1. うちの奥さん
冒険者ギルドの建物の一番奥、男は客にソファーをすすめた。
普段は彼が静かに執務を行うための部屋であったが、特別な依頼を持ち込んだ客と内密の話をするための部屋ともなっている。
扉を閉じると、廊下からの冒険者たちの粗野な声は完全に遮断される。
「あの……それで、お話というのは」
ソファーに浅く腰かけた女は戸惑いの色を浮かべていた。小柄な女性であった。長いふわふわした栗毛に丸みをおびた顔の輪郭が彼女を幼く見せた。
「実はだね、あなたのご主人であるケインくんの話でね」
「主人がなにか……!?」
もったいつけるような男の話し方に女は不安そうにする。
「3日前のクエストの際にトラブルを起こしてしまってね。幸い彼とその仲間も無事だったようだが、その後処理で少々困ったことになっているんだ」
男は声を落としチラリと女に視線を向ける。
「ま、待ってください! ギルドからの除名は許していただけないでしょうか!」
「それは奥さんの態度次第でしょうかねぇ」
「え…………」
男のいやらしい笑みをむけられ、女はびくりと身体をふるわせる。
「彼、落ち込んでいたよ。こんなことをしてしまい、奥さんに会わせる顔がないって」
うつむいた女は膝の上に置いた手をぎゅっと握った。男はゆっくりと立ち上がると、うつむく女の背後にまわりこむ。
「彼はね、あなたとの家庭を守ろうと必死にがんばっていたようだからね。ギルドでもよくあなたのことを話していたよ。ずいぶんと愛されているようだな。非常に心苦しいが、わかってもらえるか?」
ゆっくりねっとりとささやきかけ、ポンと女の肩に手を置く。
「……わかり、ました」
搾り出すようにかすれた声に、男はにっこりと満足気な笑みをうかべた。
*
夕陽がすっかり沈んだ町には、仕事がおわり解放感にひたるにぎやかな声が往来に満ちている。
すっかり遅くなってしまい進む足は早くなる。
大通りから横道にはいり、薄暗い道の先に石づくりの建物が居を構えていた。古さと頑丈さだけが取り得なのが、この冒険者ギルドの建物だった。
扉ごしにも中の騒がしさが通りまでもれている。
足を踏み入れると、途端に男どもの笑い声や怒鳴り声が耳を通り抜けていく。
その人種はさまざまで統一感がない。共通しているのは全員が酒を片手に、酔っ払っているということだった。以前だったら、自分もあの中に混じっていた。
「エレオノールさん、精算をお願いします」
騒がしさから離れ、部屋の一角でけだるそうに頬杖をつく女に声をかけた。
「今日もいってきたのかい。こんなに真面目な冒険者なんてあんたぐらいなもんだよ」
「ボクのミスですから」
「普通の冒険者なら、酒を飲んで酔っ払った次の日にはそんなもん忘れてるよ」
酒焼けしたハスキーな声で笑い声をあげる。
目鼻立ちのはっきりした派手な美人で、ほんのりと色づいた肌が色っぽい。
受付カウンターに並べられた書類の束の横にはジョッキが置かれている。
こちらの視線に気がついているはずだが、本人に隠す気はなく目の前でジョッキをあおりだした。
「ずいぶん飲んでるみたいですけど、勘定まちがえないでくださいよ」
「だいじょうぶだいじょうぶ。あたしが間違えたことなんてないでしょ」
手の平をひらひらとさせながら笑みをうかべる。上目遣いで、胸元をみせる姿勢をとる。そこに秘められているものには気づいていたが、知らないふりをしておどけた笑みを浮かべる。
「増やしてくれる分にはかまいませんよ」
「なんだい、ちょっと前は顔を真っ赤にしてたくせに余裕ぶっちゃってさ。どうせなら冒険もしてみたくならない?」
差し出した手をつつむように銀貨を渡してくる。銀貨がちゃりんと音をたてながら、指先が触れ合う。伸ばせばつかめるのだろう。でも、そんなことをしたらキテラに殺される。いや、彼女のことだから黙って陰で泣くのだろう。
「今日の依頼は終わったので、冒険は終えて家に帰ろうと思います」
「はあ、あんたって本当にまじめねぇ。そんなに大事にされるてるの見ると、奥さんがうらやましくなるよ。間男にとられないように気をつけないとね」
これ以上からかわれないようにとさっさと家に帰ろう。足を出口に向けたところで呼び止められる。
「ケイン、帰るところか?」
「あ、はい。なんでしょうか?」
ギルドマスターだった。今は禿げ上がった赤ら顔の親父といった感じだが、若い頃は名のある冒険者だっと聞いている。前に立つだけで圧を感じていまだに緊張してしまう。
「どうだ、最近の調子は?」
「ええ、おかげさまで」
「それならいい。この前のクエストのこともあまり気にするな。なんとかできそうだ」
「本当ですか!?」
三日前から帰りが遅い日が続き、家で待つキテラに心配をかけていた。お礼をいうと、ギルドを後にした。
家に少しでも早く着こうと足を動かす。腰に差した剣がカチャカチャと音を立てる。
剣を初めて握ったときはその重さといかめしさに慣れなかった。だけど、魔物を前にしたときには頼りなくて、握っているのがただの棒にしか感じられなかった。
今はもうそんな戸惑いもおびえることもなくなったいた。自分のことをいっぱしの冒険者だ、といえるぐらいの自信はついた。今の自分がいるのもすべては彼女のおかげだった。
「ただいま!」
キテラと一緒に住む新居、といえるような立派なものじゃない。大通りに近いしっかりした家なんて手が届くはずもなく、日当たりも悪い安普請に住んでいる。
蹴っ飛ばせば穴が開くような薄っぺらい玄関扉を開く。扉の先ではエプロン姿のキテラが微笑みながら迎えてくれた。
「おかえりなさい」
「遅くなってごめん。帰り際にギルマスにつかまっちゃってさ、大した用事じゃないんだけど、逃げ切れなくて」
何も悪いことはしてないのだけれど言い訳が口から出る。
「それで、ごはんは? 食べてないの? 先に身体ふいてきちゃって。着替えも用意しとくから。お酒は? 飲む? じゃあ、一本だけだよ」
革鎧の留め金をはずそうとすると、彼女が手伝ってくれた。背中側にあるせいで一人だと手探りではずさなくちゃならない。
体が軽くなった解放感にほうと息をはく。そんなボクに彼女が「お疲れ様」と声をかける。いつものやりとり。幸せだった。彼女がたまらなく愛おしくなる。
「え? なあに、急に抱きついちゃったりして。ただいまのぎゅっ? もう、わかったから……はい、ぎゅっ。これでいい? わたしもお腹すいてるからはやく食べよ」
年上の彼女からはいまだに子供扱いされている気がした。付き合っているときからそれは変わらなくて、背伸びしたことをしてみせては失敗していた。
今の関係も悪くはないが、もっと頼りがいのなる大人の男としてみてもらいたいというのも本心であった。
廊下の先に消えていく小柄な背中を見送る。
体を触れ布巾でざっと拭いて台所にいくと、テーブルの上にはすでに食事が準備されていた。
湯気をたてる深皿に盛られたロールキャベツ、赤いトマトと緑のレタスのサラダ。どれも、あらかじめ用意されていたというよりも、いまさっきできあがったばかりのようだった。
「あれ、できたてなの?」
まるでボクの帰ってくる時間をわかっていたようだった。不思議に思いながらきいてみると、得意気にキテラは笑った。
「わたしの素晴らしい直感によるものなのですよ」
「うちの奥さんはすごいな~」
素直に感心しながら、温かい食事を口に運ぶ。
出会ったときから彼女はそういう勘のするどい所があった。一方でボクは彼女から鈍いとからかわれたこともある。
ロールキャベツにかぶりつくと、めちゃくちゃうまかった。キャベツはとろとろだし、その中の肉はなにかのスパイスが絶妙にきいていた。
サラダもおいしかった。きっとドレッシングにもこだわっているのだろう。
「はー、おいしかったぁ。ごちそうさま」
「よかった。ケインは本当においしそうに食べてくれるから作るほうはうれしいよ」
食後のお茶をゆったりとした時間の中でたのしんだ。
「ケイン、お仕事はたいへん?」
「だいじょうぶだよ。順調とはいかないけど、うまくやってるよ」
そりゃあきついこともあるし、泣き言もいいたい。
でも、だいじょうぶ。キミがいるからさ。
こういう気持ちは素直に伝えるべきなのだろうか。だけど、なかなか口にできない。たぶん言ったら、彼女もボクも照れまくるのだろう。
言葉にできなければ行動で示せばいい。
「……ごめん。今日は無理そうかも」
やんわりとした拒否の言葉で、彼女にのばそうとした手が途中で止まる。
本当に申し訳なさそうにする彼女に、だいじょうぶだよと笑ってみせた。