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異世界転聖 ~100歳で大往生した聖人が、滅亡寸前の異世界を救うために転生しました~  作者: 西玉
5章 新たな守護者 

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78 半ばカニ

 地獄の囚人を見ても、恐怖は湧かなかった。

 むしろ、親近感すらある。

 だが、向こうは違ったようだ。

 蟹もどきの囚人は、牢の中の俺を見つけると、口元を大きなハサミ型の腕で拭った。


「こりゃ、美味そうだな。お前、置いてきぼりかい?」

「置いてきぼり? この街の人間は、どこかに行ったのか?」

「ギャハハハハッ! そんなことも知らないか。街の人間は、全部逃げた。ここは、魔王様の街だ。残っているのは、硬い筋張った人間ばかりだ。お前もそうなのか?」


 蟹もどきは、太く大きなハサミで牢の格子を掴んだ。

 頑丈な木材で組まれた格子だったが、ハサミに挟まれてメキメキと音を立てた。

 人間の首など、簡単にへし折れるのだろう。


「そうか。柔らかくてうまい肉は、全部逃げたか」


 俺は、サリカたちが逃げたのだと思い安堵し、確認するために口にした。

 だが、俺の答えが蟹もどきには気に入らなかったようだ。


「お前、うまい肉がどこに行ったか、知っているな?」

「知るはずがないだろう。お前が言った通り、俺は置いてけぼりだ」

「そうだな。お前は置いてけぼりだ。だが、うまい肉のことを知っているな?」


 俺が、囚人が言う『うまい肉』の人間と知り合いかと尋ねたいのだろう。


「柔らかくて、瑞々しくて、潮っけがあるあれか?」

「お前! こんなところで、いつ食った?」


 蟹もどきのハサミで、木材で作られた格子がへし折れた。

 意図してではないだろう。興奮して、力の加減が出来なくなったのだ。

 牢が壊れる。俺は慌てなかった。予想していたことだ。


「さあな」

「言え! うまい肉はどこにある! 教えなければ、お前を食う!」


 牢の格子をばらばらにして、蟹もどきが突進してきた。


「俺は不味いんだろう?」


 俺が横に飛んで逃げると、蟹もどきは真っ直ぐに進んで壁に激突した。

 蟹に見えると言うだけで、蟹そのものではない。

 横にしか移動できないということはないらしい。


「それでも食う! 人間は、どれも美味い!」


 牢の壁を崩しながら、蟹もどきが俺に向き直った。

 積み上げられた岩が崩れ、俺の足元に転がる。


「なら、俺は不味いだろうな」

「なに? お前……不味いのか?」

「ああ。俺は不味いだろう。多分、黒血の池と同じ味がする」

「黒血の池だと……どうしてお前が、それを知っている?」

「何度も落とされた。だが……俺は罪を償った。お前はどうだ?」


 俺は嘘をついた。

 俺は、罪を償ってなどいない。ただ、聖者に託されただけだ。


「俺は……俺は……俺はぁぁぁぁっ!」


 蟹もどきが頭をかきむしった。

 苦しんでいる。

 何より、強い力で本人の頭がもげた。

 俺の足元に、蟹もどきの頭だったものが転がる。

 俺は、その頭を踏みつけた。


「お前は、魔王を目指すのか?」

「俺は……罪を償う」


 俺が踏みつけた頭部は、ほぼ人間だった。

 だが、踏んでいた頭部が崩れ、黒いかすみと化した。

 よく見る光景だ。

 地獄に戻ったのだ。

 だが、今までに見たことがない現象も同時に起きていた。


 かきむしられた頭部が落ち、人間の頭部を失ったほぼ蟹の化物が、左右に飛び出した目玉をぐるぐると回していた。

 囚人の頭が落ち、囚人は地獄に帰った。

 だが、体が残った。

 この体は、本物の魔物だ。


 俺は、蟹もどきが崩した岩壁に飛び込んだ。

 一か八かだったが、崩れた壁の向こうは外だった。

 三日前にキャリーが様子を見に来ていたので、壁の向こうが外だと思っていた。

 俺は外に出た。


 背後で、瓦礫が騒音を立てる。

 蟹もどきが、肥大した体で岩の隙間を抜けようともがいているのだ。

 少なくとも、知恵は元のままの時よりも低下している。

 蟹もどきをそのままにして、街に出た。


 街は沈黙していた。

 ただ建物が並び、人影はない。

 どうやら、本当に俺が牢に残されたまま、街の人間たちは逃げてしまったらしい。

 サリカたちは無事だろうか。


 俺が世話になった少女たちは、孤児らしい。

 街に貢献しなければ、中に入ることも許されない冷遇された立場だ。

 それでも街を出ていかないのは、街を出ては生きられないからだろう。

 俺にとっては同僚の、地獄の罪人たちは、地上の人間からは魔物と呼ばれている。


 元々人間だったことを知らなければ、犯した罪を償うまで何度でも地獄に落とされ続けるのだと知らなければ、そう呼ぶのも仕方ないことだろう。

 魔物に襲撃されて人々が街を捨てたとなれば、冷遇されている孤児の少女たちを守ってくれる誰かがいるとは考えにくい。


 俺は、真っ先に少女たちの安否が気にかかった。

 俺一人で逃げることもできただろう。

 現在、俺は健康で体力もそこそこある青年男子の肉体を持っている。

 だが、少女たちを見捨てられなかった。


 それに、少女たちを見捨てて行くとすれば、俺に託された力は俺を見捨てるだろうと感じられた。

 根拠があるわけではない。

 だが、聖者が俺に託した力は、俺自身を救う力とはならなかった。

 ただ少女たちを守ろうとした時しか、力は発揮されなかった。


 地獄の囚人である俺に、聖者は期待しすぎだ。

 俺は思ったが、まずは少女たちが無事に逃げているかどうかを確認したかった。

 誰もいない街を行き、下町と思われる場所に向かった。

 サリカたちが住んでいるのは、街の中央部ではない。


 最も暗く、汚い場所に住むしかなくなっていたはずだ。

 俺は崩れかけた家を見つけた。

 囚人たちが暴れたのだろう。

 逃げていれば誰もいない。


 俺は、しばらく崩れた家を見つめていた。

 見ていても無駄だ。

 俺が他の場所を探そうとしたとき、風もないのに崩れた岩が地面に落ちた。

 ネズミでもいたのだろうか。


 俺が崩れた場所を見つけると、瓦礫の隙間に穴ができていた。

 その中から、目玉が見えた。


「ひっ!」

「トット、逃げろ!」


 短く鋭い声に、俺は聞き覚えがあった。

 目玉が下がり、鋭い矢が飛び出した。

 俺は反射的に掴み取り、突き出された矢を引き抜いた。

 同時に、矢を掴んでいた少女が引き摺り出された。

 瓦礫が崩れ、俺の足元に体格の良い少女が倒れた。


「リマ、俺だ」

「……ダマス?」

「ああ」

「よ、よかった。牢から出たんだね。殺されなかったんだね」

「見ての通りだ」


 俺が言うと、気丈で一番俺を信用していなかったはずの少女が、泣き出した。

 俺の足に、まだ幼く戦う力のないトットがしがみついた。


「ダマス、お願い。サリカを助けて」


 トットが俺に訴える。俺は、リマに尋ねた。


「サリカはどこだ?」


 リマは涙を拭い、俺を瓦礫で隠された孤児たちのアジトに案内すると言った。

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