86 クマコウの探索
俺は、クマコウと呼ばれる魔物だ。
地獄の囚人である。
地獄から、人間を食いに地上に出た。
だが、人間はすでに全滅寸前まで数を減らしていた。
俺が地上に出た時、入れ替わるように地獄の囚人に連れ去られたのは、地獄で聖者と呼ばれ、50年前に地上に逃げた男だった。
地獄にいた者が、地上に逃げて、看守に囚われる。
それは当たり前のことだったが、聖者は本来地獄に落とされるべき人間ではない。
地上が魔物に溢れ、生き延びるために人々を率いて自ら地上に移り住んだという。
看守に追われる存在ではなかったはずだ。
それをそそのかしたのが魔王であることは、誰でも知っている。
俺は、地獄に引き摺り込まれる聖者から、力を託された。
クマに似た外見が人間そのものに変わり、誰かを助けようとする時だけ、不思議な力を使うことができた。
だが、俺は聖者ではない。
力にも限界があったのだろう。
力を使い果たし、俺はクマコウに戻っていた。
クマに似ているというだけで、クマではない。長い毛が全身に生え、長い毛の下には、複数の人間の顔がはつりいている。
ただ、人間の顔はただ苦しみ続けているだけで、俺自身の思考とは全くの無関係だ。
爪は五本ではなく一本だけ、腕から直接伸びたようになっており、本来短いはずの尾は、長く鞭のようにしなう。
目が四つあるような気がするが、見え方が二つ目の時と同じなので、本当に四つあるという確証はない。
俺は、魔王に連れられて地獄からきた囚人たちと合流した。
俺が人間の姿をしていたことを知っている奴もいたし、人間の姿をしていた時に戦った奴もいる。
だが、再び顔を合わせると、まるで地上ではじめて会ったかのような態度だった。
地獄の囚人は、嫌な過去を忘れ去ることに長けている。
何度も死に戻り、死ぬために再び生かされる。
そんな生活を強いられていれば、嫌でも苦しい過去は忘れていく。
その上、もともと地獄の囚人だったのだ。魔王に服従している姿勢はとっても、本当に従っているも者などいない。
人格的には、全員が破綻している。
俺は、仲間たちに殺されることを予期していたが、それは起こらず、逸れていた仲間として迎えられた。
俺は、合流出来て喜んだ振りだけをしていた。
5人の少女を助けようとしていた充足感から考えると、胸が悪くなるような感覚だった。
俺は、見張りを買って出た。
半壊した建物が目についた。
魔王とはいっても、建物を破壊するような能力は持っていない。暴れ回るうちに、もともと脆かった建物が崩れたのだ。
街の建造物の多くは無傷だった。
最も高い3階建ての家屋の屋上に、俺は大きくなった体を収めた。
短くなった手足をたたみ、のんびりと外を眺めた。
少女たちは全員無事だろうか。
トットは泣いていないだろうか。
魔法の素質があるレインは、大人たちにこき使われていないだろうか。
狩人のキャリーは、俺のことを探しているだろか。
槍使いのリマは、俺がいないことを怒っているだろか。
サリカは……無事だろうか。
俺は5人を思い出しながら、それは今の仲間たちにはできないことだと感じていた。
以前は、俺もできなかっただろう。
かつてを思い出し、思い出に耽るような、まともな精神を俺は持っていなかった。
まだ、聖者の力の残滓が残っているのだろうか。
こうして思い出すことも、いずれはできなくなってしまうのだろうか。
再び会っても、サリカたちは俺のことがわからないだろう。
それは仕方がないことだ。もともと、俺はこうなのだから、我慢できる。
だが、サリカたちに再び会った時、俺はサリカがわかるだろうか。
まともに考えられず、サリカたちを殺そうとするのではないだろうか。
俺は、自分が怖くなった。
恐ろしくなり、立ち上がった。
会わなければならない。
聖者にもう一度会って、俺に何をしたのか、聞かなければならない。
まだ間に合う。
聖者は地獄にいる。
死ぬはずがない。
俺が最後に見た時は老人の姿をしていたが、年老いたぐらいで、死ぬとは思えない。
俺は、建物の3階から飛び降りていた。
誰も気づかなかった。
気づいたとしても、誰も止めないだろう。
俺がまた、勝手な行動をしていると思うだけだろう。
俺は走った。
二本足ではなく四つ足で走ることに、違和感を覚えなかった。
それは、元人間としては異様な感覚のはずだが、おかげでとても早く走ることができた。
以前はとても苦心したはずの街を出ることを、簡単にやってのけた。
追ってくる者もいない。
俺は街を出て、森に駆け込んだ。
聖者が引き摺り込まれた場所に行くつもりだった。
聖者が這い出してくるかもしれないし、地獄に戻る穴があるかもしれない。
俺は走った。
ただ、森に入った直後、甲高い悲鳴を聞いた。
「聞き分けのないことを言うな! ダマスなんて男は、街にはいなかった。どこからきたのかもわからない男のために、危険を犯せるものか!」
俺は、木々の向こうから聞こえてくる声に意識を向けた。
誰かが倒れている。
俺は、そっと近づいた。
自分でも驚くほど、静かに動くことができた。
俺はクマに似た姿をしている。
だが熊ではない。
体毛は長く、全身を覆い、垂れ下がり、毛の中に埋まっている人間の苦痛に満ちた顔を隠している。
クマの顔でありながら、人間のように見えることも知っている。
地獄では気にならなかった。俺よりも醜い魔物ばかりだった。
だが、この地上では最強に近い猛獣であることよりも、禍々しい姿を忌避されるだろうことは想像できた。
「ダマスは、ずっとあたしたちを守ってくれた。街の大人なんかより、ずっと信頼できる。誰も助けてくれなくていい。私だけでも助けに行く。魔王にとらわれていたあたしを、ダマスは助けてくれた」
サリカだ。俺は安心した。声を聞き、それが知っている声だと判断できた。
完全に、地獄の囚人には戻っていない。
「サリカ……お前も、もう大きい。わかるだろう? 魔王と魔物たちは、10体ほどしかいない。それほど数は多くない。逃げ切れれば、生活を立て直せる。人間の数を増やさなければならない」
「サリカに、誰かの子供を産ませるってこと?」
サリカから離れた場所で、キャリーが弓に矢をつがえているのがわかった。
「……穢らわしい。あたしが誰かの子供を産むなら……ダマスしかいない。あたしたち……レインもトットだって、全員同じだ」
サリカの声は、心底嫌そうだった。レインは魔法を使える少女で、街から逃げる大人に、その力を買われて連れて行かれた。トットはまだ幼い少女だ。
男の声が笑った。
「そうか? レインは誰でもいいみたいだったぞ」
「お前! レインに何をした!」
サリカが飛び上がり、殴りかかった。
サリカは武器として剣を使う。
その剣が使えないか、持っていないのかわからない。
殴りかかったサリカを、男が殴りつけた。
サリカの体が、ごわごわとした毛皮に受け止められる。
俺の腹だ。
「ひぃっ!」
木々の間から見せた俺の姿に、サリカを殴りつけた男が悲鳴をあげた。
「サリカ、逃げて!」
キャシーが矢を放つ。
俺の喉に正確に飛んできた。
俺は避けなかった。
俺の首に浮き上がっていた人面状の瘤に刺さる。
痛た気持ちいい。罪が浄化されている感じがする。
「キャアアッッ……」
サリカも悲鳴をあげ、腰が抜けたのか、ばたばたと地面を這った。
サリカを殴った男は、背を向けていた。
「コゥオォォォォッ!」
俺は吠えた。始めて使ったが、声に振動を乗せた。
男の背を衝撃派が貫き、男がびくんと震えて倒れた。
俺は尋ねた。
「この男……街の人間か? 殺した方がいいのか?」
「ひっ!」
キャシーが再び矢を放つ。俺は肩で受けた。実に心地よい。
「待って! キャシー、辞めて……これ、この人……ま、魔王のところにはいなかったわ。ま、まさか……まさか……ダマス……なの?」
俺は、気絶した男を転がした。
口から泡を吹いているが、頭を強打したわけではない。
このままなら、死ぬことはない。
俺は、背後に顔を向けた。
「言ったろう。俺は聖者なんかじゃない。これが……本来の姿だ」
「……サリカ、離れて。ダマスだとしても危険すぎる」
キャシーは三本目の矢を弓につがえながら、俺から慎重に距離をとっていた。
「ああ……キャシーの言うとおりだ。今はまだ、サリカのことがわかる。リマも、レインも、トットも、覚えている。だけど……体が戻ったように……意識も昔の、残忍な俺に戻ってしまうかもしれない。だから……キャリー、サリカを連れて行ってくれ。あの男は、俺が連れて行く。魔王にやる。わかっているだろう? 俺は……魔王の配下だった……」
「駄目!」
叫び、俺の足に飛びついたのは、俺を恐れて腰が抜けていたサリカだった。




