53話 地獄の生活
様々な形状の者がいたが、すべて一様に黒かった。地獄の生物はすべて黒いのだろうか。
あるいは、黒い池に落ちたから黒いのだろうか。
「うわぁ……お前、真っ黒だな。よっぽど、悪いことをして死んだんだろうな」
俺を見降ろして、大きな頭を持つ不気味な影が言った。
頭部ばかりが異様に肥大した、こけしに手足を生やしたような奴だった。
人間の姿はしていない。
「地獄では……悪い奴ほど黒いのか? みんな、同じじゃないか」
「そうでもないぞ。池から上がったばかりだと黒いが、だんだん色が落ちてくる。黒い部分がすっかりなくなったら、地獄から出てもいいらしい」
「……ほう」
地獄の苦しみは、永遠に続くのだというのが定番だった。割と簡単に許されるものなのだろうか。
「俺なんか、いい奴だったから、もうそんなに黒くない」
「……どれぐらい地獄にいる?」
「地獄では、太陽も月もないから、時間はわからない。だけど……地獄で死んで、池からやり直したのは、100回以上だと思うな。さっきも、落ちたばかりだ」
「……どうして死んだ?」
「いや……この先に、ご馳走がある塔があるのさ。みんな腹をすかして、塔に登って……いつの間にか死ぬのさ」
「……罠だろ?」
どう聞いても、地獄の住人を呼び寄せて殺すための罠としか思えない。
そもそも、この見渡す限り薄暗く、あちこちで地底火山と溶岩流が見られる以外に光源もない不毛の地で、塔のようないかにも人工物といったものがあるはずがない。
当然のことだと思って俺は言った。だが、手足が生えたこけしのような奴は、立ち止まった。驚いた顔をしていた。
「お前、よくそんな悪いこと、思いつくな」
「……いや、誰でも思いつくと思うぞ」
「いやいや、そんなこと思いつくやつなんて……ああ、だからそんなに黒いんだな。お前はきっと、何万回死に変わっても、黒いままなんだろうな」
失礼な物言いをする奴だ。俺だって改心するし、言われるほど悪いことはしていない。
「何度も塔で殺されても、まだ塔に行きたいのか?」
「ああ。いい匂いがするからな」
地獄では、確かに食べ物もないのだろう。しかも、腹は減るらしい。
俺も空腹を覚えていた。
地獄まで来て餓死するのは嬉しくない。もっとも、餓死しても黒血の池から再び始まるのだと思えば、たいして恐ろしくはない。ただ、空腹を感じてから実際に死ぬまでの時間は、恐ろしく辛いだろうとは思う。
「みんな、お前みたいな感じなのか?」
「俺みたい?」
「腹が減って、塔に行って、殺されて、池に落ちて、また塔に行く。これを繰り返しているのか?」
言ったものの、俺も塔に向かっているのだろう。意識はなくとも、ほかの連中と同じ場所に行くことになる。
こけしと話し込んでいるうちに、広く浅い黒血の池から上がり、今はごつごつとした不毛の平原を歩いているのだ。
前後に列ができていた。
前にも、後ろにも、得体の知れない気持ちの悪い連中が並んでいる。
「たぶんそうなんだろう。みんな……かどうかは解らないな。殺されるより腹が減って死ぬ方がいいって、どこか他所に行ったやつも……いるのかな?」
こけしは首を傾げた。傾げる首があることが驚きだ。つまり、こけしに見えているだけで、実際にはこけしではないということだ。
解ってはいた。だが、見ると少し驚きだ。
「そんな大きな頭で首を傾けると、首が折れるぞ」
「おお……本当だ」
「なに?」
「首が折れた」
確かに、べきりという嫌な感じの音がしていた。あれは、こけしの首が折れる音だったらしい。
「もう死ぬのか?」
思えば短い付き合いだった。
「いや、これぐらいでは死なせてもらえないだろう」
こけしは両手で倒れた頭部を持ちあげ、首の上に収めた。
まっすぐに首が立つ。
直ったのだろうか。体の構造がよほど単純なのだろう。
「首が折れても死なないなら、どうやったら死ぬんだ?」
「死ぬ時が来たらだろう。お前も同じだ」
「いや、俺は首が折れたら死ぬ」
「それぐらいじゃ死なないよ。お前は特に死なない。特に、苦しんで死ぬ」
こけしは、まるで確信しているかのように言った。確信しているはずがない。そんなこと、解るはずがない。
「俺の体だ。お前にいつ死ぬか、どうしてわかる?」
「わかるさ。ここは地獄だ」
地獄とは、ただの地名ではない。罪を持った者が、罪を背負うためにある場所だ。
俺と同時に黒血の池に落ちたが、こけしは俺よりずっと長く地獄に居るのだろう。何度も生まれ変わっているのだろう。地獄では、何度死んでも黒血の池で初めからやり直さないといけないのだろう。
「……ここから逃げだす方法はないかな?」
「どうして逃げたい? 以前に逃げだした連中もいるけど、どうせ逃げた先で死ねば、ここに戻ってくることになるぞ」
「永遠に苦しみたくはない。逃げだしたくもなるさ。それより、『逃げ出した連中』と言ったな。誰か逃げだしたのか? どうやった?」
こけしはぐらぐらと頭を動かした。ちゃんと着いていないのか、考えているのかはわからない。ちゃんと着いていないのだとしたら、危ないことこの上ない。
「誰かも何も、地獄の住人がこんなに少ないのを、不思議に思わないのか?」
こけしは当たり前のことのように言ったが、俺は地獄に来たことなどないのだ。一列にぞろぞろと歩いているだけで、十分な数ではないのだろうか。
以前はもっと多かったのだろうか。
解らないことだらけだ。
「ということは、大量に逃げだしたということか?」
「ああ。大きすぎて道を通れなかった巨大な化け物以外には、誰もいなくなったことがあったな。その前までは、足の踏み場もないぐらい地獄はにぎわっていた。最近、また大分増えてきたが……以前ほどじゃないな」
「それは……寂しいな」
「別に寂しくはないだろう。あんまり顔を見たくないような連中ばかりだ」
「俺の顔も、見たくないか?」
こけしに対する嫌味のつもりだったが、通じなかった。
「もちろんだ。お前の顔が一番見たくない」
目の前のこけしもかなり気味が悪いのだが、そのこけしから見ても、俺は不気味らしい。
とても傷ついたが、俺は生まれ変わってからの自分の姿を見ていない。どこかで水たまりでも見つけたいものだ。
どこに行くあてもなく、腹だけが減っている俺は、結局こけしと同じように、長い列に続いた。
歩き続け、行く先には、塔が見えた。
初めて見た人工的な建造物だった。
塔が自然に生えてくるものでなければ、人工的な建造物であることに間違いはないだろう。
黒い者たちが塔に向かい、多くがその場で消える。一部が中に入っていく。
確かに塔は大きい。俺の前世の近代建造物から見れば、たいした高さではない。だが、ちゃんとした基礎もなく、杭も打たず、鉄骨も無いだろう。それにしては、崩れずに建っているだけで驚きだ。
どうして一部だけが中に入っていくのか、近づくにつれ明らかになった。
塔の入口が、詰め寄せる者たちの数に比して狭すぎるのだ。
詰めかける者たちは、まず例外なく塔の回りの堀に落ちる。
堀には銛のように鋭い先端を持った石の槍が並んでおり、貫かれて死ぬ。
多くが死ぬが、貫かれた死体の上に落ちて生き延びた者たちが、堀を渡り切り、塔に至る。
だから、塔に入ることができる者は一部だけなのだ。
つまり、塔は入ることができるようにはそもそも作られていない。
一階に入口らしいものがあるのが不思議なほどだ。
どうして、堀に落ちて死ぬとわかっているに、落ちるのだろうか。
俺は近づき、掘を覗こうとして、背後から押された。
我慢できない奴がいたらしい。
俺は落ちて、貫かれた。
目の前に石の槍の先端が迫り、目に刺さり、目が潰れ、脳に抜けた。
結果として、俺は死んだ。割と簡単に死んだ。




