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68 終わるはずだった世界の片隅で

後日譚となります。もうしばらく続ける予定です。

 地獄を抜け出してから、キール・ティベリウスこと私は、私に仕えてくれるマルレイと共に世界を巡った。

 この世界の魔物は、地獄に落ちた人間たちで、地獄と地上をつなぐ細い通路を通ってやってくることがわかった。


 私たちは、地獄と地上をつなぐ出入り口を見つけ、巨大な山で出入り口を塞いだ。

 その過程で、魔物から逃れてサバイバル生活をしていた人間たちを発見した。

 残念ながら、国どころか街や村といった規模で人間の集落を見つけることはできなかったが、数人単位の家族と思われる集団にはときどき遭遇できた。


 私の魔法を見ると、人間たちは同行するに同意した。

 その数が20人を越える頃には、全く魔物が出ない地域も存在していた。

 地上に出た魔物を地獄に戻し、地獄と地上のつながりを全て埋め尽くした大陸には、もはや魔物は出なくなっていた。


 世界には7つの大陸があったが、私とマルレイは移動にかかる負担を考え、各大陸に一つずつ、人間たちの集落を作り、魔物を駆逐していった。

 世界は広く、ほぼ無制限に魔法を使用できた私でも、一生涯を費やす事業になった。

 私が生まれた国がある大陸に戻った時には、私はすでに老人となっていた。


 私が生まれた国がある大陸には、私が集めた人たちの最初の集落がある。

 50年ぶりに戻ってみると、人間の数は数百人に増え、国家に近い統治機構が出来上がっていた。

 私はマルレイと相談し、人間の街を見下ろす小高い丘の上に、清浄な泉と花畑を作成し、小さな小屋を作って腰を落ち着けることにした。


 これ以上の旅はマルレイには負担が大きく、私だけで旅を続けるには、私はマルレイに頼りすぎていた。


「旦那様、お茶の用意ができましたよ」


 腰が曲がり、顔に皺を刻んだマルレイが、トレイにカップを載せて運んできてくれた。

 しばらくの間、マルレイは私のことを陛下と呼び続けたが、人間を発見するようになり、旦那様と呼び方を変えていた。


 旦那様というのは、配偶者の意味ではなく、ご主人様の意味である。

 マルレイは私より20歳近く年を重ねている。

 この世界では、かなりの高齢ということになるだろう。


「ああ。ありがとう。やはり、お茶はマルレイが淹れてくれたものには敵わないな」

「お世辞なんて言っても駄目ですよ。私には、これ以上のことはできないんですから」


 マルレイは言いながら、木製のテーブルにカップを二つ置いた。

 私の隣の椅子に腰掛ける。

 私は、テーブルの上に木の皿を出現させ、柔らかいお茶菓子を出した。

 長い間の修練で、私は魔法を使うのに呪文を唱えなくなっていた。


「旦那様、街の様子はどうですか?」


 マルレイは、いつも人間たちを心配していた。

 私は、空気しかない空間に窓を作った。


「心配ない。幸せそうだよ。よく笑い、子どもたちが走り回っている。文明を忘れ去る前に、集落ができたことが大きかったようだね」

「旦那様のおかげです」

「マルレイのおかげだな」


 2人で同時につぶやき、互いに笑いあった。


「これで、もう魔物は地上には出てこないのでしょうね」

「そうとも言えないだろう。私は出入り口を塞いだが、人間の数がこのまま増えていけば、掘り返す人間もいるだろう。地獄の魔物たちが、外に出ようと穴を掘るかもしれない」


「その時は、どうします?」

「人間たちには、十分な警告をしてあるのだ。それ以上、私にできることはない」

「そうですねぇ」


 マルレイがお茶を啜る。すっかり年老いた私の知恵袋を、私は愛おしく眺めていた。


「魔物が出ない限り、人間は発展し続けるのでしょうね?」


 それは、前世での私の認識だった。何度かマルレイに語ったことがある。

 年老いても、マルレイの記憶力は衰えなかった。


「もちろんだ。マルレイ、私たちは十分に役目を果たした。残された日々は、ゆっくりと過ごそう」


 私は、マルレイの手に自分の手を重ねた。

 マルレイは頷きながら、私の手をしばらくもてあそんでいた。


 ※


 私たちが集落を見下ろす高台に家を構えて、3年が経過していた。

 生活のために外出する必要はない。

 全てが私の魔法で賄える。

 ずっと、マルレイと2人きりで過ごした。


 この世界で、本当の意味で落ち着けたのは、この3年間だけだったと思う。

 2人ともすでに年老いている。

 マルレイは、穏やかな老後を過ごすことに後ろめたさを抱いているようだった。

 だが、それももうすぐ終わるだろう。


 マルレイは、私より20年近く先に産まれている。

 だんだん、昔のことを思い出すことが多くなった。

 私を以前仕えた国王と間違えることも多くなり、数十年前に辞めていた臣下の礼をとろうとした。

 魔法で、マルレイを生かし続けることはできる。


 だが、マルレイは望まないだろう。

 私は、もうあまり動かなくなったマルレイを抱き上げ、私の体が悲鳴を上げるのを聞いた。

 魔力だけは衰えなかった。

 次第に体が動かなくなり、むしろ魔力が増したような気さえする。


 外は夜だったが、私はマルレイを抱いて外に出た。

 マルレイの死期が近い。

 私は、長い間の経験からそれを悟っていた。

 多くの死を見てきた。


 この世界では、マルレイのように老衰で世を去るものは少なかった。

 私は、マルレイを外に連れ出し、マルレイがお気に入りの揺り椅子に座らせた。

 寒くはない。


 気象も大気も気温も、私がコントロールしている。

 私は空中から湯呑みを創出し、お湯を生み出し味を整え、マルレイに渡した。


「陛下……」

「私は、陛下ではない」

「いいえ。私の中では、いつまでも陛下です」


 マルレイははっきりと言った。

 また、以前のようにかつて使えた国王と間違えているのかと思ったが、今はそうではないらしい。

 はっきりと、私だと認識して呼びかけていた。


「なんだい?」


 私は、マルレイの隣に土の椅子を作って腰をおろし、静かに揺り椅子を揺らした。


「星が降ってきます」

「……どうしたんだい?」


 唐突に、マルレイがわからないことを言い出した。

 マルレイは、昔からきちんと私に理解できるように話してくれる。

 一体何があったのかと覗き込むと、マルレイは指を立て、空に向けていた。


 私が仰ぎ見ると、確かに赤い星が地上に向かって近づいてくるのがわかった。

 私は目の機能を強化し、周囲の気体を固定させてレンズの代わりにした。

 大気圏に入り、白熱した隕石が落下してくる。


 私たちの近くではない。

 だが、私たちのいる大陸のどこかに落ちる。

 私に、天文学の知識はない。

 それでも、落ちてこようとしている隕石の大きさが、並々ならぬものであることは想像できた。


「陛下、行ってください。私は、大丈夫です」


 マルレイは囁くように言った。


「私が行っても……」

「隕石が地上に落ちることで、どんな影響があるかわかりません。私たちが塞いだ地獄への封印が解かれたら、また地獄から魔物がやってきます」


「それはそうだが……ほとんど影響はないかもしれない。マルレイを残して、起こるかどうかわからない事態に備えるわけにはいかない」

「陛下、それは、わがままですよ」


 マルレイはしわとしみだらけの手を持ち上げ、私の頬を撫でた。


「ならば、一緒に行こう。マルレイの最後ぐらい、見とらせてほしい」

「私が行けないのは、お分かりでしょう?」

「ならば、私も行かない」

「陛下……駄目です。私は大丈夫。1人でも、逝けます」


「駄目だ。マルレイ、まだ逝ってはいけない。昨日撒いた花が咲くまでは、見届けると言ったはずだ」

「陛下なら、一瞬で咲かせられます。そんなことも、私にはもうわからないのです。これ以上、私は陛下のお荷物にはなりたくありません。どうか、陛下……」

「私の気持ちは動かない」


 私は宣言すると、瞳の焦点があっていないマルレイの唇に、自分の唇を重ねた。


「こんなおばあちゃんに、何をするのですか?」

「私も、おじいちゃんだよ」

「本当ですね」


 マルレイが笑った。その時、隕石が消えた先から、轟音が上がった。


「ああ……陛下、私は幸せでした」

「まだ、これから幸せになるのだろう?」


 マルレイは答えなかった。マルレイの最後の言葉だったのだ。

 マルレイは視線を私に向けて、私の手を握り、冷たくなっていた。


 私は、この世界で0歳の時から寄り添った、マルレイの骸を抱き上げた。

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