71 聖者の力
洞穴は暗かったが、中は比較的広く、獣の匂いが立ち込めていた。
入り口を岩と木の根で隠し、俺は少女たちに誘われてできるだけ穴の奥深くに入り込んだ。
俺が地上で見た時、少女たちは5人だった。
現在でも5人であることに、俺はどうしたわけか安堵した。
ほんのりと明るいのは、杖を持った少女が杖の先端に光を灯しているからのようだ。
「ここは、なんだい?」
尋ねたのは、俺を招いてくれた少女だった。剣を振るい、地獄の罪人たちと渡り合った、逞しく勇敢な少女だ。
「わからない。たまたま見つけたんだ」
「熊の巣だと思う。大丈夫だよ。冬眠から覚めて出ていったんだ。しばらく使われた形跡がない」
弓と矢で応戦していた、小柄な少女が言った。
「しばらくって、どのぐらい? サリカ、怪我をしたでしょ。見せて」
杖の先端に光を灯した少女が尋ねた。
サリカというのが、剣で勇ましく戦っていた、大柄な少女の名前らしい。
「おそらく、冬眠から覚めて、戻っていない。数ヶ月は放置してあるはずだ。戻ることはないよ」
「なら安心だな」
サリカと呼ばれた少女は、服を脱ごうとして俺に視線を向け、手の動きを止めた。
「すまない。目を閉ざしておく」
「ああ。頼む。命の恩人に失礼かもしれないけど……その格好じゃ、あたしらも目のやり場に困る」
俺が背中を向けると、サリカが苦笑ぎみに言った。
途中で悲鳴が混ざった。
背中に噛みつかれたのだ。地獄にいれば、それは苦痛にも入らない。だが、地上の人間なら重傷だろう。悲鳴は、俺の背中の傷に反応したものらしい。
『その格好』という言葉に、俺は自分の姿を見下ろした。
地獄で服を着ていたのは、聖者と聖者が守る人間たちだけだった。
罪人たちは、全員がもはや人の姿をしていなかった。裸であることに抵抗もなかったし、そもそも着る服がなかった。
岩と水しかないのだ。植物すら、罪人を栄養にするのだ。
だから、気にならなかった。
俺の体は、少しずつ精算された罪科により、姿は人間に近づいていることはわかっていた。
現在は、ほぼ人間だ。罪は精算しきれていないはずなのに、強制的に人間に戻されたかのようだ。
人間に戻っていないところが、俺の目からは見つからなかった。
つまり、性別があり、体の中心にあるものがぶら下がっている。
「済まない。普段からその……あまり服は着ないんだ」
「ずっと森に住んでいたの? この森に裸の男がいるなんて、聞いたことはなかったけど」
尋ねたのが誰かわからなかった。俺は背を向けていた。
「ずっとじゃないな。長い間、下にいた」
俺は、地獄のことを下と読んだ。嘘というわけではない。
サリカが呻く。傷が深いのだろう。
「これ、体に巻いてくれない? 恩人のこと、邪険にしたくないけど……私たちもほら……まだ若い娘だし……」
少女の言い方に、仲間の誰かが笑ったのが聞こえた。
俺の背に、おそらく野宿で使うつもりだったのだろう、麻の布が投げつけられた。
俺は地面に落ちた布を拾い、体に巻きつける。
「もう、振り返っていいか?」
「ちょっと待って。サリカ……我慢して」
「ああ……うっ……」
「もういいよ」
俺が振り返ると、サリカは肩の一部を露出させて背を向けていた。
出血がひどく、肉が抉れているのがわかる。
杖を持った少女が薬を塗っている。その度に、サリカは苦鳴をあげていた。
それ以外の少女のうち、どうやら俺に麻の袋を投げたのが弓を操っていた少女で、槍を持っていた少女は、まだ幼い少女をあやしていた。
サリカは、背後からも歯を食いしばっているのがわかる。
「……毒だな」
俺は、変色した、傷ついた肌の肉の色から、感じたことを呟いた。
「わかっている。黙っていて」
杖を持った少女は、振り向いて鋭い声を発した。
「ちょっと待って。レイン、この傷だけで、毒だったわかったんだよ。怪我に詳しいの? サリカに食いついたあの魔物、見たこともなかったわ」
「ああ……そうだろうな」
さきほど魔物だと言われた者たちは、全て地獄の罪人たちだ。
地獄の罪人は、背負った罪に応じてさまざまな姿をしている。
同じ姿の者はいない。
地上に出れば、誰も見たことがない魔物、ということになるのだろう。
「……ひょっとして、治療法、知っているの?」
外では弓を使っていた少女は、俺を見つめながら目の前に迫っていた。
「治療法なんてわからないが、あの子の力は、治療向きじゃないだろう」
俺は、サリカの背中に挑んでいる杖の少女を指差した。先ほど、レインと呼ばれていた。
「サリカ、よかった。この人、きっと治療できる。助かるよ」
弓の少女は、俺の手を掴んでサリカとレインに呼びかけた。
「……本当なの? キャリー」
レインと呼ばれた少女は、立ち上がって場所を空けた。
弓を使う少女は、キャリーというらしい。
俺の手を引いて、サリカの背後に立たせた。
サリカは震えていた。
弱っている。
さっきまで、勇ましく剣を振り回していた姿からは考えられなかった。
罪人の歯の形に、肌が食い破られ、血が流れ続けている。
抉られた肉は緑色に変色し、傷ついた肌から、さらに広がりつつある。
俺は、傷口に触れた。
癒せる。
根拠はなく、俺は感じた。
俺の中に、何かの力があるのが感じられた。
地獄では、一度も感じたことがなかったことだ。
あの時、聖者が地獄に連れ戻された時、確かに受け取ったものがある。
俺の中に、聖者の力が残っているようだ。
俺は手を伸ばし、サリカの背に触れた。
「ぐっぁっ!」
サリカがのけぞり、口から血を吐き出した。
「ねぇ、離れて」
「待って。レイン、大丈夫だ」
俺に向けられた杖の先端が、炎を宿している。
レインという少女は、魔法を操るのだろう。
その力は、敵を攻撃するのに適しているようだ。
俺は手を離した。
サリカの肌から傷が消え、肌の色は健康的な小麦色に戻っていた。
「……あんた……」
サリカが、口から血を拭いながら振り向いた。
「大丈夫か?」
「まさか……聖者様……」
サリカがふらつくように振り向き、這いつくばった。
「い、いや……俺は……」
狼狽える俺のことなど無視して、レインもキャリーも、這いつくばった。
奥で幼女をあやしている槍を操る少女まで、幼女に平伏させていた。
「ち、違う」
俺は聖者を知っている。
俺のような中途半端な者ではない。
俺は恐ろしくなり、少女たちに背を向けて、洞穴を飛び出した。




