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5話 魔物の襲撃

 母が休憩していても、父が近づいてくることはなかった。

 私が産れた当初はまだ楽観視していた事態が、次々に絶望的になったため、余裕がなくなったのだと母は語った。

 民衆は列を成して行進せざるを得ず、頼るべき他国がすでに壊滅していることを、次々に知るはめになったのだという。


 現在は、山脈の中腹に作られた古代の要塞に向かっているのだと教えられた。

 あまりにも不便で誰も使わないが、それだけに魔物も追って来ないものと考えられた。

 人間を恨み、絶滅させようとする強い意思を持っていないかぎり、そんな場所まで逃げた人間を、追いつめるはずがないというのだ。


 それがただの希望的観測であれば、人間は全滅するだろう。

 私が知る限り、放っておけばこの世界の人間は全滅するのだ。

 だが、それを母に語ることはしなかった。






 母は私を抱いたまま、隊列の一員として日々を重ねていた。

 私もだいぶ自由に動くことができるようになったが、残念ながらまだ二足歩行をするには至らなかった。足の力が弱いこともあるが、足そのものが短く、立って歩けるようになることを想像できなかった。あくまでも赤ん坊の足である。体の成長を待つほかはない。

 母が私と話したがるため、定期的に魔法を使わざるを得なかった。どうも、母は私に依存しているようだと感じる。


 私が赤ん坊にして魔法で母と話しているという事実を、母は心の支えにしているような気がするのだ。もっとも、体力的にも私が支えていたし、そうならざるを得ない状況であることは否定できない。

 そうでなければ、母はこの道程で命を落としていただろう。父がそれを止めていたとは思えない。父であることより、母の夫であることより、王であろうとしているように見えた。

 ある日、突然長い隊列が崩れた。

 前方から鋭い声が聞こえ、人々がわらわらと列から逃げだしたのだ。


「どうしたの?」


 誰かに尋ねたいとき、真っ先に腕に抱いた私に尋ねるのは、最近の母の癖である。

 私は、『知覚魔法』により少し離れた場所の出来事を知ることもできたし、『生命魔法』により聴覚を強化することもできたので、回答は持っていた。

 そろそろ、赤ん坊にまじめな顔で問いかけるのは控えさせた方がいいとも思いながら、私は答えた。


『魔物が現れたようです。野生の魔物と遭遇したわけではないようです。『敵襲』と叫んでいますから』

「敵がきたわよ!」


 私の言葉を反復し、母は声を張り上げた。周囲からどう扱われようと、母は王妃であることの勤めは果たそうとしていた。

 前方の隊列が崩れたことに不安を覚えていた人々が、母の声に動揺して顔を向かい合わせている。どう対処すればいいのか、解らないのだ。


「逃げなさい! 魔物は騎士が対処します。巻き込まれないように!」

「しかし、隊列を離れないように言われています」


 おどおどと、行動を決めかねていた民衆の一人が言った。母は唇を噛んだ。

 隊列を離れて、戻ってこられないような、視界が悪い場所ではない。

 だが、隊列を組んで移動していたルートは、ほぼ山脈の尾根伝いなのだ。

 草木もろくに生えていない、岩ばかりのやせた土地で、下手に列を乱せば、転がり落ちて登ってこられないこともあり得るのだ。


「どうすればいいの?」

『母上の回りに集めるのが最適でしょう』

「そうね! 私の周りに集まりなさい。こちらに魔物が来た時は、私が倒します」


 最初の一言は余分だが、母の声に人々は救われた。

母は魔術師なのだと、私に語ったことがあった。

 私を片腕に抱いたまま、母は腰から細長い棒を取り出し、体の正面にかまえた。

 魔術師とは、火、水、風、土を四大元素として呼び出し、敵を滅ぼす者たちであるらしい。魔術師の他には治療術師や召喚術師と呼ばれる魔法を使う者たちがいるが、敵を倒すことにかけては魔術師の右に出る者はいないという。


 母の声が届く距離にいた人々が集まってくる。道が細く、外れれば落ちかねない厳しい傾斜がありつつも、王妃として声を張り上げた母を人々が取りまいた。

 普段はまったく王妃として尊重されていなかった。だが、それでも母は民衆を守ろうとした。王妃として扱われていなかったことなど、状況を考えれば当然のことなのだと、母は考えたのかもしれない。

 あるいは、普段の扱いを今後変えさせるために、この窮地を利用しようとしたのかもしれない。

 いずれにしても、母は立派だと私は思っていた。






 前方から、騎兵がやってくる。

 隊列を組んでいた民衆が母の回りに集まったので、道は開いていた。

 母と周囲の人垣に近づき、器用に馬を操って人の群れをよけようとした人物が、私の父だと見て取った。

 母の顔が厳しくなるのがわかった。


 立派に王妃として勤めを果たそうとしていた母は、民衆を恨んではいなかった。だが、民衆を守るために夫として、父としての任務を放棄した父王には、少なからず思うところがあったようだ。

 だが、さすがに母を中心とした人々の姿に、父王は馬の足並みを緩めた。


「ここは頼むぞ」


 魔術師とはいえ、赤ん坊を抱いた女一人に任せることではない。それでも、父はそう言うしかなかったのだろう。


「あなたは?」

「続く者たちに、いったん止まるよう指示を出さなくてはならない」

「前から来るのね」

「ああ。待ち伏せされていた。どうやら、奴らは人間を皆殺しにするつもりらしい」


 父王の言葉に、人々が絶望の言葉を発する。私にしても予想外だった。

 領地を放棄して逃亡し、生きる手段さえ持つかどうか解らない、弱い集団である。要塞にたどり着く前を狙ってまで殺しに来るとは思わなかったのだ。


「あなたは自分の役目を果たして。この人たちと私のキールは、私が守る」

「ああ。頼む」


 父王は馬を駆った。

 私は、父を薄情だとは思わなかった。まず王であることを優先したのだ。

 





 前方から、悲鳴が響いてきた。

 騎士である者たちが、死に際して悲鳴を上げないとすれば、逃げ惑う民衆の悲鳴だと推察された。

 戦闘員ではないから命は狙われないとは、現代戦争の考え方である。

 古代においては、戦闘員以外はただ戦闘能力が無いというだけの存在で、殺されても奪われても、文句をいうこともできなかった。


 あまつさえ、相手が魔物であれば、人間を生かしておく理由もないのだろう。

 地形は前方に上っており、丘の向こうは見ることはできない。

 ただし、私は状況を正確に把握していた。

 『知覚魔法―遠視』という選択肢があった。


 私に簡単にできることを、魔術師である母はできないようだ。

 この世界の人間は、本来人間に与えられた能力の大部分を失ってしまったのだろう。

 そうでなければ、この世界もあるじは人間であった可能性は高い。

 人間以外の生物が強いのであれば、人間にも強い力が使えるはずだと私には思えるのだ。


『こちらに来ます。一体ですが……次期に三体に増えるでしょう』

「わかった。キール、私から絶対に離れないように、捕まっていなさい」

『はい』


 私が答えてすぐ、それは現れた。






 狼を想像させる顔に、まだらに生えた毛、流線型を描かない醜い筋肉の塊は、魔物と呼ぶのにためらいはなかった。首には綱が巻かれており、丸まったごつごつとした背中に、緑色で頭部だけが妙に大きな小さな生き物が乗っていた。

 小さな生き物も、魔物の一種なのだろう。手には三叉の短い武器を持ち、キーキーという声を上げている。

 私は久しぶりに『知覚魔法―言語習得』を用いた。この魔法の便利な点は、一度覚えた言語はずっと習得したままだということだ。


『こんなところに、美味そうな人間がかたまっていやがる。皆殺しだ』


 小さな魔物は嬉しそうに笑い、人狼を想像させる筋肉質の魔物はただ咆哮した。人々が震えあがる。盛り上がった筋肉を持つ魔物は、緑色の魔物の言葉を理解しているようだが、話すことはできないらしい。


『母上、魔法の準備をしなくても大丈夫ですか?』


 私には、母は魔物の姿に恐怖し、立ちすくんだように見えたのだ。これでは、母はただ魔物の餌にするために、人々を一か所に集めただけになってしまう。

 私が語り掛けると、強く叩かれたかのように、母はびくりと震えた。

 小さく首を振る。自分に喝を入れたのだとわかった。

 母が魔法を発動させた。

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