85 魔王との対決
魔物たちに見つかることを警戒して、俺は少女たちと共に廃墟に隠れ続けた。
食糧は俺が用意した。
俺が少女たちからパンくずを受け取り、少女たちに返すと、理由はわからないがふっくらとした美味しそうなパンに変わった。
一度変わったパンが元に戻ることはなく、俺の分は少女たちが分けてくれた。
俺自身の食糧としてパン屑をどう捏ね回しても変わらないので、少女たちに与えるという行為が必要なのだろう。
水についても同じだ。
少女たちが啜ろうとしていた泥水に俺が手を添えると、綺麗な水に変わった。
ただし、俺は泥水を啜った。
俺が直接触れた水は、綺麗にならなかったのだ。
数日を過ごした。
魔王配下の魔物たちの姿も見なくなった。
「ダマス、そろそろ逃げないか? レインのことも気がかりだし……もう人間のことはあきらめているんじゃないかな」
3日が経過したころ、リマが言った。
ずっと廃墟に隠れているのが、限界になってきたのだろう。
トットは、自分より幼い子供たちに慕われ、すっかりお姉ちゃんという立場に収まっている。
サリカはずっと俺のそばにいて、キャリーは慎重に外を伺っていた。
レインというのは、孤児のなかで魔法を使える数少ない少女だ。
レインはその能力を買われ、街から逃げる大人たちに連れ去られた。
俺は瓦礫の間から外を見た。
街は崩れ、動くものは何もない。
人間は全て逃げ、魔物の数は多くない。
魔物とは、俺の同郷の地獄の囚人たちだ。
「……俺は、魔王を知っている。執念深く、決して諦めない。この街には獲物がいないと諦めて、出ていくことはあるだろう。それが確認できない限り、出ていくことは自殺行為だ」
「あたしもダマスに賛成だ。危険すぎる」
狩人としての才を示したキャリーが、外から視線を転じて俺を支援した。
「サリカは?」
「ダマスに従う」
リマが尋ねると、サリカは言った。魔王に囚われていたのを救い出してから、サリカは俺から片時も離れなかった。
トットが尋ねた。
「どうして、ダマスは魔王を知っているの?」
俺は、少女たちを見回した。全員の視線が俺に向いている。
口を滑らせたのではない。
このまま、黙っていることはできないと思い、あえて口にした。誰も聞き咎めなければそれでいいと思ったが、やはりそうはいかなかった。
「魔王は、初めから魔王だったわけじゃない。この街にいる魔物たちは……自分の国では、ごく普通の人間だ。ああ……人間の姿をしているわけじゃない。その国では、ああいう姿をした連中ばかりだから、どんな姿をしていても人間として暮らすことができる。俺も……同じ場所からきた」
サリカが俺を見つめ、キャリーが舌打ちをする。リマが視線を背け、トットが小さく悲鳴を発した。
「でも……ダマスは人間でしょう?」
「地上……いや、この国にきたときは、俺もあいつらと同じような姿だった。だが、君たちと会う直前……俺たちが聖者と呼んでいたある人物が、俺に何かを託した。はっきりと言われたわけじゃないが……何かを託されたのは間違いないと思う」
「……根拠は?」
リマが鋭い声で尋ねた。
俺は、普段から思っていたことを伝える。
「魔王にも、周りの魔物たちにも、特別な力なんかない。力が強く、死ぬことを恐れない以外……パンくずをパンに戻し、汚れた水を綺麗にすることはできない。俺も、自分のためには何の力もない。君たちを助けようとする時だけ、不思議な力で……君たちを助けてきた。この姿もそうだ。俺が望んだんじゃない。君たちを助けられるように、俺たちが聖者と呼ぶあの人が……姿を変えさせたんだ」
サリカが口を開く。
「リマ、どの大人も、私たちを善意で助けてはくれなかった。恨んじゃいない。そんな余裕がなかったってことはわかる。でも、ダマスが、元々はあいつらの仲間だったからって……ダマスより私たちを助けてくれた大人なんかいなかったでしょ。ダマスを信じられないなら、私はあいつらの餌になったほうがいい」
「わかっているよ。私も……ダマスが敵だなんて思っていない。でも……わかるだろう? トットを見なよ。怖いんだ。サリカ……あんた、ダマスと寝たのかい?」
「リマ、何を言うの?」
キャリーが口を挟む。サリカは答えず、頬を膨らめた。
俺が代わりに言った。
「俺が、人間ではないことを知っているのは俺だけだ。そうと知っていて、サリカに手を出したりするはずがないだろう。生まれてくる子供が……人の姿をしていないかもしれないんだ」
リマが大きく息を吐く。
「わかった。ダマスを信じる。これからも頼む」
「ああ」
リマが手を伸ばし、俺も自分の手を伸ばそうとして躊躇した。
自分の手が、クマのような巨大な毛深い手となっているような錯覚を覚えた。
リマが一瞬怯んだような気がしたのは、錯覚ではないだろう。
俺が手に目を落とすと、俺の手はごく当たり前の、人間の男の手だった。
俺は手を伸ばし、リマの手を掴んだ。
※
俺は、昼だろうが夜だろうが、地獄の囚人たちに見つからずに街を出るのは無理だと判断した。
だが、いつまでも瓦礫の中に住み続けられはしない。
俺は、腹を括って少女たちに言った。
「キャリー、みんなを誘導して街から出てくれ。サリカ、リマ、トットと子供たちを頼む」
「……わかった」
キャリーは納得した。
「どうやって逃げるんだよ。途中で見つかるに決まっている」
リマの疑問は当然だろう。
「俺が惹きつける。多分、見つかるのは……俺だけですむ」
そう感じた。少女たちを守るためなら、聖者のくれた力が働くだろう。
「ダマスはどうなるの?」
「心配ない。逃げるよ」
逃げられないかもしれない。だが、そう言えばサリカが心配すると思った俺は断言した。
「わかっていると思うけど……もし街から出られても、ダマスがいないとサリカは戻るし、リマは他の人と喧嘩するだろうし、私は自分を優先する」
キャリーの言葉はきつかったが、それは俺に死ぬなと言っている。
「ああ。街の外で会おう。あいつらさえいなくなれば……幸せに暮らせるさ」
「ダマス、じゃあ。私たちは先に行っている」
サリカの言葉に、俺は安堵した。
キャリーが立ち上がり、少女たちが続く。
外は明るい。
暗かったからといって、結果は変わらないだろう。
俺は、瓦礫から出ていく少女たちを見送った。
最後に俺も出る。
少女たちが走り去った方向に、俺も走り出す。
何も起こらなかった。
俺は、少女たちの背中を追うように走り続けた。
少女たちは止まらず、子供たちが転べば、抱き上げて走り続けた。
それだけ、必死なのだ。
俺は、子供たちが無事に逃げられるように祈った。
子供たちの足が軽くなったように見えた。
背中を風が押している。
俺の背中は誰も押さず、俺の足は重いままだった。
「よう。どこにいく? クマコウ」
街の壁が見えてきた。
俺が街にきた時とは違い、壁はあちこちで崩れていた。
先頭のキャリーが壁の割れ目にたどり着くのを俺が見た時、俺の前で砂煙が上がり、地響きが生じた。
少女たちは振り返らない。俺の前に降りた奴のことに、気づいていない。
俺は安堵した。
「魔王、空を飛べたか?」
俺の前に立ったのは、いつからか魔王と呼ばれ、自らも魔王を名乗り、死に戻る度に醜悪に変化する男だった。
「いや。どうやら、地上では体が軽くなるらしい。飛べはしないが、軽く地面を蹴っただけで、下手に落ちれば死ぬぐらいの高さに飛び上がった。それより……今までどこにいた? 噂じゃ、俺の邪魔をした人間の男が、クマコウじゃないかってことだったが……そんなことはないよなあ?」
魔王の言葉に、俺は違和感を持った。
俺は、自分の手を見た。
毛に覆われた大きな丸い手に、指ではなく鉤爪が生えていた。
「ああ。俺じゃない」
俺は咄嗟に言った。魔王の邪魔をして、サリカを逃したのが俺だと知られれば、俺は殺されるだろう。
俺自身のために、聖者の力が働いたことはない。
俺は、死ぬのが怖かった。
自分が、醜い姿に戻ってしまったことは理解していた。
だが、地上で知り合った少女たちと、2度と会えなくなるのは怖かった。
「そうか。なら、今までどこにいた? 今まで、姿を見せなかったよな? 地上の人間たちは脆弱だ。まさか、殺されたわけじゃないよな? 死んで地獄に戻ったら、簡単には出てこられないだろう?」
「あ、ああ。道に迷っていた。俺は……方向音痴なんだ。ようやくこの街にたどり着いて、魔王がここだって思ったのさ」
「ちっ……そうか。てっきり地獄に死に戻って、地上に戻ってきたのかと思ったぜ。地獄から地上にくる別の道ができたかと、期待したんだがな」
俺は胸を撫でおろす。もし、死に戻っていたと言ったら、どうやって地上に戻ったのかと、追及されるところだった。
俺の視線の先で、最後の少女が壁の向こうに消えた。
俺は、魔王に言った。
「俺を探していたのか?」
「ああ。クマコウは強いからな。頼りにしていたんだぜ。それで、どこに行こうとしていた? まるで、ミツバチの巣を見つけたみたいな勢いだったじゃねぇか」
魔王はゲッゲと笑った。
クマは蜂蜜が好きだという、遥か昔の知識による冗談なのだろう。
俺も愛想笑いをしたが、現在の顔で笑っていると伝わるかどうかはわからない。
「……いや。魔王が見つからないから、人間たちを狩りに行こうとしていたのさ。いるんだろう? あっちに」
俺が、少女たちが逃げた方向を前足で示す。
魔王が振り向き、肩をすくめた。
「ああ。いるだろうぜ。だが……まだ食うものはある。腹が空いたなら、一緒に来い。狩りに行くのはそれからでいいだろう。俺たちは獣じゃない。狩りをするのは生きるためじゃない。奴らをいたぶるためだ。そうだろう?」
「……ああ。そうだな」
魔王はにたりと笑う。
俺は、魔王の考え方に震えながら、反論もできなかった。




