74 魔物の選択
ほぼ何も見えない闇の中、上に伸びる通路の入り口で、俺は腰を下ろしていた。
背後に5人の少女がいる。
今は地獄に連れ去られた聖者が作り出した、かりそめの平和は50年も続いたはずだ。
最年長と思われるサリカも、10代半ばだろう。
地上の世界は、魔物によって滅ぼされる寸前までいった。
俺はこの世界の地獄に生まれ、地獄しか知らないが、聖者には何かを託されたのだろう。
俺の姿は人間同様に変わり、ただの醜い姿をした罪人の俺に、不思議な能力が宿った。
その時は気づかなかったが、聖者の知識の一部まで流れ込んできていた。
背後から、寝息が聞こえてきた。
少女たちは疲れているのだろう。
人間がほぼ滅んだ時のことを知るはずがない。
俺は、罪を犯して地獄に落とされた。
生前であれば、無防備な少女たちに邪な思いを抱いただろうが、どうしても、今はそんな気持ちにはなれなかった。
むしろ、なんとかして少女たちを守らなければならないとさえ感じている。
俺は座ったまま壁に背中を預ける。
壁伝いに、振動が聞こえてきた。
意外と近い。
俺は、少女たちを振り返った。
真っ暗だが、少女たちの輪郭ははっきりと見える。
折り重なって眠っているようだ。
俺は、振動が響いてくる方向に首を戻した。
俺が少し高い位置にいなければ真正面になる位置に、歪な何者かがいた。
地獄から登ってきた罪人だろう。
「下っているな。行くか?」
「ああ。行くしかないだろう。まさか、地獄まで下っていることはあるまい」
「そりゃそうだ。もう、あんなところには戻りたくない」
罪人たちは話していた。
俺はその話に違和感を持ったが、違和感の正体にすぐに気づいた。
罪人たちは、真っ暗な中で明かりを持っていないのだ。
おそらく夜目も利かない。
かつて罪人だった俺には理解できた。
地獄に落とされた罪人たちは、罪を償うために非常に苦しい目に遭わされる。
闇があれば、見通せないのが当然だ。
だが、どうしても人間は慣れる。
慣れた結果、罪人たちは闇を見透かすことができるのではなく、何も見えなくても平気になるのだ。
罪人たちは、上に伸びる道があることに気づいていない。
まっすぐに進めば、下るのだ。
上る通路に入るには、やや道を逸れる必要がある。
俺は、罪人たちが下るのは嫌がるだろうと知っていた。
だが、上に向かった方がいいと少女たちに進言した。
その理由は理解していなかった。
単なる勘だったのだ。
今はわかる。
明かりを持たない罪人たちは、上に伸びる通路に気づかず、まっすぐに降り続けた。
罪人の数は6人に及んだ。
いずれも厳つい体をした者たちだ。
戦えば勝てないだろう。
だが、少ない。
加えて、魔王がいない。
6人目の罪人が、俺の足元を掠めるように下に降っていく。
しばらく、俺は動かなかった。
通路の先から、他の罪人たちがやってくることもなく、下に降った罪人たちが戻ってくることもなかった。
「ギャアァァァァァッッッ!」
闇の中に、細い絶叫が木霊した。
「今のは?」
俺のすぐ背後で、サリカが体を起こすのがわかった。
「俺たちを追ってきた魔物の悲鳴だ。下に向かった」
「下って……私たちが行こうとしていた方向?」
「ああ。6人の魔物が、下に行った」
サリカが見えるかどうかわからないが、俺は下る通路を指差した。
「何があったの?」
「わからない。だけど、さっきの声は断末魔のようだ」
「魔物を食べるなんて……魔獣でもいたの?」
「そうかもしれないな。そろそろ行こう。あいつらは、上に向かう通路には気づかなかった。明かりを持っていないんだ」
俺が立ちあがろうとした。
その俺の背中に、サリカが体重を乗せた。
「どうした?」
「ダマスがいて良かった。何度助けられたか、わからない」
「まだ助かっていない」
「助かったら、お礼させてくれる?」
「……ああ」
サリカが俺の背に、柔らかい部分を押し当てたのはわかった。
俺は立ち上がり、指先に再び光を点した。
俺は、何も考えないように意識を集中させた。
俺も、罪人なのだ。
地獄に落とされるほどの罪を犯してきた。
誘惑に負けたら、また罪を重ねるに違いない。
俺は、聖者ではないのだ。
サリカが少女たちを起こすのを、俺は自分を戒めながら見つめていた。
※
罪人たちが悲鳴を上げてから、しばらく俺は動かなかった。
戻ってこない。
それを確認し、俺は上に登る通路を歩き出した。
少女たちも目覚め、俺に追いついてくる。
言葉はない。
だが、その歩調は軽く、明るく感じられた。
歩き続け、俺の発する光が、行き止まりを告げた。
「ほら、やっぱり。どうするの?」
背後から、槍を失った少女リマが言った。
突然通路が塞がれていた。
岩壁かと思い手を触れると、それは巨大な岩だった。
「リマ、黙りな。じゃあ、降っていたらどうなったのさ。あんな魔物ですら、餌にする化け物がいるかもしれないんだよ」
サリカが、俺に向かって話すのとは別人のように厳しい声を出した。
「いないかもしれないじゃないか」
リマが反論する。
俺は、岩の表面に触れた。
「でも、魔物の悲鳴が聞こえたじゃない。何もいないとは思えないよ」
弓使いのキャリーが深刻な声を出した。
「行き止まりなの? どうするの?」
まだ幼いトットが泣いた。
「なんとかならないかい?」
俺は、サリカの頭越しに、背の低い杖を持った少女に話しかけた。
杖を持つ少女は、魔法の使い手だ。
「わからない。サリカ、退いて」
杖を持った少女レインが、俺に並ぶ。
杖の先に光を灯した。
光が倍になり、巨大な岩が通路を塞いでいることがはっきりとした。
「……こんな岩をどうにかできる魔法は……聖者様しか使えない」
「なら……」
「無理だ」
期待を込めたサリカの言葉を塞ぐように、俺は言った。
トットをキャリーが慰める。
「……戻るしかないだろう。魔物が餌になって、下にいる何かが、腹一杯になっていたら、外に出る道が見つかるかもしれない」
「私は、そのままその何かの腹の中に収まると思うけどね」
弓使いのキャリーが、リマの提案に反対した。
レインはできないと言った。
俺は聖者ではない。
だから、サリカの期待を裏切った。
だが、俺は立ち塞がる岩にまとわりつく、力強いねじれた木の根に気づいていた。
「俺は、こんな岩を動かせない。でも……ひょっとして……」
俺は、木の根に触れた。
何も起こらない。
「ダマス、どうしたの?」
サリカが尋ねた。
「なんでもない。ただ……君たちを助けたかったんだけど……」
何かが起こると期待した。
だが、何も起きはしない。
俺は、手を離した。
その直後だった。
岩にまとわりつく木の根が突然成長を始めた。
土を貫き、岩を絡め取り、持ち上げた。
めきめきと音を立てて成長する木の根は、抱いていた岩を抱えて持ち上げ、人一人が十分通れる隙間を作った。
その先から、光が見えた。
「外だ」
キャリーが走り出す。
リマが追う。
レインが、トットを連れて行く。
「行きましょう。きっと、外だわ」
サリカが残った。
「ああ。助かったのか?」
「ええ。きっとそうよ。聖者様ではない……ただのダマスさん」
サリカは言うと、俺の背中を押した。




