラさんっていって、ああみえてオレの先輩冒険者だ」
「えっ!?」
驚きながらチラリともう一度小柄な姿を見る。耳元を見ると笹の葉のように尖っていた。街で見かけるのは珍しいが、彼女がエルフだと知った。人間よりもはるかに長命な種族。もしかしたら、ボクの母よりも年上かもしれない。
「いいか、悪さすんじゃねえぞ。おまえなんかがどうにかできる相手じゃないからな。もっともおまえの手には負えないかもしれないけどな」
「はぁ、わかりました」
このときはナッシュさんが言っていることがよくわかっていなかった。なんだよそれ、とも思った。でも、実際のところ、キテラという女性はボクがどうにかできる人じゃなかった。
「じゃあ、そういうことで頼むぞ」
ナッシュさんが去っていくと、ボクはまたカウンター席に戻った。
「あの、キテラさんっていうんですか?」
「はい」
また子供みたいな素直なうなずきかたをする。
「ボク、ケインっていいます。この前、冒険者になったばかりの新入りです」
それが、始まりだった。
今にして思えば、どうしてあんなに心が傾いたのかわからない。ただ、とにかく彼女の笑顔を見た途端にいろいろなものが吹き飛んだ。
それから周囲の騒がしさが静かになるまで、ずっと彼女と話していた。
次の日からも、彼女の姿を見かけると自分から話しかけに言った。
冒険者について相談があるという口実で二人きりになったり、クエストを一緒に受けてほしいと頼みにいったり、とにかく必死だった。
だから、信じられなかった。いや、信じたくなかったんだと思う。それは彼女を思いやってとかそういう上等な気持ちじゃない。ただ、自分自身のためにそう思いたかった。
世間とか世の中とかよくわからないそういうものを、ボクはマトモなものだと信じたかった。
エルフだっていっても彼女だって人間なんだ。
ボクたちと同じようにくだらないことを考えたり、とんでもないことをしでかしたりするものだ。女が男よりきれいなものだなんていうのは、男側の勝手な思い込みだ。
わかっている。
でも、それでも、そんな幻想が見たかったんだ。
世界はすごいもんだと知りたかったから、あの狭い村から飛び出した。
「どうしたの、ケイン?」
「……なんでもないよ」
「変な顔してる」
バカだな、とボクは自分に言った。
「前から、こんな顔だよ」
勘のいい彼女に悟られないように目をそらす。
「ちょっと疲れてるのかも。ごめん……」
そうさ、これでいいんだ。
知ろうとしなければ、幻想が壊れることはない。
村を飛び出したときのままでいられる。
クエストも受けていない自由で暇な時間。キテラは用事があるといって朝から出かけていた。
一人だったとき自分はどうやってこんな時間を過ごしていただろうか。特になにをするでもなく歩いていると後ろから声をかけられた。
「おい、ケイン」
冒険者ギルドをやめたガウだった。
イタズラをして大人に見つかったときのような、なんともおさまりの悪い気持ちを胸に抱えながら立ち止まる。
「ひさしぶり、ガウ」
「おう」
ケガをしたという左足に視線が落ちそうになるが途中で引き上げる。
相手を心配するような言葉はお互いにださない。
「どう、新しい仕事は?」
「ご覧のとおりだ。なかなか似合ってるだろ?」
今の自らの姿を見せ付けるように両手を広げる。仕立て屋に弟子入りしたらしく腰に巻いた前掛けが風にはためいている。
「今は一番下っぱ扱いだがよ、技術的にはもう追い抜いてる。なあに、あいつらなんて一年やニ年で蹴散らしてやるよ」
「おまえ手先が器用だったもんな。装備も自分で直したりしてさ。そっちの親方にも期待されてるんじゃないのか」
「ふんっ、おまえには負けるさ。聞いたぜ、ギルマスにも目をかけてもらって一番の出世頭だってな」
その瞬間、冷たいものが腹の奥に沈んでいった。こいつがこの自信過剰な見栄っ張りが、ボクに対して『負けた』なんて言葉を使った。
だから、ボクは精一杯笑ってみせた。
「ウソつけ。そんなこと、ちっとも思ってないくせに」
「ばれたか。おまえには負けないって自信はあったんだけどよ。オレはこっちでのし上がる。ちょっと後ろに下がったけど、すぐにおまえを見下ろす位置にきてやるからな」
ガウも笑っていた。
別れを言って、若干足を引きずりぎみにガウは去っていった。
その背中を見送った後もその場から歩き出すことができなかった。
こんな風にあいつと話したのなんて初めてだった。
お互いに敵愾心や嫉妬の気持ち抱いていたはずだった。でも、二人とも相手にそれを感じなくなっていた。
こんなのただの薄っぺらい感傷だ。
でも、そうやって見切りをつけていって階段を上っていけば大人になれるのだろう。こんな自分が他人の荷物まで背負おうとすれば身動きなんてできなくなる。重いものをおろして身軽にならないといけない。
ボクは上る。あの階段を。
足を前にだそう。
どっちの方向に?
後ろにキテラを残したまま?
「……無理だ」
悟った。
「やっぱり、無理だよ」
感情のままに体が動き出していた。
ボクは結局大人になんてなれそうもなかった。
かといって幻想にひたって、自分を騙し続けることもできない。
村を出たときもいろいろ考えて恐怖に煽られて、それでいっぱいいっぱいになっていた。色んな余計なものばっかり背負い込んでいた。
ボクはわがままな子供なんだ。
キテラのことを心配しているつもりで、結局は自分のことだけを考えていた。
ギルドの扉を乱暴に開けて駆け込んできたボクをエレオノールさんが驚いた顔で見る。
「ケイン、あんた―――」
何か話しかけられたが無視して前を通り過ぎる。そのまま奥まで大またですすみ、ギルドマスターの部屋を大きく開け放った。
「キテラ!!」
この先にどんなことがあるだろうか。
邪魔になるものがあるならぶん殴ればいい。
大切な物はいっぱいある。だけど、その中で一番の宝物は彼女なんだ。