62話 魔王の軍勢
私は生き残った人々に、出発の準備をさせた。
人々は生気のない顔で頷いたが、確かに目には希望が宿ったと思う。
出発を10日後とした。
10日の猶予を与えたのは、その間にくるはずだと思っているある男を待つためだった。
もし来なければ強行するしかない。地獄で生活するのは、もはや限界なのだ。
私は、ゆっくりと人間を滅ぼすために転生して来たのではない。
人間という種を、この世界に残すために転生してきたのだ。
たとえ地獄の出口にたどり着くのが数十人となってしまったとしても、地獄の塔の上で全滅するよりはいい。少しでも多く地上にたどり着くためには、一人でも多く生き残っている段階で、強行するしかない。
私が人々に話をし、道を示し、自室に戻ると、母が事切れていた。
聖女と呼ばれ、私の力を利用して人々をこの地に導いた母は、この地に落ち着いてから急速に老け込み、最近ではベッドの上だけで過ごすようになっていた。
水が合わなかったのだろう。
すでに人間の数は200人を割り込み、地獄の塔にたどり着いた半数以上が環境に適応できず、命を落としている。
何より深刻なのが、この塔の中でもっとも幼いのが、10歳の私だという事実だ。
「マルレイ、ファニー、猶予はありません。母の死は内密に、私たちだけで弔いましょう。人々の多くは、そうやって死者を隠しているはずです」
「わかりました。それがよろしいでしょう。手配と陛下の出発の準備は私が行います。ファニー……陛下に付いていてください。お慰めするように。私よりファニーの方が適任です」
「あい。わかった」
ファニーは私より5つほど年上なので15歳になるはずだが、きちんとした教育を受けなかったために、話し方が中途半端だ。ただし、治療術師としての力は類を見ないほどだと、以前母が評していた。
きちんとした教育を施すには、あまりにも生活に余裕がなかったのだ。
私は自室でファニーと2人になった。
ファニーはすでに肉親を失っており、天涯孤独だ。それはマルレイも変わらない。この世界に生き残った人間は、運が良い者だけだ。運は、出自に関わらず平等であるらしい。
「……陛下、だいじょぶ?」
「母を亡くしたことについてですか?」
「……うん」
ベッドに腰掛ける私に、体をすりつけるようにがりがりのファニーが座る。
食料は十分にある。魔法で植物の成長を助けて生み出しているのだ。
それでも、ファニーは太らない。ほかの人々も太らない。まるで、カロリーを大気に吸い取られているようだ。
私の体も、10歳にしては肉が少ないことは承知している。
「覚悟はできていました」
「……あたいは、泣いたよ?」
「ファニーのお母さんが亡くなった時ですか?」
「うん」
「悲しくないことはありません。ですが、悲しんでもいられません」
「泣きたい?」
「いいえ」
「いいよ。泣いて」
「平気です」
「ほら」
ファニーが私の頭を押さえつけ、薄い胸に押し当てた。
小さな鼓動と温もりが心地よい。
だが、私はファニーを押しのけた。
「泣く時は一人がいいので」
「……うん。わあった」
ファニーは出て行った。私は嘘をついた。
一人になって、地上への道のりについて考えたかったのだ。
母の死を悲しんでいる暇はない。
私は魔法で成長させた植物の革を張り合わせた板に、行程を書きつけた。魔法を使用し、できるだけ詳細に地形を書き込む。
出発の時までにどれほどの調査が行えるかが、生存率を左右するだろうと考えていた。
※
9日が過ぎた。
人々の内、約半分が塔に残ることを選択した。主に足腰が弱った者たちで、行程に耐えられないと自覚したらしい。
私は説得を試みたが、私の声は届かなかった。
およそ100人を塔に残さなければならない。
私が思い悩んでいる時、私は待っていた情報を得た。
その情報とは、塔を登ってくる魔王がいるということだった。
※
私が知る限り、魔王は一人だ。
誰よりも禍々しい姿をして、唯一配下を連れているのですぐにわかる。
これまでは動く石像の兵士たちで討伐できた。今度も同じだとは限らない。
だが、魔王が会話を求めてきたこともあった。
今度もそうなればいい。
私はそれを期待していた。
これまで、魔王が到達できた最高の階層は26階だ。
私は石像を動かし、魔王の配下を削り落とした。
相変わらず、配下の魔物は次々と倒されてくれる。
だが、前回は私が気づかない配下を潜伏させることに魔王は成功している。
安心してはならない。
私は30階で待ち受けた。
30階までに、魔王は一人になった。魔王の配下は悉く倒したはずだ。
地上30階で、私はマルレイとファニーと共に魔王と遭遇した。
「……随分でかくなったな……人間じゃないのか?」
私を見るなり、魔王から声をかけてきた。
魔王は見るたびに禍々しく変わっていく。その醜悪な顔をした魔王が首を傾げても、可愛いとは思わなかった。
「私は人間ですよ。それに、突然大きくなったりはしていません。私たちが会ったのは4度目……初めて会った時から5年が経過しています。およそ一年に一度、あなたは塔に登ってくる」
「……初めて会ってから……5年? そんなに経過しているのか……どうしてだ?」
「私が知るはずはないでしょう。それに……私は毎回、あなたが死ぬところを見ています。どうして生き返るのか、どうして再び塔を目指すのか、その方が私にとっては不思議ですよ」
魔王はぼりぼりと頭を掻いた。搔きむしり、やがて膝を叩いた。
「ここは地獄だ」
「ええ。そう呼ばれていることは知っています」
「いいや。わかっちゃいない。あんた……聖者だろう? そう呼ばれていたよな? 前世のことを覚えているかどうか知らないが、俺にとっちゃ、あんたは聖者だ。どうして地獄にいる? 聖者でも地獄に落とされるのかい? それじゃ、聖者なんていいことないね。糞食らえだ。あんた、この地獄で何回死んだ?」
見た目は魔王だが、話し方は魔王らしくない。だが、心根は外見に相応しいようだ。
「私は、地獄では死んではいませんよ。地獄に落とされたのでもありません。地上が魔物に覆われ……地獄のような有様になったから、地下に逃げ込んだのです。その地下が……」
「本物の地獄だったか? そんな間抜けなことがあるのかねぇ」
「間抜けかもしれませんが、お陰で十年間生き延びた人間がいます」
「……ほう……この上に、ねぇ」
魔王を上を向いた。顎をぼりぼりと掻いている。私は、口を滑らせたことを自覚した。人間を食べようというのだろう。上階に人間がいると知って、食欲をそそられたのだろう。
「あなたが私に会いに来たのは……やはり人間を食べるためですか?」
「陛下、もはやこのような者と取引は不可能かと」
マルレイが私に囁く。魔王は反応しない。興味深げに天井を見つめている。マルレイの声は聞こえていないのか、あるいは誘っているのかもしれない。
「まだ、結論には早いですよ」
「はい」
マルレイが控える。代わりに、魔王が口を開いた。
「美味そうな臭いが、この塔の中心からした。だが、そこに向かった連中は残らず全滅だ。どうやら……罠らしい。ってことは……もっと上には、その罠を仕掛けるに足る……守るべきものがあるんだろう? それが何か……気になってね。それと……坊やに会いに来たのは……さっきも言っただろう? その姿から察するに、転生したね。流石に前世の記憶はないかい? 俺は……覚えているぜ」
私は前世の記憶を保持している。記憶力はいい方だったが、こんな禍々しい男には覚えがなかった。
「私に会って……どうしたいのです?」
「地獄に落ちた聖者様が、俺と同じだと確認したかったのさ」
「同じなはずがあるか! 下がれ! 下郎!」
ついにマルレイの我慢が限界に達した。
私が作った不恰好な剣を振り回し、魔王と私の間に割って入る。
「土よ、立ち上がれ」
マルレイの前に土壁が出現し、行く手を阻む。
「……陛下」
「下がって。落ち着きなさい」
「申し訳ありません」
私はマルレイの頭に手を置いてから、出現させた土壁を払った。
「……私は地獄に生存の可能性を求めたのです。あなたは落とされた。そこには大きな違いがあると思いますが……やはり地獄は生きた人間にとって生活できる環境ではありませんでした。それは間違いないことです。私は……地上を目指します。あなたと話すつもりになったのは……ただ一つ、確認をするためです」
「『確認』? なんだい?」
凶悪な相をした魔王が、楽しげに頭部を揺らす。頭上に生えた無数のツノが揺れる。実に不気味だ。
「人間を食べずにいられますか?」
「俺も……俺の配下も、誰も人間を食べたことはない。なにしろ、人間なんて地獄にはいないからな。美味そうだとは思うが……食べずにいることはできるだろう」
「……人間を守って……ここから100キロ、護衛をお願いしたい」
「俺たちにメリットは?」
「この地獄が、私の知っている地獄と同じもので、あなたが何度も地獄をやり直しているのだというのなら……地獄にいるのは生前の罪を償うためでしょう。生きた人間を一人でも多く地上に返す。それが償いにならないとは思えませんよ」
「……ふん。いいだろう。だが……地獄に落とされた連中に、多くを求めるなよ。制御しきれないかもしれないぜ」
「ええ。それでも結構です。もともと、強行突破するつもりでいたのですから」
私の言葉と同時に、岩の兵士が一斉に床を鳴らした。
新作更新中です。
100日勇者と100日魔王 ~勇者と魔王に異世界転移した、新婚夫婦の100日間~
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100日連続更新挑戦、継続中です。全話、勇者編と魔王編の2部構成です。よろしくお願いします。




